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2006年11月

2006/11/30

㌧㌦わ。飛んでいく。

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本日は出張也。
飛行機は嫌いじゃないが好きでもない。
しかし空港は、全くの苦手だ。

仕事柄、および個人的な趣味のおかげで持ち物が多いから、
手荷物検査では時間がかかるし手間もかかる。
金属探知器ゲートは必ずチャイムを鳴らす。

重たい荷物を出したり収納したり、それらを持って移動して、
一息ついたと思ったら搭乗案内のアナウンスが流れてきて、
また重たい荷物を持って狭い機内通路を這いずって歩いて。

最近はワイドボディが当然になってしまったから窓際の席を確保できるのは
単純な確率で言えば全体の1/4以下。ナローボディなら1/3くらいだったのに。
外界の風景も見えやしないし国内エコノミーでは機内画面もロクに見えない。

トータル1時間くらいが空港で費やされ、たいていは2時間もかからず現地に到着。
この空港で費やされる時間と手間と精神力が、何とも言えず苦手だ。
最近では諦めて読書などで費やすコトにしているが、昔は所在なく佇む以外になかった。

この待ち時間が少ないから、鉄道の方が好きなのだろう。
移動中だってシートベルトに拘束されるコトもなく、窓際に座れる確率も1/2くらいだし、
そもそも窓が大きいから窓際の席でなくても外は見える。

途中で下車乗車する人たちの動きを眺めるのも良い。
通過駅のホームには、また別の世界が見える。
なにより、地上に近い視点なので風景に現実感がある。

一見、より自由度の高い存在に見える航空機だが、
実は地上の交通手段よりはるかに制約が厳しい移動手段だ。
自分の身で飛ぶのも悪くはないが、むしろ思索の翼をこそ飛ばしたい。

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2006/11/29

新鮮な遺跡

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「すたびれてぃい」
廃れて寂れてイイ感じに安定(あるいは準安定)した状態を、勝手にそう呼ぶ。
人の好みは多種多様で、この「すたびれてぃい」な趣味ってのも、たまにあるのだ。

日本には廃線だの廃屋だの廃工場だの、そういうのが好きな連中がいて、聞いてみれば
管理人を拝み倒して廃鉱に潜ったり、船をチャーターして軍艦島まで行ったりするそうな。
その手の写真集は書店でも相当な人気があるようだ。

建造物が古ければ古いほど好きなのかといえば、そうでもないらしい。
たいてい、この手の輩は、鉄が腐食しきる前の状態を好む。
だから古代遺跡には、あまり興味を示さない。

朽ちたコンクリートも好まれる。特に鉄錆がコンクリの表面を染めて
赤い模様を残したのがたまらないという。
てコトは日本でいえば少なくとも明治以降でないといけないらしい。

滅び行くモノは美しいとでも言うのか、
滅びつつある状態こそが好まれるというワケだ。
滅びきった状態は、まあ日本だと土に還ってしまうのだけれども。

このクニでは、記憶も、すぐ風化する、ような気がする。
セルフリフレッシュDRAMのように繰り返し恨み辛みを語り継ぐ人々もいるようだが
慌ただしく季節が巡り、食えるモノも日々違ってくるような地では、覚えておくのも大変だ。

それはそれとして。
半永久的と言われたコンクリート建造物も鉄筋の錆によって内側から割れて崩れる。
ヒトの行ったコト、作ったモノなど、所詮そんなもんなんだろう。

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2006/11/28

人を飲み込む穴 沢 山

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吉見百穴は縄文期の大規模集団墓地として知られている。
関東平野と秩父山地との間、浸食され残った低い丘陵が沖~洪積層に入り混じるあたり。
その丘陵の地山、凝灰岩に、掘り込まれた墓穴は200基以上。

同じ吉見町に、同様の集団墓地がある。2~3km離れた丘の黒岩墓穴群だ。
こちらは本格的な調査が入っていないものの、推定された墓穴の数は500基あまり。
表土と下草に覆われて全体像は見えない。発掘前の吉見百穴も、かくやあらん。

黒岩の丘の麓には、小さな湖がある。
周囲が遊歩道として整備されているので歩いてみれば、一周わずか2kmほど。
湖岸には5つほどの入り江があり、平野の水田に面した側が直線的だ。

入り江は、どれも丘の谷間に食い込むような形になっている。
谷間の奥は湿地のようになっていて、細い流れが湖に入り込んでいる。
ここは八丁湖と呼ばれているが、人工的な溜池であるのは間違いない。

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おそらく弥生時代か律令時代、目の前のアシ原を水田にしたいと考えたヒトビトが
低い丘からいくつかの沢が合流して川になっているトコロに目をつけ開発した。

谷は険しすぎず低すぎず、水量もほどほどで、上手に堤を築けば堰き止められる。
アシ原に水路を穿ち、微妙な高低差を活かして、その水をまんべんなく流す。

こうして、ちょっと大きなムラ全体が豊富なコメで幸せに暮らせるようになった。
このような、丘陵内の溜池らしい場所は、地図上でも付近に多数が見いだせる。

特に文献などを調べたワケではないので、ひょっとしたら違うかもしれない。
しかし大きくハズレているとも思えない。それが日本の古い農業の形のはずだから。

地味豊かなアシの原っぱで瑞々しく穂が実るクニ、といった意味の古い言葉もあったな。
(アシが生い茂る前は、海を掻き回して落ちた泥が積もって出来上がった島、だったか)

日本における初期の水田耕作は平野部の周辺を蚕食するように広がって、
徐々に大平原(といっても大陸規模で言えばささやかなものだが)へと浸出していった。

水量の多い大河川を御せるようになったのは戦国時代の終わり頃から。
大規模な新田開発は土木や利水技術の発達と太平の世を待たねばならなかった。

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吉見百穴に戻ろう。
先の大戦中、ここには中島飛行機の工場の疎開先としてトンネルが掘られた。

石器でコツコツ削った縄文の穴は小さく狭く奥行も浅いが丁寧に作られている。
近代的な工具を使用したはずの昭和の穴は、しかし荒削りな印象を受ける。

大戦末期の泥縄作業で、とりあえず場所を確保すればいい、という程度だったのだろう。
結局その穴は、ほとんど使われず8月15日を迎えたと聞いている。

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百穴の片隅には、ヒカリゴケがひっそり棲息している。
きっと縄文人が穴を掘ってしばらくして、そこに入り込んだのだろう。
数千年に及ぶであろうヒトの業など、何処吹く風と言わんばかりだ。

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2006/11/27

readme_ifyouwant.毒

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済し崩しに日刊となって約1カ月。このblogを読んでいる人たちは、どう思っているのだろうか。
きっと、書き手が伝えたいと意図したのとは違う感想を持っているに違いない。

少々のアクセスはあるので、一応、目を通してもらっている前提で想像してみた。
もちろん[実は誰も読んでなかった]という可能性も否定はできないが、そうでないという大前提で。

>> 仕事よりずっと捗ってるじゃないか
なにせ、まっつぐには仕事できないので……

>> こんなの書いてるくらいなら、もっと仕事すりゃいいのに
マトモに仕事できないからこそアウトプットした分だけ支払ってもらうパートタイム労働をしているので……

>>会社が与えたリソースで何やってるんだ
会社の判断として認めないのならスッパリと切り捨てた方がいいかも。企業って鋭利なんでしょ? ヒトくらい一瞬で切れるよね。

こんな感想も、有り得ない話ではないと思う。
ていうか、どんな人がどんな表情で言いそうだなと想像しつつ書いてたりするのだけど。

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どんなに言葉を尽くしたところで意図を汲んでもらえるかどうかは受け取り手次第。
文章は読み手市場なのだな。芸術の類も、その意味では大差ない。

