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2006/11/21

枯木に花は咲きません

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(旧山猫軒・片岡昌企画展にて)

いつか枯れた老人になりたいと思っていた。
世の中のあれやこれやを風と受け流し、ただ立ち枯れるのも良いと思っていた。

しかし、寄り道や散歩が趣味である以上、そうなるのは難しいという気がしている。
五感を働かせて歩き、新しい発見を楽しむコトは生命力を得る行為でもある。

そもそも、本当に枯れてしまったら、それは生きてないのだろう。
せいぜい良くても腐って腐植土になり、来年の草の肥料になる程度だ。

だから枯れてるようでいて枯れてない、そんな形になっていこう。
まあ枯れてしまうより先に書くネタが尽きてしまうような気もするが、それはそれで。

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胸を張って肩で風を切るような気概は持ち合わせていない。
しかし猫背になって風に身を切られるようになるつもりもない。

世間には「権利があるなら取らなきゃ損」的な考えを持っている人がいたりするけど、
本来は「必要なときに必要なだけ使うものであり、その目的のために
不要な場合でも留保されているのが権利」だと思うのだ。
たとえば発言する権利は持っているが、普段はあんまり使わない。それだけ。

発言する権利の行使は、考えるだけで面倒だ。
口下手というのか、特に話題が出てないトコロに話を切り出すのは得意じゃない。
だもんだから、まあなんとなく、思うトコロあっても言わずに済ませてしまったコトも多い。
どうせ忘れっぽいから、しばらく別のコトを考えてれば気にならなくなる。

というワケで、かなり内向的な性格であるとは自覚している。
こんな中身と、外見とのギャップに戸惑う人も少なくないんじゃないだろか。
「わかりにくいヤツ」とは、よく言われる。自分自身でさえ一言で表現できない。
せいぜい「散歩好き」「寄り道好き」「変人」くらいか。でもヒトって、そんなもんだろ?

まあ少なくとも外見はアグレッシブっぽい雰囲気を醸し出しているように思う。
それは単に、他に似合うファッションが見つからないとか、
おとなしめのスタイルよりも邪魔者扱いされにくい(気がする)、というだけの理由。
少なくとも、それなりに人目を惹くから、小さい体格でも見落とされにくいとは思う。

これは、現代の日本の都市という複雑怪奇な社会に
なんとなく適応してきた結果かなあ。

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