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2006.11.10

出張旅行記(3) 遡ること一千二百年の城

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城跡といえば、かつての「国府」多賀城址にも行ったっけな。
仙台出張のついでだった。

国府は律令時代の地方政治拠点として1つの「国」に1つずつ設けられ、
東京や広島の「府中市」など現在の地名にも残っている。

国府の立地は、当然ながら国の全域を掌握しやすい場所が好まれた。
このような場所は、時代が移ろっても変化しない場合もあるし、
また逆に為政者の都合や社会状況などで変わるコトもある。
現在では場所が明確に判明していない国府の方が多いから、
後者のケースが多かったのは間違いないだろう。
時代の変化で人が去り、国府の記憶も一緒に失われたのだ。

古代、畿内政権にとって北の辺境であった陸奥国。
多賀城は、広大な陸奥国を治める国府であると同時に、蝦夷と呼ばれた
辺境の異民族を制圧する軍事拠点、すなわち鎮守府でもあった。
その役割から、規模も内容も他の国府を上回り、九州全域を司る
太宰府(もちろん天満宮ではなくて政庁だった方)に近かった。

後世、多賀城は為政者から忘れ去られ草茫々になって木も育つ。
切りっぱなしの杭など数年も待たず草が生えるほどだから
ヒトの一世代も過ぎれば建物も記憶も朽ち果てよう。
跡地は天然の緩い丘陵と何ら区別のつかない姿となっていった。
いつしかそこに鍬が入り、普通の農村となる。

ただ偶然にも、文字の刻まれた面を下にして倒れた石碑が、草に埋もれて残った。
これを建てたのは高位の中央貴族だった。後には父親が起こした政変に加わって
一緒に戦ったが、あえなく敗れたので反逆者とされた。
だからその碑が倒されていたのではないかとも言われる。

それはともかく、この石碑には歌人とか俳人とかいう連中が妙に集まる。
わざわざ京や江戸からえっちらおっちらやってきては感動したり何か書いてたりする。
こりゃ観光名所になるぞってんで地元の人々が掘り起こし立て直した。
さらに後には御大層な覆堂まで作られている。

石碑は「京を去ること一千五百里云々」と書き出す。
こんな辺境まで、わざわざ都からやってきて巨大な建造物を建て
キラキラ輝く物品を並べ、統率の取れた軍勢を連れて方々を巡り
朝廷の威光を示そうとした古代貴族の中の人も大変だったろう。

そんなコトを考えていたら、帰りがけに雨模様となった。
博多出張のついでに訪れた太宰府も雨だったな。
ヒトの作ったモノは、水の恵みを得て微生物と植物とが須く土に返す。
神様だって、このクニで命脈を保つためには新しい家が必要になる道理だ。

風雨に晒され一千年も経てば野望はおろか怨念さえ朽ちる。

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