いやそんな高尚な芸術なんぞに駄文をなぞらえるつもりなんてなくてね、
どんな情報だって曲解されないとは限らないってコトを言いたいのだ。

養老孟司の「バカの壁」は売れたから読んでないんだが、なんとなく想像がつく。
通常、ヒトの脳味噌は、必要だと思える情報しか受け取らない仕組になっている。

でないと膨大な情報を処理しきれずオーバーフローするか、
そうでなくても迅速な判断を下せなくなって生存の機会を逸する危険があるからだ。

リソースに限りのある脳味噌をタイミングにシビアな競争の中で上手に使いこなすには、
巧遅より拙速を重視した味付けのプログラミングが欠かせないというだけのコト。

迅速さへの要求が自然界よりさらに厳しく、膨大な情報に翻弄されがちな現代社会では、
この部分に磨きをかけた連中の方が競争に勝てる可能性が高い。

でもって、そんな連中を相手にすると疲れてしまう。反論しようと思ったけど、やめた。
次から次へと話を繰り出すもんだから、どっから手をつけても追いつかない。

当たり前だよな。あっちは敵を蹴落とすために言葉を吐き出してるんだから。
同じ日本語なのに、これだけ相手を突き刺す使い方ができるなんて、ある意味で驚異的だ。

聖人君子じゃあるまいし、人生の中で誰をも苦手にしないなんて無理。
そんなのが出てきたら、その場をしのぐのが精一杯。どうにか逃げ出さずにいられるだけ。

いいよいいよ、考えの遅いヤツなんか押しのけて置き去りにして勝手に行ってくれ。
せいぜい今後は、その進路の前に飛び出さないように気をつけるからさ。

心配は要らない。アンタ等とは違って走るのが遅いからさ、
駆けっこで負けたトコロで恨みはしないよ。それ以前に、駆け競べする気なんてないし。

まあどうせ押しのけた相手の末路なんて目に入るコトもあるまいし、
後ろから声をかけたところで耳に入るハズもないんだろうけど、一応。

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生物学的な言い方をすれば、ヒトなんて10万年以上もホモ・サピエンスをやってる。
脳だって特に進化してるワケじゃないから、余計に今の人々は拙速な処理に頼らざるを得ない。

電車内などの空間では他人を押しのけ自分の占めたい位置を真っ先に確保しようとする。
周囲の騒音をかき消すために大音量でヘッドホンを駆動する。ケータイでも大声で喋る。

姿勢良く座れないから足を開いて伸ばす。下ろすのが大変だから鞄は背負ったままバンパー代わり。
他人の視線や意識、あるいは存在といったモノを計算要素に含めない方が効率的だから、そうする。

そりゃ誰も話をマトモに聞いてくれん罠。
じっくり話をしたいなら、現代社会からハミ出した連中を相手にした方がよっぽどいい。

まあ世の中なんて、そんなもんなんだろう。
そこらのシリコン片みたいに脳味噌にもムーア則が適用できたら良かったのにね。

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毒気……ってほどにはならなかったかな。

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2006/11/26

黒雲靡く生田台

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毎年恒例となっている研究室のOB会に顔を出してきた。
基本的に学祭の日程に合わせて行われている(たまに学祭は中止になるが)。
いつも夜だけ参加なのだが、今年は久々に母校まで足を伸ばしてみるコトにした。

新宿からの私鉄は高架化工事が終わって、ずいぶん変わってしまった。
大学の最寄り駅は大きく変わっていなかったが、駅からの道も若干変わった。
毎日のように食っていたラーメン屋がなくなっていたり、見慣れぬビルが建っていたり。

大学の直前の踏切の角にあったコンビニも消えていた。
その向こうには何か建物があったような気がするが今は駐車場で、
警備員室から先の急な坂道ががよく見えるようになっていた。

かつて10kgあまりの荷物を背負って駆け上がっていた入り口の坂を、
今はゆっくり踏みしめて登るが、それでも息が上がる。
坂から見える紅葉は変わらない。

キャンパスは狭くなった。
いや別に、オトナになってから幼稚園や小学校に訪れた時の感覚とは違って。
十数年前には空き地だったトコロに研究室棟が幾つか建てられていて、模擬店はその谷間を埋めている。

かつて在籍していた研究室は後に新しい棟へ移ったので、探さねばならなかった。
少々歩き回って、ようやく研究室のあるフロアに到着してドアの研究室名を見つつ歩くと
白衣を着たままの後輩と出くわしたので案内してもらった。

研究室の狭く雑然とした雰囲気は今も昔も同じらしい。
テーブルには、1970~80年代と思しき記録装置が置かれていた。
先の後輩に聞いてみると、温室の片隅から引っ張り出してきたのだとか。

高温多湿の温室でも使えるようなデータロガーが不足したため、窮余の策として使うつもりらしい。
スイッチを入れると動く。電気的・機械的な故障はないようだ。
「しかしコイツ、電源60Hzって書いてあるぞ?」「マジっすか!? 参ったな……トランス買ってこなきゃ」

実験機材にはカネがかかる。しかし二流大学に潤沢な予算など期待できない。
企業研究者から大学に戻ってきた担当教員は、いくつかの企業と共同研究契約を結び、
そのカネで、なんとか実験を続けられるようにしていた。

「学生を会社に身売りして稼いでる」と自嘲する恩師。
それでもポケットマネーの持ち出しばかりなのは、当時の学生も勘付いていた。
ここの大学の知財移転組織の活動内容は二流以下だから、よく当局と喧嘩している姿も見た。

その晩、OB会の席で師は学内起業家の話をしていた。
「ある商学部の先生も、学生にビジネスを教えるためにと自ら率先して起業したそうだよ。
私も何年かの間には、やらなきゃなと思ってるんだ。儲かるかは分からないけどね」

硬直した組織を動かすのは1人でできる仕事じゃない。
他の学部に似た考えの同僚がいるのと知って、さぞかし心の支えになったコトだろう。

東京で120年以上の歴史を持つ名門大学。かつては一流と称えられた。
しかしそんな栄光にあぐらをかいていられる時代ではない。すでに二流に転落した。

いや、そもそも理系の学部は戦後創設じゃなかったっけ?
この理系キャンパスって旧陸軍特殊部隊の研究所跡地だろ?

伝統なんて最初からないじゃないか。
虚像に乗るなんて、我が母校ながら情けない。

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OB会では一次会、二次会と飲みつつ語り、最後は結局、カラオケで朝まで時間を潰した。
とにかく元気だけどあんまりカネがない大学生らしい時間の使い方だ。

今の現役生は一回り以上も若い。もう暫くすれば、恩師の方が近くなってしまう。
数年振りに会った同輩は中年鬱になりかけたというが、せめて彼らから元気を貰ってくれれば。

さて、あの研究室の記念すべき一期生としては、彼らに何を伝えられるだろうか。

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2006/11/25

理系用語で読み解く社会(5) 相場が空を飛ぶ

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もともと航空機の専門用語だった「失速」という単語は、
すっかり経済用語として当然のように使われている。
航空機は鳥と同じく象徴として認識しやすいから、その用語も応用しやすいのだろう。

本来の意味では、対気速度不足や迎え角過剰などの原因によって揚力が不足し、
その結果として高度が下がったり姿勢が変化してしまうといった事象を表している。
速度を失うコトそのものではない。グラフの線が下降するのをなぞらえたか。

ちなみに、増速した結果として姿勢が変化して失速に陥るケースもある。
以前にも書いたフゴイド運動というのは、この失速状態が繰り返し生じる飛行パターンだ。
いろいろな形の紙飛行機を作っていくと、たまにこのような運動をするモノができる。

飛ばした直後、機種上げで上昇し、それにつれて減速して失速に陥る。
今度は機首下げ状態で降下して増速し、増速した結果として機首上げとなって
再び上昇していく。この繰り返しだ。上昇-下降の状態振動とも言える。

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失速状態では、ミクロに見ると翼の上の気流の流れが崩れている。

