他人のハナシを聞いて戻ってくれば自分の軸がそこにある

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なお昨日の記事のタイトルを文字通りに理解すると危険だ。
人の話を聞くフリをして後で持論を押しつけるというのは、
ちょっと間違えば問答をふっかけているコトにもなるので。

自分自身そうなっていないという自信はないのだけれども、
せめて避けるには、やはり個々人の判断に委ねるべし、と
なって数日前に書いたトコに戻ってくるというループ構造。

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他人にハナシを聞かせたいなら先ずハナシを聞くといいよ

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大事なコトなら猶更、周囲の意見も容れて検討したいもの。

個人ないし家族や地域など個人集団について考えるならば、
最終的な決断および伴う責任は当人たちに帰属するとして、
それゆえにこそ周囲は当人の判断を尊重するのが望ましい。

ある程度以上の規模の集団、つまり国全体といった範囲の
問題となれば、それこそ全員が当事者であるのだからして、
各自が他者の判断を尊重していかねばハナシとて進むまい。

完璧であるべき、ありたい、という意識は尊重するつもり
ではあるけど、その足許が見えていないならハナシは別だ。
誰もついて来られないような理想は孤立するばかりだから。

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他人の言うコトを聞く必要はないが他人の話は聞くもんだ

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人を育てるというのは、決して親だけの特権ではあるまい。
むしろ同時代の他の人々や、さらには時代の空気といった
環境からの影響が大きな要素を占めるのではないだろうか。

駄目親は子を駄目にするというが、反面教師にして立派な
人物が育つ場合もあるだろうし、逆に親のコミットだとか
責任感が強すぎて子供が駄目に、といったケースもあろう。

考えてみたら、親が自信を持っていないケースが多いかも。
「子供のために○○しない親はダメ親」という同調圧力も
(「塾に通わせる」とか「放射能対策」等いろいろあるが)
親集団の中の声の大きい人物だとか親の親だとかそういう
「親身になってくれるはずと思える人物」からは強かろう。
だけど、その助言の内容がモノやサービスを利用するだけ
というのであれば、それは果たして本当にタメになるのか。

あるいは子供を他人に委ねるコトへの恐怖感もあるのかも。
先日、育児経験のある友人が、こんな風に説明してくれた。
「昔とは違い今の大人たちは、それなりの学歴を持つ人が
増えているので教師を莫迦にする傾向があるのではないか。
そして無意識に教師を莫迦にする姿を子供に見せてしまう。
まがりなりにも教師は教育を専門としているのだけど……」

信用されていない、任されていない、そんな実感を抱けば
誰だって思い切った取り組みなどできようもないだろうし、
どうしたって責任を負わされぬよう腐心するのが最優先と
なってしまいがちなもので、結果として本業が疎かになる。
民衆の政治不信官僚不信が社会の混乱を助長するのも同様。
あるいは不祥事を起こした企業においても似たようなもの。
その先は不信感のデフレスパイラル、何処まで続くものか。

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