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2006年10月

2006.10.31

排他的万歳

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教育話が出たついでに、自分のコトを棚に上げて書いてみる。

国会では教育基本法の愛国心規定とやらが議論になってるが、
そんな話で盛り上がってるコト自体、「国民に愛されてない日本」
の実態を明確に浮き彫りにしているようで滑稽だ。

マジョリティに加われず、かといって本格的なマイノリティでもない
微妙なアウトサイダー的感覚を身に付けてしまったせいか、昔から
「○○万歳」という言葉には強い排他性が感じられて嫌だった。

ヒトのココロってのは、たいてい中途半端な容量しかない。
何かを愛すると、他への愛がおろそかになってしまう。
自分が愛している対象を否定するような相手に対しては、
本能的な敵意を剥き出しにするのが普通のヒトというもの。

今の日本人の多くは、国家を差し置いて「自己」を愛していると思う。
他人の生活なんかどーでもいーのだ。どうせ自分じゃないから。
自治体も、国家も、自分の生活の邪魔にならなきゃどーでもいー。

個体生存を最大の目的として、関係のないコトを無視するように
働く自己愛は、生物学的に見ればとっても大切な機能だ。
でもそのままでは社会的に問題が生じやすいから何とかしましょう
ってコトで、人類は宗教や法律を発明した。

個人レベルでなく国家レベルの自己愛では、どうなる?
最近の国際情勢では問題を増やすだけのような気がする。
そもそも国家レベルの自己愛なんて、近所の国の連中で懲り懲りだね。
それ以前に、過去の日本で懲りた人も少なくないだろうし。

どうせなら人類全体を、全世界を愛せよとでも言えば良かったのに。
そういう馬鹿げた、しかし格好良いコトを言う日本なら、愛する気にもなったかもしれない。

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2006.10.30

甘えと無知

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(昨年撮影)

阿佐谷ジャズストリートが今年も開催された。
駅前ゴールド街では黄色いテントの「人間ジュークボックス」が
今年も元気にトランペットの音色を響かせている。
客のリクエストに応じて、懐メロから最新ヒット曲まで
器用に吹きこなすのだから、中の人も大した腕前だ。

さて、ここ数年は決まって同じバーに入ってジャズを聴いている。
ステージ後には普通のバーになる店だから、
多くの客が去った静かな店内で、少し酒を飲んでから帰るのが通例。

カウンターに並んだ客は数学の教員だという。
偉そうにも、そこでつい説教めいたコトを言ってしまった。
世の中、常に単一の正解があるとは限らない。社会で役立てるよう、
自分で考えて答えを出すコトの大切さを、ぜひ伝えていただきたい云々。

「たしかに、解法を知らないから教えてくれと聞いてくる生徒は多いですね」

少子化時代、学習塾は集合教育から個人指導へ比重を移しつつある。
問えば必ず答えが得られる環境で大学入試に必要な知識を詰め込む。

「手取り足取り教えてもらっているおかげで、余計に
自分で解法を考えなくなってしまっているのかもしれません」

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」の格言も時代遅れか。

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2006.10.29

ある晴れた昼下がり、空まで続く川

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数日に渡って曇りや雨が続き、青空に飢えていたある朝、
いきなり晴れ間の兆しが見えてきた。

その日は銀行振込や買物などの用事があったので、まずは
慌ただしくそれらを片付け、今回もまた下りの中央線に乗る。

日野駅で下車。
JRの線路に沿って都心方向に10分ほど歩けば多摩川の河川敷だ。
視界一杯に青空が広がる。

しばらく関東地方に停滞していた低気圧が太平洋上に去り、
空気中の塵を全て洗い流した雲もそれとともに去った後だった。

まるで宇宙空間をそのまま覗き込んでいるかのように深い色合いの天頂。

地面が湿っていたため昼寝できる状況ではなかったが、
何物にも邪魔されず強く吹く川岸の風を全身に受けつつ
天を仰いでいると、魂まで空に吸い出されそうな気がした。

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2006.10.28

この橋わたるべきか否か

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少し前の日曜、心地良い場所で昼寝したくなって出掛けた。
中央線の下り列車に乗ってから行き先を考えたが、
立川、拝島、飯能を経由して秩父へ向かうコトにした。
長瀞の岩畳で昼寝できたら気分も良かろうと考えたのだ。

残念ながら移動中に雨模様となったので、散歩に切り替える。
特に何のアテもあるわけでなく、傘を差して気の向くまま。
気付けば御花畑駅から三峰口方面に2駅の浦山口近く、
秩父札所28番・橋立観音に辿り着いていた。

その脇の蕎麦屋で落ち着く。雨ゆえ客はほとんどいない。
半透明樹脂波板の軒下で雨音を聞きながら
味噌田楽や蕎麦掻きを肴に酒をチビリチビリと飲る。
昼寝は叶わなかったが、静かな午後に満足。

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山また山の秩父地方。公共投資も集中する。
国道には巨額の予算をかけて長いトンネルや大きな橋が作られた。
でも、クルマで来たら酒なんか飲めなかったよな。
都会の貧乏アパート暮らしだからクルマなんて持てないが、それでいい。

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2006.10.21

背中で見てる間に流れていってくれ

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先の大戦を描いた小説に、主人公が高円寺の川を渡る場面があった。
荻窪から東中野にかけて流れ、神田川に注いでいた桃園川のことだ。

桃園川は、今は川の姿をしていない。
昭和40年代に暗渠となった。

かつては住宅街の中、生活排水を集めて流れていたものと思われる。
周辺が農地だった頃は地面に吸い込まれていったはずの雨水が、
住宅ばかりになると土中でなく水路に直接流れ込む。
豪雨のたびに増水し、氾濫の危険があるので暗渠にしたのだという。

現在、旧桃園川の流賂の一部は緑道として整備されている。
道になっても、かつての川に玄関を向ける住宅はない。
桃園川の水は見る者もなくただ神田川に向けて静かに流れている。

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2006.10.19

恐れ日比谷の埋め立て地(←無理ありすぎ)

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(国土地理院1/2.5万図を使用)


徳川入府以前、現在の丸の内あたりは入江であったそうな。
これを日比谷入江と呼ぶ。

その入江は、築城の際に内堀を残す形で埋め立てられ、
堀に面した地域には徳川に近しい大名の上屋敷が立ち並んだ。

幕末の安政2(1855)年、江戸を襲った直下型地震では
その大名屋敷の多くが壊滅的な被害を受けたという。
埋め立てから約250年が経過しても、地質学的には新しい。
軟弱な地盤だったというコトのようである。

現代のビルは頑丈に作ってあるだろうし、基礎杭も地山まで
打ち込んであるはずだが、道路などの陥没も有り得るかも知れんね。

参考文献
「安政江戸地震 災害と政治権力」野口武彦(ちくま学芸文庫)

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2006.10.17

大名工事中

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江戸時代、今の丸の内エリアには大名屋敷が立ち並び
「大名小路」と呼ばれる通りもあったとか。

丸ビル近くの工事現場では、こんな看板が出入り口にあった。
どうやら「大名小路に面した出入り口の1つ目」であるらしい。

大名のナンバーワンって、誰なんだろう。

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