専門用語で「層流」と呼ばれる状態、すなわち気流が上下関係を崩さず
翼の上下を整然と流れている状態、これが揚力を発生する本来の姿だ。

迎え角が大きくなると翼の前縁で気流が剥離し、背面に回り込むような流れができてしまう。
こうなると揚力が生じなくなり、機体の姿勢も狂ってしまう。

社会が揚力を失うのは、内在する階層が剥離したときではないだろうか。
逆に、階層が固定化している状態は安定した社会と言えるのだろう。

ただしそれは、周囲の状況が一定であるならという条件に限られてしまう。
実際の空は、風洞実験の如く常に安定した気流の中を飛べるとは限らないのだ。

航空機によっては、高い迎え角の状態でも気流が剥離しにくいよう、
翼の上に小さな渦を作るような仕掛けを施しているモノもある。

あえて一部の層流状態を崩すコトで、全体が失速しないようにするらしい。
コントロールされた混沌で、全体の秩序を守るというコトになるか。

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2006/11/24

出張旅行記(7) そこは雪国のようだった

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> 岐阜羽島駅前。晴れ。積雪20㌢㍍超くらい。
> 新幹線ひかり365号は定刻より20分ほど遅れて到着。
> 名鉄に乗って岐阜へ向かう。

ある冬の日、出張先から友人に宛てて送ったメールの書き出しだ。
前夜から東海地方で記録的な大雪となっていたため、余裕を見て2時間ほど早く東京を出た。
特に名古屋周辺の積雪が激しく、東海道本線はノロノロ運転、
名古屋からの名鉄も大きく遅れていた。しかし新幹線の遅れは小さかった。

> 時間が読めないことだけが懸念だったが、今のところ周辺は晴れてる。
> 電車の窓はUVカット仕様だろうけど、停車してドアが開くとそこから外だけ
> やけに紫っぽく見える

岐阜羽島まで出てから名鉄に乗るコトにしたのは正解だった。
このあたりだと名鉄の遅れはわずか数分で、特に混雑もないし、笠松での乗り換えも順調。
目的地の岐阜駅に到着してから近所を一巡りするくらいの余裕があった。

> 岐阜は豪雪地帯ではないので、積雪対策が弱い。
> 車道はクルマの往来であらかた溶けていたが、歩道などは
> ほとんどシャーベット状だったな。
> 岐阜羽島-新羽島駅前ロータリーなど人通りの少ないトコロでは
> 「獣道」が1本あるだけ、なんてのもあった。
>
> しかし重心が低いので気にせず歩く。
> アスファルト路面を歩くよりは遅いが、割と普通に移動できるのは
> 我ながら便利な体質だと思う次第。

岐阜駅前には酒蔵がある。そこで水を汲み上げて醸しているのだという。
都市内の地下水など雑味が混じってしまうと思うのだが、岐阜では大丈夫らしい。
仕事を終えて立ち寄ったら、何人かの戦国武将の名を冠した銘柄が並べられていた。

いくつか味見をさせてもらって、代表格らしき銘柄「織田信長」の中から薄濁りを買って帰る。
一般受けの良さそうな淡麗辛口の味わいだった。
4世紀以上も過ぎると、ほとんど上澄みしか残らないんだね、織田さんみたいなアクの強い人でも。

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2006/11/23

出張旅行記(6) 妖怪ポス㌧

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鳥取出張では、米子市と鳥取市をハシゴしたコトがある。

このときは米子で半日ほど余裕を作り、境港まで足を伸ばした。
境線の2両編成の列車は、水木しげる翁の版権キャラクターで覆われていた。
そういえば境港市は翁の生まれ故郷だったか。

米子から境港までは砂嘴になっている。標高など数mもないだろう。
列車は平坦な線路を、いくつもの駅に停車しつつゆっくり走る。上空を着陸態勢の航空機が通過する。
近くには自衛隊や海上保安庁の航空基地も併設された米子空港がある。

境港は一般的な入江を利用した港ではなく、砂嘴の先端で中海の出入り口を扼する要衝だ。
冬の季節風や荒れがちな日本海からは、目の前にある標高300m前後の美保関の半島に守られている。
昔なら、喫水の深い外洋船と内海用の小型船との積み替えに重宝したコトだろう。

境港の駅に隣接してフェリー港の施設がある。
隠岐諸島を巡る船のターミナルだが、岸壁に面した側は
金属板を組み合わせた、妙に前衛的なデザインの壁になっている。

外に出たら、今度は別の前衛的デザインに出くわす。
「目玉オヤジ」の眼球を模した街灯だ。よく作ったものだと感心するが、深夜に見たら気味悪かろう。
駅前広場の郵便ポストにも「ゲゲゲの鬼太郎」キャラがあしらわれている。

メインストリートと思われる通りを歩いていくと商店街に入り込む。
商店街の各所に、やはり「鬼太郎」キャラを中心とした銅像が並んでいる。
店構えも、それっぽく作られたトコロが多い。商店街の先には水木しげる資料館(だったかな)があるらしい。

通りがかった郵便局は意外にも普通だった(郵政公社になって変わったかもしれんが)。
その局のオリジナル絵葉書はインクジェットだったが、当然「鬼太郎」「猫娘」「子泣き爺」「砂かけ婆」……。
消印も水木しげるキャラがあしらわれているらしいので、その場で実家や友人に一筆。

しかし実際にどんな消印だったのかは見ていない。
そのへんが旅先からの手紙の難点かもしれん。
自宅宛にも出しておけば良かったか。

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そういえば、あと2~3人(?)くらい、主要キャラの名前が出てこなかったな。
大丈夫、もちろん彼らも街角に立っていた。
どこにいたか忘れたけど。

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2006/11/22

出張旅行記(5) 凍えそうなカモメ、いませんでした

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出張の帰りに連絡船を使ったコトがある。
本四連絡橋のおかげですっかり存在感が薄れてしまったが、瀬戸大橋より少し東側の
高松港と宇野港を結ぶ宇高国道フェリーは、まだまだ地元では現役の交通手段。

すっかり夕方の時刻だったが、夏なので日は暮れていなかった。
高松フェリー港の狭い乗船待合室には、数人の客が待っていた。
ガラス張りで、海側に遮るものもなく、西日が暑い。

料金表を見上げると、通勤・通学用定期券の値段も書かれている。
待合室の外に原動機付き自転車を停めた若い女性の手に、一瞬それらしい紙片が見えた。
ルートや他の交通手段によっては船の方が便利なのだな。1時間の航路は寝ててもいいし読書でもいい。

待合室に接岸を知らせるアナウンスが流れた。
岸壁を見ると、ちょうど乗降ランプを下ろし終わって車が走り出していた。
ランプの前の待合レーンには、いつの間にか10台近くの車が並んでいる。

短い航路を往復するだけのフェリーは前後に乗降ランプが設けられていて、
前後どちらにも進めるよう推進器や操舵室も両方向に作られている。
鹿児島で乗った桜島フェリーも同じような構造だった。波の穏やかな内水域では割と一般的な構造らしい。

車は常に前向きに乗船し、前向きに下船するので時間の無駄がない。
桜島では徒歩客専用のボーディングブリッジが設けられていたが、ここでは徒歩でも車両デッキから乗る。
車両デッキから客席デッキへと鋼鉄製の階段を登る快い足音が響く。

客席は、けっこう広々としている。客が多くないから余計にそう見えるのかもしれない。
おかげで針路方向を見渡せる場所に座るコトができた。
西日に目を細めつつ、近づいては去っていく島々を眺める。なるほど、多島海だ。

到着した宇野港は静かだった。徒歩3分ほど離れたJR宇野駅も静かだ。
ダイヤを見ると本数も非常に少ない。本四連絡線の1/3か1/4くらいじゃないだろうか。
昔のざわめきは、どれほどだったのか。知らぬ者には想像し難い。

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かつて、氷河期には海面が低下し、瀬戸内海は湖になっていた。
そして多くの島々は、湖の内外に点在する山々であった。

日本の南方、今では東南アジアと一括りに呼ばれている地域でも、
現在の無数の島々があるあたりに広大な平原があった。

「スンダランド」と呼ばれるその土地は、一説によると
バナナやパンノキなど食用植物の故郷でもある。

バナナは1万年あまりヒトに利用されてきて野生種から大きく隔たった。
一方、パンノキは栽培されているとも野生とも言えない状態で利用されているのが現状。

集落の近くに植えるのはヒトの手によるものだろうが、それは勝手に育って勝手に実り、
放っておくだけで空腹を満たすだけの食物をもたらしてくれる。

昔のスンダランドは、どれほど暮らしやすかったのか。やはり想像し難い。

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2006/11/21

枯木に花は咲きません

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(旧山猫軒・片岡昌企画展にて)

