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2006/11/12

画家は死して絵を残せるか

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寄り道好き、散歩好きの趣味は母から受け継いだものらしい。
母は還暦をとうに過ぎた今も健脚で、「歩こう会」とやらに参加して
月に1度は15kmだか20kmだか歩いているという。

そんな母が都心に出てきたときなどは、同じ趣味というコトで
よく一緒に歩いている。なにせ気付けば10kmを2時間、というくらいの歩き方なので
お互い散歩仲間が少ないのだ。今回は、そんな2人で上野を散歩したときの話。

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不忍池の島にあるのは、たしか弁財天だったか。
周囲には変な石碑がたくさん並んでいる。包丁だの鳥だの河豚だのと腹が減りそうな碑も多い。
その中に混じって1つだけ、ある男の碑があった。

長谷川利行、明治生まれの画家。
強烈な色遣い、そして個性ゆえか社会から疎外されたようなその生き様から
「日本のゴッホ」とも呼ばれている。

若い頃は詩や小説を書いていたが、後に独学で絵を描き始める。
才能を認められるも画壇には馴染めずドヤ街に住み、スケッチ旅行に出たり
肖像画を描いては、まるで押し売りのように絵を換金して酒を飲んでいたという。

胃を患って倒れ、行路病者として病院に収容されて死ぬ。
最後まで手放そうとしなかった行李は、その中にあったであろう
大量の作品やスケッチとともに、全て焼却された。

今に残る利行の作品は、生前に彼が売ったものばかりであるらしい。

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今の寄り道生活の先には行き倒れというゴールがあるのかもしれない。
この先あと何年の人生が残っているか知らんが、果たして何を遺せるか。
行き倒れても後世に作品を遺した利行が、少し羨ましく思える。

利行の碑の説明を読みつつ、うっすら涙を浮かべる母。
社会になかなか適応しようとしない息子の姿と重なったか。
その横顔を見つつ不孝者の三男は思うのであった。

しかし、不忍池を一周しようと歩き出したのに途中から東照宮の方に上がってって
そのまま鶯谷の方まで出てしまうような親にして、この子あり。
人生においてもまた寄り道好き散歩好きなのだから仕方ないのだ。許せ、母よ。

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