« 曲がって曲がって曲がって曲がる | トップページ | 置き去り錯感・後編 邪魔者扱いだけは勘弁な。 »

2006/11/14

置き去り錯感・前編 目を閉じて何も見えぬまま歩く

20061114_s


そもそも歳の離れた兄を持つ三男だからか、アグレッシブな性格は身に付かなかった。
兄たちの遊びについていっても、いつも途中で置き去りになってしまう。

同世代の友人も少なくはなかったが、背が低くて筋力も弱いので集団スポーツでは役に立たず、
自然を相手にしたり本を読むといった方向に遊びは絞られていった。

実家のあった集落の周囲は、どの方向にも1km近く水田が続いている。
その半自然環境と、通学路の途中にあった古い神社の境内は、小学生の頃の最大の遊び場だ。

自転車を乗り回すようになってからは市内を走り回っていたが、
中学校では公立でなく電車通学の私立に進んだので、それは遊びよりむしろ通学の足になった。

1人で、自分の足に乗って散歩をするようになったのは、その中学生の頃だったか。
地元には同級生もおらず、なんとなく、いつも置き去りになった気がしていた時期だ。

実家では犬を飼っていたので、その散歩のために水田の中を歩く機会は中学生になっても多かったが
ある夜、ふと何も持たず犬も連れずコートを着込んで冬枯れの田に踏み込んだ、と記憶している。

国道の街灯の列が遠くに見える。実家や近所の家の窓がポツポツと灯っている。
上州からここ武州まで越境してきた空っ風が空を吹き払い無数の星が頭上を覆う。

しかし、そんな光景を目の当たりにした視覚よりも、さらに刺激される感覚があった。
少しツンとくる、だけど不快ではない匂い。肥料にするため籾殻を集めて焼いた煙だった。

春が近づいたある日、また別の匂いに気付いた。代掻きの泥の匂いだった。実家は農村にありながら
農業じゃなかったので田畑の作業を手伝う機会もなく、気にするようになるまで気付かなかったのだろう。

何気なく目を閉じた瞬間、頭上に雲雀が羽ばたいて鳴いているのが分かった。
そして同時に、はるか遠くを飛ぶ回転翼機が非常に騒々しいコトも理解した。

長雨の中、傘を差して歩いて汗ばむようになってきたら梅雨も終わりに近い。
歩きながら実り始めた籾を摘む。口に含んで甘みを感じれば、まだ未熟果だ。

季節につれて目まぐるしく変化する水田の中を歩けば、
四季どころか二十四節気にさえ全身の感覚が追いついていってくれる。

高校、大学、そして社会人と、行動範囲が広がれば、さらに新たな発見が待っていた。
無味乾燥と思っていた都会にも、半ば人工的ながら季節の音や匂いがある。

風鈴の音が目立つ時期には、何も置かれていないのにゴミ集積所から西瓜の匂いが漂う。
パーンと乾いた破裂音に目を向ければ小学校の校庭で徒競走の練習をしていた。運動会が近い。

目を上げれば、そこの出窓に猫がいる。小春日和にしかめっ面して暑そうなのに昼寝場所は譲らない。
どう見てもヒト1人分の幅しかない道路にはわずかな勾配がある。こりゃ水路だったかも。

歩けば歩いただけ新しい発見がある。
その感覚は少年期も青年期も過ぎてなお強まる。

いつまでも、こんなふうに自分のペースで歩いていきたいもんだね。
日本人らしく非能動的に。だけど受動的でなく自分の足で。

|

« 曲がって曲がって曲がって曲がる | トップページ | 置き去り錯感・後編 邪魔者扱いだけは勘弁な。 »