いつか枯れた老人になりたいと思っていた。
世の中のあれやこれやを風と受け流し、ただ立ち枯れるのも良いと思っていた。

しかし、寄り道や散歩が趣味である以上、そうなるのは難しいという気がしている。
五感を働かせて歩き、新しい発見を楽しむコトは生命力を得る行為でもある。

そもそも、本当に枯れてしまったら、それは生きてないのだろう。
せいぜい良くても腐って腐植土になり、来年の草の肥料になる程度だ。

だから枯れてるようでいて枯れてない、そんな形になっていこう。
まあ枯れてしまうより先に書くネタが尽きてしまうような気もするが、それはそれで。

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胸を張って肩で風を切るような気概は持ち合わせていない。
しかし猫背になって風に身を切られるようになるつもりもない。

世間には「権利があるなら取らなきゃ損」的な考えを持っている人がいたりするけど、
本来は「必要なときに必要なだけ使うものであり、その目的のために
不要な場合でも留保されているのが権利」だと思うのだ。
たとえば発言する権利は持っているが、普段はあんまり使わない。それだけ。

発言する権利の行使は、考えるだけで面倒だ。
口下手というのか、特に話題が出てないトコロに話を切り出すのは得意じゃない。
だもんだから、まあなんとなく、思うトコロあっても言わずに済ませてしまったコトも多い。
どうせ忘れっぽいから、しばらく別のコトを考えてれば気にならなくなる。

というワケで、かなり内向的な性格であるとは自覚している。
こんな中身と、外見とのギャップに戸惑う人も少なくないんじゃないだろか。
「わかりにくいヤツ」とは、よく言われる。自分自身でさえ一言で表現できない。
せいぜい「散歩好き」「寄り道好き」「変人」くらいか。でもヒトって、そんなもんだろ?

まあ少なくとも外見はアグレッシブっぽい雰囲気を醸し出しているように思う。
それは単に、他に似合うファッションが見つからないとか、
おとなしめのスタイルよりも邪魔者扱いされにくい(気がする)、というだけの理由。
少なくとも、それなりに人目を惹くから、小さい体格でも見落とされにくいとは思う。

これは、現代の日本の都市という複雑怪奇な社会に
なんとなく適応してきた結果かなあ。

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2006/11/20

どこにもないから"utopia"

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この世にないもの

バグも脆弱性も一切ないソフトウェア
いつまでも最先端の技術
どんな問題でも解決する魔法の粉末

間違いのない人間
欠陥のない社会
確定した未来

確実に泣ける小説
絶対に感動する映画
必ず笑えるバラエティ番組

知らぬ者のないウタ
誰もが知っている真実
どんな人にも伝わるコトバ

死ぬコトのない肉体
壊れるコトのないカタチ
損なわれるコトのない価値

匂いの真空パック
声の化石

将来の思い出と、あの日から先のアイツの人生。

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幾度目かの命日に墓参しながら、そんなコトを考えた。
数々の思い出の中で、若いままのアイツだけがセピア色だ。
静かに墓石を濡らす冷たい雨の中、線香の煙が目に染みる。

てんで稼げず、七回忌さえ貧乏で諦めた甲斐性なしの夫。
お前さん、つくづく男運がなかったのだな。
でも、「薄幸の」なんて形容詞、お前さんには似合わない。いや、似合わせない。

許せとは言わないでおくよ。まだ今のところは。
そっちに行くのは何年先か分からないが、
愚痴は、そのときたっぷり聞いてやる。

心配しなくてもいい。こっちはこっちで、なんとかやってる。
生活は相変わらずギリギリだが、お前さんが最後に選んだ男は
そう簡単に死にゃしないし、もうちょい老けないと芽も出やしない。

ところで、そっちの酒は旨いかね?

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2006/11/19

このクニのカタチ・続編 ニッポンのお役所仕事?

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a)「マネジメントの標準はPDCAサイクルを回し続けるコト」
b)「信仰の基本は神様の家を定期的に造り直すコト」

この2つは似ているようで、違う。

aは内在的動機によって行われる能動的活動だが、
bは一見能動的に見えて受動的である。日本的とも言えるか。

というのも、このクニではモノみな腐るから。
放っておけば作物が育ち、やがて食えるのだから能動的な活動は不要。
しかし収穫物を放置すれば腐ってしまうから、若々しさこそが生命力ひいては将来の
繁栄を示すのであり、その力を新生し続けてこそ神様も神様たり得るのである。

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借り物の肩書きだからこそ常に「こんなもんでいいのかよ」と思えるのかもしれない。
完全に組織内にいるのでないからこそ常に「こんな組織でいいのかよ」と。
世間に居候している感覚だからこそ常に「こんな社会でいいのかよ」……と思ってるかなあ?
それはともかく。

すぐ腐って駄目になるという前提で取り組むのが日本的なのではないかとも思う。
が、どうも他のトコロからの影響――たとえば儒教か何かだったと思うが、
本当に良い政治というのは庶民に何も意識させないコトだ、なんていう考え――
が入ってきて、ヒトを交えたシステムは容易に儀式化する風潮になったような気がする。

「腐敗と発酵の違いはヒトにとって役立つかどうか」などという言葉もある。
いったん旨い酒ができるようになったら、同じ環境で同じ製法を守り続ける。
そうすると「蔵付き酵母」が蓄積され、自然に同じ味が作れるようになってくる。
別の蔵では蔵付き酵母が違うから、全く同じ製法でも味が微妙に異なる。

パストゥール以降の技術を取り入れた発酵品生産では、微生物が付着しにくいホーローや
ステンレスのタンクを使い、バッチごとに殺菌を行って、きちんと調製された菌株を必ず毎回
投入してやることで、その品質を保つようにしている。
実に工業的な方法だが、むしろ神様の家を造り替えるのと似た感覚なのかもしれん。

じゃあいっそ、定期的に組織の中の残留菌体を殺菌して処分し、
新しい菌株を放り込んで組織まるごと作り直すってのはどうだ?
え? もうやってる? お役所で?
そりゃただのローテーションだろ? 中身変わってないんだから腐敗菌も残るさ。

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2006/11/18

所持品紹介(2) 大きな玉を、手の下で。

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「その生きものは熟練工が持っていたすべての技術を習得して職工を追い出してしまった。
けれど、たったひとつできないことがあった」。それを行うには「人間の魂がいるのだった」
――ロード・ダンセイニ「妖精族のむすめ」(荒俣宏訳)より

機械は魂を持たないから、ヒトが「あのへん」と示した場所を認識することができない。
魂を持つヒトの仕事は、機械に分かる方法でそれを教えることだった。
それを教えてやらないと、「魂のない多忙な生きもの」は何をしたらいいのか分からない。

ポインティングデバイスの機能は、カーソル移動とボタンによるコマンドの2つに分けられる。
ただボタンを押したいだけだったのに、手が滑ると勝手にカーソルが逃げてしまうマウスは
あまり好きになれず、昔は専ら、移動とコマンドを独立して操作できるトラックボールを使った。

でも、一番のお気に入りだった“大きな赤い目玉のナメクジ”は、もう使っていない。
昔からずっとノートPCばかり使っていたが、最近のノートPCにはナメクジを接続できる
端子を備えた機種がほとんどなくなってしまったので、さすがに諦めた。

そのトラックボールが対応していた端子は、今では「legacy」と称されている。
機械が伝統を手軽に捨ててしまうのは魂を持っていないせいか。
熟練工を追い出した後には、過去の機械を追い出す新たな機械が登場するというコトか。

といっても魂を持っているはずのヒトだって他人の示すモノを確実に認識できるとは限らないし
伝統を省みないヒトも少なくないのだから、魂の有無など大きな違いではないのかもしれん。
いや、あるいはもしかしたら、“作りものの魂”を持ったヒトがいたりするのかも。

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2006/11/17

理系用語で読み解く社会(4) 感性の法則

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止まっているものは、そのまま止まり続け、
動いているものは、そのまま動き続ける。
外的要因がなければ。

動いているものが他のものと衝突すれば
どちらも新たな方向に動き出す。
運動エネルギーは両方のものに分配される。

動いているものが他のものと接触すれば摩擦が発生する。
摩擦は仕事をもたらし、そして次第に動きが遅くなる。
運動エネルギーは熱や音などに変換される。

やがて動きが完全に止まってしまえば摩擦もなくなり
そいつは仕事をしなくなる。
新たな運動エネルギーを得て動き出さない限り。

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2006/11/16

所持品紹介(1) 茶革の手帳

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ふと考え事をして、メモして、また考える。1人でいるとき、そんな行動パターンがある。
風流を気取ってるワケじゃない。ただただ脳内でシミュレーションするよりも、
あるいは誰かと喋っているよりも、文字を並べた方が考えを組み立てやすいのだ。
といっても文章に自信があるというワケでもない。意図通りの内容を盛り込むべく、いつも散々悩む。

それでもやはり、文章を組み立てる方が、いろいろな点で喋るより良いと思う。
そもそも脳内で作られたままの情報は、外から入力された情報よりも揮発しやすい。
(頭に浮かんだコトをすぐ忘れてしまう貧弱な記憶力の持ち主であるコトも問題ではあるが)
だからメモを取ることで視覚情報によるフィードバックをかけて、擬似的に外部入力とする。

たとえば夢の内容を記憶し続けるのは難しいが、
枕元にメモ用紙を置いといて、目覚めた直後に夢の内容を書いておくと忘れにくい。
ベンゼン環の構造を解明した学者の逸話からも、
そんな脳味噌の仕組みが伺える。

口に出して語っても耳からフィードバックされるだろうから、おそらく同じような効果はあると思う。
でも書いておけば、後で文字が形として残るので、記憶を強化する効果はさらに強いはずだ。

こんな「書いて考えてまた書き込む習慣」を持ったのは社会人になってから。

昔はメモなど書かなかった。小学校から大学に至るまで、授業のノートもマトモに書いた試しがない。
ただ教科書を読んでいただけだった。それで充分だったのだから、文字を記憶に取り込むのは得意なのかも。

もともとは仕事の合間に、なんとなく思ったコトを単に書き記していただけだったと思う。
繰り返しているウチに、気付けば習慣になって、癖になって、身に付いた。

過去の思考の過程を垂れ流したノートは何冊になったか、もう忘れた。

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2006/11/15

置き去り錯感・後編 邪魔者扱いだけは勘弁な。

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しかしそれにしても、こんな歩き方だから「まっつぐ」行くなんてできやしない。

都会では、田舎よりさらに置き去り感が強くなった気がする。
散歩をしていると車輪の足に乗った連中が物凄い勢いで追い越していく。

歩行者だって妙にセカセカしていて、道路など単なる地図上の線だと言わんばかり。
そういえばケータイでできるナビなんてのもあったっけな。いよいよ移動は「無駄な時間」なのだろう。

自分以外の通行者は全て邪魔者。自分の安全・効率的な通行に対する脅威あるいは不安要素。
渋滞は単なる障害でしかないし、公共交通機関が止まったり遅れたりなんて以ての外。

コチラにしてみれば、そういう連中が散歩者を邪魔者扱いしてるコトこそ邪魔だと思っているんだが、
まあアチラ様にはアチラ様の大切なご都合があるのだろう。他人の都合を押しのけるほどに。

世の中、試験の成績だの売上高だのという一次元の尺度に特化した連中が突っ走る。
社会のシステム自体が一次元で、そういう連中はきちんと適応してソレを駆動しているのだろう。

しかしヒトってのは多次元の存在じゃなかったか。
一次元からハミ出す部分の方が、はるかに多いと思うのだ。

理解しろなんて贅沢は言わない。ただし、どう認識していようが存在するコトは間違いないのだから、
それを勝手に見落としてぶつかってきた挙句に文句を言ったりするのはやめてくれ。

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2006/11/14

置き去り錯感・前編 目を閉じて何も見えぬまま歩く

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そもそも歳の離れた兄を持つ三男だからか、アグレッシブな性格は身に付かなかった。
兄たちの遊びについていっても、いつも途中で置き去りになってしまう。

同世代の友人も少なくはなかったが、背が低くて筋力も弱いので集団スポーツでは役に立たず、
自然を相手にしたり本を読むといった方向に遊びは絞られていった。

実家のあった集落の周囲は、どの方向にも1km近く水田が続いている。
その半自然環境と、通学路の途中にあった古い神社の境内は、小学生の頃の最大の遊び場だ。

自転車を乗り回すようになってからは市内を走り回っていたが、
中学校では公立でなく電車通学の私立に進んだので、それは遊びよりむしろ通学の足になった。

1人で、自分の足に乗って散歩をするようになったのは、その中学生の頃だったか。
地元には同級生もおらず、なんとなく、いつも置き去りになった気がしていた時期だ。

実家では犬を飼っていたので、その散歩のために水田の中を歩く機会は中学生になっても多かったが
ある夜、ふと何も持たず犬も連れずコートを着込んで冬枯れの田に踏み込んだ、と記憶している。

国道の街灯の列が遠くに見える。実家や近所の家の窓がポツポツと灯っている。
上州からここ武州まで越境してきた空っ風が空を吹き払い無数の星が頭上を覆う。

しかし、そんな光景を目の当たりにした視覚よりも、さらに刺激される感覚があった。
少しツンとくる、だけど不快ではない匂い。肥料にするため籾殻を集めて焼いた煙だった。

春が近づいたある日、また別の匂いに気付いた。代掻きの泥の匂いだった。実家は農村にありながら
農業じゃなかったので田畑の作業を手伝う機会もなく、気にするようになるまで気付かなかったのだろう。

何気なく目を閉じた瞬間、頭上に雲雀が羽ばたいて鳴いているのが分かった。
そして同時に、はるか遠くを飛ぶ回転翼機が非常に騒々しいコトも理解した。

長雨の中、傘を差して歩いて汗ばむようになってきたら梅雨も終わりに近い。
歩きながら実り始めた籾を摘む。口に含んで甘みを感じれば、まだ未熟果だ。

季節につれて目まぐるしく変化する水田の中を歩けば、
四季どころか二十四節気にさえ全身の感覚が追いついていってくれる。

高校、大学、そして社会人と、行動範囲が広がれば、さらに新たな発見が待っていた。
無味乾燥と思っていた都会にも、半ば人工的ながら季節の音や匂いがある。

風鈴の音が目立つ時期には、何も置かれていないのにゴミ集積所から西瓜の匂いが漂う。
パーンと乾いた破裂音に目を向ければ小学校の校庭で徒競走の練習をしていた。運動会が近い。

目を上げれば、そこの出窓に猫がいる。小春日和にしかめっ面して暑そうなのに昼寝場所は譲らない。
どう見てもヒト1人分の幅しかない道路にはわずかな勾配がある。こりゃ水路だったかも。

歩けば歩いただけ新しい発見がある。
その感覚は少年期も青年期も過ぎてなお強まる。

いつまでも、こんなふうに自分のペースで歩いていきたいもんだね。
日本人らしく非能動的に。だけど受動的でなく自分の足で。

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2006/11/13

曲がって曲がって曲がって曲がる

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世の中には、いろいろなカーブがあるらしい。
ヘアピン、スプーン、シケイン、S字、V字、J字、スマイル、バスタブ、スロー……。
なんかワケの分からんモノにまでカーブの名前がついていたりするので混乱する。

どんなカーブがあってもウチの爺様は道を聞かれたときに「まっつぐ」と言ってた。
本人にしてみれば交差点で曲がらない、あるいは場合によっては寄り道をしない
という程度の意味らしいが、文字通り受け取って騙された人も多いと聞いている。

親爺は寄り道が苦手だ。その意味で「まっつぐ」を受け継いでる。
しかしそのくせ地図を読むのが苦手だ。よく道に迷って困っていた。
道を間違えたときは大慌てでUターンして元のルートに戻ろうとする。

逆にお袋は散歩好きだし寄り道も好きで、少しくらい道に迷っても気にしない。
どうせ道は全部つながっているのだから、曲がり角を間違えてしまったとしても
別のトコロで曲がっていけばいいのだという考えである。

そもそも目的地を特に決めない散歩なら迷ったコト自体に意味がない。
たとえ現在地が把握できなくなったとしても散歩は楽しめるのだから。
むしろ想定していたのとは異なる楽しみが見つかるコトもあって、それはそれで嬉しい。

まっつぐ進むだけの効率の良さは理解しているつもりだが、
先の読めない世の中をブラブラと、時には方角を見失ったりしても、
いろいろ寄り道をして散歩していくような生き方が、やはり性に合う。

その過程では、誰も想像しなかったようなモノを見つけられるかもしれんからな。

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2006/11/12

画家は死して絵を残せるか

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寄り道好き、散歩好きの趣味は母から受け継いだものらしい。
母は還暦をとうに過ぎた今も健脚で、「歩こう会」とやらに参加して
月に1度は15kmだか20kmだか歩いているという。

そんな母が都心に出てきたときなどは、同じ趣味というコトで
よく一緒に歩いている。なにせ気付けば10kmを2時間、というくらいの歩き方なので
お互い散歩仲間が少ないのだ。今回は、そんな2人で上野を散歩したときの話。

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不忍池の島にあるのは、たしか弁財天だったか。
周囲には変な石碑がたくさん並んでいる。包丁だの鳥だの河豚だのと腹が減りそうな碑も多い。
その中に混じって1つだけ、ある男の碑があった。

長谷川利行、明治生まれの画家。
強烈な色遣い、そして個性ゆえか社会から疎外されたようなその生き様から
「日本のゴッホ」とも呼ばれている。

若い頃は詩や小説を書いていたが、後に独学で絵を描き始める。
才能を認められるも画壇には馴染めずドヤ街に住み、スケッチ旅行に出たり
肖像画を描いては、まるで押し売りのように絵を換金して酒を飲んでいたという。

胃を患って倒れ、行路病者として病院に収容されて死ぬ。
最後まで手放そうとしなかった行李は、その中にあったであろう
大量の作品やスケッチとともに、全て焼却された。

今に残る利行の作品は、生前に彼が売ったものばかりであるらしい。

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今の寄り道生活の先には行き倒れというゴールがあるのかもしれない。
この先あと何年の人生が残っているか知らんが、果たして何を遺せるか。
行き倒れても後世に作品を遺した利行が、少し羨ましく思える。

利行の碑の説明を読みつつ、うっすら涙を浮かべる母。
社会になかなか適応しようとしない息子の姿と重なったか。
その横顔を見つつ不孝者の三男は思うのであった。

しかし、不忍池を一周しようと歩き出したのに途中から東照宮の方に上がってって
そのまま鶯谷の方まで出てしまうような親にして、この子あり。
人生においてもまた寄り道好き散歩好きなのだから仕方ないのだ。許せ、母よ。

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2006/11/11

出張旅行記(4) 日本じゃぁ2番目の湖だった

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自然の力に対し、しばしばヒトは能動的な働きかけを以て自らの生活を維持する。
ときには広大な湖を農地に変えてしまうほどに。

秋田県大潟村は「日本のオランダ」とでも言おうか。
琵琶湖に次ぐ大きさの湖、八郎潟をほとんど完全に潰して作られた人工の大地だ。

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このときの秋田市出張は、散々だった。
アポイント調整にも手間取ったし、ようやくスケジュールが決まって
予約しようと思ったら秋田新幹線は満席だったし市内の宿も満室。
竿灯祭りの最終日というのを見落としていたのが迂闊だった。

やむなく空路で秋田入りしたが、市街地から遠い。
その日の訪問先は秋田市内と隣町。移動が多く疲労が溜まる。
なんとか仕事を終えて秋田駅の観光案内所で宿を確保したものの、
その晩にはホテルの部屋の鍵を抜きそこねて折ってしまった。
不注意だったから仕方なく自腹で修理代を出した。
いろいろあって、結局は祭りも見損ねた。

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翌日のアポイントは午後からだったが、思い切って少し早起きをした。
通勤・通学客に逆行するように秋田駅から北へ向かう。
「井川さくら」などという妙な名前の駅の次、八郎潟駅で降りる。

駅前にはタクシーが2台。バス停はあるが、当分は来ないらしい。
地図によれば、ここから湖まで1.5kmほど。
天気が良いから歩いてみるコトにした。

田んぼの中の、ほとんど車も通らぬ道を歩くと、すぐ水辺が見えた。
湖の周囲、幅300mほど干拓されず残っているのが、まるで川のようだ。
そこに橋が架かっている。

対岸に渡ったところの十字路にはアイスクリームの屋台が出ていた。
店番をしていた若い色白の女性に、徒歩で来る人は珍しいと言われた。
まったくだ。

干拓地は道の両脇に背の高い防風林があるだけで、
他に日差しを遮るモノもないから夏は厳しい暑さになる。
軽トラがやってきて、夫婦らしき初老の2人がアイスを買っていった。

大潟村の道路は車道の整備状態こそ良いものの、ほとんど歩道がない。
防風林との間は草地。歩行者の存在を念頭に置いていないようだ。
冬は雪に埋もれるだろうし、夏でも歩く人などいないのだろうな。

道の両側に広がっているはずの農地は防風林のおかげであまり見渡せない。
ときたま防風林を突っ切って農地に入り込む脇道があり、その先は本当に広い。
次の十字路に出たら、日本の道だとは思えなかった。

時間がなくなってきたので、ここで引き返す。
後日、地図上で測ってみたところ、最初の十字路から2.3kmの地点だった。
防風林のおかげで風が弱く、正午に近い太陽が容赦なく上から照りつける。

再びアイス屋まで戻ったとき、パラソルの下で微笑む店番の女性が
天使のように見えた気がしたのは熱中症寸前だったからか。
とりあえず、その日2つ目のアイスを注文した。

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2006/11/10

出張旅行記(3) 遡ること一千二百年の城

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城跡といえば、かつての「国府」多賀城址にも行ったっけな。
仙台出張のついでだった。

国府は律令時代の地方政治拠点として1つの「国」に1つずつ設けられ、
東京や広島の「府中市」など現在の地名にも残っている。

国府の立地は、当然ながら国の全域を掌握しやすい場所が好まれた。
このような場所は、時代が移ろっても変化しない場合もあるし、
また逆に為政者の都合や社会状況などで変わるコトもある。
現在では場所が明確に判明していない国府の方が多いから、
後者のケースが多かったのは間違いないだろう。
時代の変化で人が去り、国府の記憶も一緒に失われたのだ。

古代、畿内政権にとって北の辺境であった陸奥国。
多賀城は、広大な陸奥国を治める国府であると同時に、蝦夷と呼ばれた
辺境の異民族を制圧する軍事拠点、すなわち鎮守府でもあった。
その役割から、規模も内容も他の国府を上回り、九州全域を司る
太宰府(もちろん天満宮ではなくて政庁だった方)に近かった。

後世、多賀城は為政者から忘れ去られ草茫々になって木も育つ。
切りっぱなしの杭など数年も待たず草が生えるほどだから
ヒトの一世代も過ぎれば建物も記憶も朽ち果てよう。
跡地は天然の緩い丘陵と何ら区別のつかない姿となっていった。
いつしかそこに鍬が入り、普通の農村となる。

ただ偶然にも、文字の刻まれた面を下にして倒れた石碑が、草に埋もれて残った。
これを建てたのは高位の中央貴族だった。後には父親が起こした政変に加わって
一緒に戦ったが、あえなく敗れたので反逆者とされた。
だからその碑が倒されていたのではないかとも言われる。

それはともかく、この石碑には歌人とか俳人とかいう連中が妙に集まる。
わざわざ京や江戸からえっちらおっちらやってきては感動したり何か書いてたりする。
こりゃ観光名所になるぞってんで地元の人々が掘り起こし立て直した。
さらに後には御大層な覆堂まで作られている。

石碑は「京を去ること一千五百里云々」と書き出す。
こんな辺境まで、わざわざ都からやってきて巨大な建造物を建て
キラキラ輝く物品を並べ、統率の取れた軍勢を連れて方々を巡り
朝廷の威光を示そうとした古代貴族の中の人も大変だったろう。

そんなコトを考えていたら、帰りがけに雨模様となった。
博多出張のついでに訪れた太宰府も雨だったな。
ヒトの作ったモノは、水の恵みを得て微生物と植物とが須く土に返す。
神様だって、このクニで命脈を保つためには新しい家が必要になる道理だ。

風雨に晒され一千年も経てば野望はおろか怨念さえ朽ちる。

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2006/11/09

出張旅行記(2) 雨に煙る城

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同じく2カ所連続の出張で、松山市と鹿児島市を数日かけて回ったコトもある。

それぞれの市で複数の訪問先があって慌ただしいスケジュールだったが、
松山―鹿児島間の1日1往復しかないコミューター便に乗る都合で半日ほど余った。

そこで立ち寄ったのが、市街地の中心にある松山城。
今は公園として整備されている。
やはり天然の丘を利用しているらしく小高い場所にあるが、
高松城や丸亀城とは違い海からは少し離れている。

雨の平日、観光客はほとんどいない。
1人でロープウェイに乗り、城内の駅を降りると目の前に土産物屋があった。
店のおばちゃんが茶を出してくれたので、しばし世間話などしてから
傘を差しフラリフラリと歩き出した。
いささか強い雨だったため眺望は利かなかったが、
むしろ至近にあるはずの市街地からは完全に隔絶され、
まるで亡霊となった城の中を歩いているかのようだった。

歩くにつれて苔生した石垣が眼前に現れては消える。

巨大な天守閣は全貌が見えない。

そもそも攻め込んだ敵が迷いやすいように、そして中枢である天守へは
急な坂や回り道などで到達しにくいように作られているのが城塞というもの。
あちらこちらと歩くうちに時間が過ぎ、天守閣の入り口に辿り着いた頃には
空港へ向かう時刻が迫っていた。

天守閣からの松山市街展望は、またの機会にとっておこう。
そう思いつつ、30席ほどの小さな双発ターボプロップ機に乗り込んだ。

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2006/11/08

出張旅行記(1) 海辺の城

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寄り道は大好きだ。
出張の際、ついでに寄り道が可能なスケジュールだったりすると、なお嬉しい。
過去の写真やメモなどを元に、その幾つかを紹介しよう。

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讃岐国丸亀城。

本四連絡橋・瀬戸大橋の四国側、宇多津町の西隣が丸亀市だ。
丸亀城は、標高60mくらいの天然の山を活かして作られたという。

その出張は、まず静岡県内で仕事をして、翌日に愛媛県で
別の仕事をするという日程で、移動時間は充分にあった。
どこかで途中下車して一泊するつもりで、まず岡山市内の宿を探した。
ところが、何かのイベントがあったか岡山周辺の宿は満室ばかり。
ならばと瀬戸内を渡った丸亀を選んだ。

愛媛に向かう出張2日目、早起きして丸亀城を散策した。
天守閣はわずか三層のみ。だが、今でも木造のまま残っている。

このあたりは「讃岐富士」をはじめ孤立した小さな山が多い。
かなり風化が進んだ地形だ。火山もほとんどが風化しきってしまい、
マグマが固化した火道の部分だけが残っているのであろう。
他は、ほとんど平地になっている。

丸亀城は、そうした小山の中で、海に近いものを選んで建てられた。
天守閣から見下ろすと、すぐ目の前に海があるように感じる。
ほとんど邪魔な地形は見当たらない。天候が良ければ対岸まで見えるだろう。
目の前の瀬戸内海を行き来する船を見張ったり、
睨みを利かせるには絶好のポイントである。

平地からいきなり立ち上がる山腹は、もとより相当な急傾斜だったようだ。
丸亀城の築城者は、それをさらに急峻な石垣に作って守りを固めた。
その分、天守閣は必要充分な小ささに落ち着いたのだろう。

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ちなみに、高松城では逆に波打ち際が選ばれた。
海水を堀に引き込んでいるくらい低い場所で、
城内の船着場から迅速に船を出せるのが特徴だ。

同じく讃岐国の、瀬戸内に面した2つの城の好対照は気に入っている。

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2006/11/07

運転手は君だ、お客は僕だ。

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このところ、車両故障だの設備トラブルだの人身事故だので、
鉄道の運行が遅延したり休止したりするコトがしばしばあるが、
居合わせると、ほぼ確実に駅員に詰問してる乗客を見かける。

果たして彼らは、その文句に合うだけのカネを払っているのか?
規定通りにカネを払ったのなら、受けられるサービスも規定通り。
多少のトラブルがあったとしても、約款以上の要求はできぬはず。

鉄道など公共交通機関は国土交通省の指導と各社間の競争の
おかげで、おおむねコストに見合ったサービスになっているはずだ。
それが受け入れられないのなら、まず国交省に文句を言わねば。

一方、バリアフリー化されていてデザインにも凝った、などという駅が
増えているが、通路が妙に遠回りだったり案内板が見づらかったりと
どれも中途半端で、むしろ使いづらいコトも多いように思う。

でも都会じゃ誰もが独りよがりだから、そんなもんなのかもしれん。
交通機関に限らない。サービス業全般で、サービスしてる「つもり」
の提供者とサービスを受けている「つもり」の客がいるように思う。

「お客様の満足を第一に考えています」などと言うが、その先には
顧客満足度を高めた結果として売上だの利益だのが見え隠れする。
分かってるさ。営利企業である以上、そんなコトは当然だ。

今の世の中、本当に相手のコトを考えてサービスするなんて、
商売だけでなく友達付き合いくらいの関係がなくては無理だろう。

知り合いに道ばたで偶然出会うコトさえ難しい都会。
つまるところ本物のサービスなど期待するだけ無駄なのだろうな。

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2006/11/06

理系用語で読み解く社会(3) 歴史は振動する

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地球規模のスケールでみれば大気や海洋も振動している。
たとえばエルニーニョ現象は、太平洋赤道直下の領域において
東と西の表面水温や気圧の差が強まったり弱まったりする現象だ。
こうした現象は様々な要因が複雑に絡み合っており、
今のところ単純な周期では測れない状態だ。

人間の歴史も、似たようなものではないかと思う。
似たような状態が生じるコトはあっても、それは単純な繰り返しでなく、
振動している。しかもあらゆるスケールで。

紐の先に錘を1つつけただけの単純な振り子なら、極めて正確な
周期で振動してくれる。しかし、紐の途中に錘を追加してやると、
その振動は複雑なサイクルとなり、振幅も一定でなくなる。
ヒトの社会も、こうした複数の錘の揺れが複合した状態とみられよう。

振動に似た現象には、歳差運動という現象もある。
独楽を回すと、軸が次第に傾き、その傾きがゆっくり回転する。
傾きと回転頻度が増していくと、しまいにはひっくり返ってしまう
というアレだ。

1985年盛夏に墜落した日航123便ことJA8119機は、垂直安定板の
一部を喪失して機首方位の安定を失ってダッチロール状態に陥った。
これもよく知られている言葉だ。
同機は、航跡が波打つように上下しつつ速度が速くなったり
遅くなったりするフゴイド運動も伴っていた。
これらもまた、振動の一種と言える。

果たしてヒトの社会は、どのような振動をしていて、
その安定性は如何程のモノなのだろうか。気になるトコロではある。

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2006/11/05

このクニのカタチ・後編 神様仏様○○様

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寒暑あり湿潤でスギやタケが勝手に伸び、コメを作ってコウジを使う。
周囲は総て海で水産に富み、塩は海から作り出す。
山がちで火山や温泉も多く、鉄は砂から作り出す。
刃物は世界的にも類を見ないほど鋭く研ぎ澄まされ、引いて使われる。

津々浦々そこらじゅうに神様がいて、どこぞの砂漠の民の唯一神さえ
800万と称す神々の一つとして取り込んでしまう。
文化は重層的になるのでなく溶け合って混ざり合い一つの混沌を成し、
そこから新たな出汁が出て旨味だけが残る。

大洋と大陸の基盤が重なり合って押し合いへし合いするうちに
堆積物と火山噴出物だけが残って積み重なり盛り上がって生じた島々。
そこに入るモノは多く出るモノは多くない。
それが日本という上澄みのクニ。

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2006/11/04

このクニのカタチ・前編 倭魂○才

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多様かつ力強い生命力の発露であるかのような照葉樹林文化。
日本は、その照葉樹林文化帯の北東端に位置するとされる。
だが、それだけでは括れない、独自の雰囲気も持っている。
その根底には養老孟司の謂う「無思想」に近いモノがあるような気がする。

ある意味で生命力を捨て去ったかのような枯れた美意識、
強い香辛料をほとんど使わず甘鹹酸辛苦いずれも淡泊で
透明感のある味覚、ゆったりとして涼しげな衣類・建築物、
神の家さえ使い捨てるほどケガレを強く意識した新鮮志向。

照葉樹林の影響は古くからあったかもしれないが、それに加えて
南方、北方、西方からありとあらゆる文化を受け入れてきた。
その多彩な外来文化を人口密度の高い島嶼の中で煮込んで、
上澄みを濾し取った出汁のようなモノが日本文化なのかもしれない。

なにしろ言葉さえも多様な外来文化を受け入れる素地を持っている。
表音表意の両方の文字を使いこなし、欧文とてin-lineに組み込める。
主語なし文や多彩な一~二人称代名詞の存在は、近代西欧的な自我の
概念を受け入れてもなおそれに染まりきらず異質な概念の混在を許す。

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2006/11/03

理系用語で読み解く社会(2) 木を見て森も見る

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物理法則は普遍的。
だが、時間的/空間的スケールによって、支配的な法則は違ってくる。
そして、その法則が複雑に絡み合って世界はできている。
今の人類の知識が及ぶ最小と最大のスケールといえば素粒子と宇宙だが、
それらが密接に関連し合っているコトも知られている。
この考え方は、割と応用が利く。

砂粒は1粒ごとに見れば重力や風など影響を受けつつそれぞれバラバラに動いているが、
ぶつかり合い押し合いへし合い影響し合いつつ、全体としては大きな動きになって砂丘を成す。
砂丘は季節風など空間的にも時間的にも大きなスケールの力に影響を受けており、
あるものは少しずつ動いたり、あるものは特定の位置に留まったりする。
それを構成する砂粒は飛ばされたり崩れ落ちたりして少しずつ入れ替わったり、
砂丘の中の位置が変わったりしているが、砂丘は砂丘で1つの個体として把握できる。

ヒト集団でも、数のスケールで世界は違う。
1人だけで行動しているのと2人、3人で行動するのでは大きく異なる。
10人でもまた違ってくる。100人になると全員の位置を瞬時に把握できなくなる。
1000人では、何らかの仕組みを作らねば全体に情報を伝達することさえ難しい。
万単位のヒトを集団として動かすのは宗教か思想か経済か。
常にヒトは個人として行動しつつも社会集団を構成する要素であり、
砂丘が動くかのようにヒト集団も動く。

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2006/11/02

一“寸法”試論

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(写真は本文と関係ありません)

ちと重たい話が続いた気がするので軽くしよう。
先日、知り合いのカメラマンから「実は案外、小顔なんですね」と言われた。
女の子ならともかく、中年男にとっては嬉しくも何ともないのだが、
それはそれで合点が行ったコトがある。

身長160cm弱(厳密には158cmくらいか?)、体重55kg程度という小男でありながら、
しばしば周囲から「もっと大きいと思っていた」と言われる。
少なくとも、実測値より小さく見られたコトはない。
それどころか、20年来の旧友にさえ「これで160cmというのが信じられない」と言われた。

「短足なくせに背筋を伸ばして大股で歩いてるから」「態度が偉そうだから」などの
理由も考えられるが、体格と顔の比率がうまく合致していたというのもあるのだろう。
ヒトにとって他人は見慣れた存在だから、大きさを判別する際には
身体各部の比率も参考にするが、その判断基準が騙されるようだ。
ちなみに、今着ている背広のサイズタグには「胸囲92/胴囲80/身長170」とある。
既製品では肩幅が合わず、一回り大きなサイズから丈を詰めたと記憶している。
そういった安定感のある体形だから小さく見えない、という理由もあるのかも。

たしか大学の頃、「スケーリング 動物設計論」とかいう本を読んだ。
何年も友人に貸したままとなっているので詳しく紹介できないが、
完全に同じ比率のまま動物を大きくすることはできないといった内容だった。

仮に、各部分の比率を維持して(幾何学的相似形で)長さを2倍にするとしよう。
体重を支える骨の断面積は4倍になるが、体重に直接関係する体積は8倍。
骨に加わる圧力、すなわち断面積当たりの重量が2倍になってしまう。
だから大型動物では骨折しないよう足を太く短くせざるを得ない。
逆に半分の寸法にするなら、動物は1/2の圧力に相応しい華奢な骨や筋肉となる。
骨や筋肉を維持するエネルギーを節約した方が効率的だから。

160cmのヒトが、もし長さ次元で1.1倍となる176cmのヒトと幾何学的相似形ならば、
断面積1.21倍、体積1.331倍、圧力1.1倍で大した差にはならない。
一方、体重が1.331倍だと55kgが約73kgになるから結構な差と言えるが、
それでもヒトの標準的な代謝で対応できる範囲内だろう。大きな問題はない。

世の中、「だいたいこのくらいなら大丈夫」という範囲が、だいたいあるらしい。

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2006/11/01

理系用語で読み解く社会(1) 人間力学

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ほぼ均一な素材に対して全体に平均的に圧力や張力を与えたとき、
結晶欠陥や結晶粒界の微細なズレが破断のきっかけになるという。
これは材料工学の話。

中長期的な地殻変動が蓄積していった場合、その蓄積した力は地殻内の
弱い場所やプレート境界において短い時間スケールで発散されるコトが多い。
これは地震学の話。

スケールや素材の均質性では大きく異なるが、原因と結果は似たような形だ。
人間集団の話として読み替えてみよう。

学校や職場のイジメなどは微視的に見ればヒト対ヒトの問題だが、
巨視的に見ればヒト集団の内部応力が、ヒト集団の中の弱いポイントに
集中した結果として生じた現象と見ることもできる。
様々な規模で生じる紛争だって、ヒト集団間の問題ではあるが
やはり複数のヒト集団間の応力の集中と見ることができる。

あるヒト集団に対し、もし全体に平均的に圧力がかかったとしても、
その力が発散されるのは特定のポイントに集中する。
それは、人間関係が他より希薄な部分、他のヒト集団との境界、
あるいは周囲とは微妙に異なった性質の個人といったポイントだ。

ヒト集団に対する圧力が全くない状態なら、それでも関係を維持できるだろう。
しかし複雑な階層構造を成しているヒト集団の中で、ヒトは生まれて死に、
小規模な集団は生じたり消えたり結合したり分裂したりして、常に変動している。
内在する圧力あるいは張力は、完全に消えるコトがない環境である。

残念ながら、マントルが対流を続ける限り地震がなくならないのと同様に、
ヒトが生まれて死ぬ存在であり階層的な集団を構成する生物である以上
ヒト対ヒトの問題もヒト集団間の問題も完全になくすコトはできないようだ。

しかしヒト集団は、それぞれの構成要素が独立した意識を持っている。
喜怒哀楽の感情を持ち、苦悩の中で幸せを願っている。
その点において、素材や地殻とは違うはずと信じたい。

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