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2007/10/19

半生紀(2) river-edge? revenge?

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昔から読書好きで人付き合いが少なく、ちょっと突飛な発言も多かったからか、
小学校ではほとんど派閥外だったのだが、それでも満たされていたように思う。

それは、小さな集落に生まれ育ったという環境のおかげだと思う。
なにしろ全員が顔見知りというくらいで、落ち着いて暮らしていられた。

人生で最初の親友は、そんな集落の中の同級生、2人ばかり。
それと近い世代の遊び仲間が数人。よく、みんなで田圃の中に繰り出して遊んでいた。

田圃の中には無数の水路が走っており、ところどころにはポンプ小屋もあって
夏となれば冷たく透き通った水を大量に汲み上げていたのを浴びるように飲んだっけ。

どっちを向いても1kmあまり水田が広がる中に、実家のあった集落がある。
武州川越の城下を守る新河岸川の外側にあり、数十戸程度の古い小さな農村だ。

新河岸川を地元では赤間川と称した。並行して走るR254は川越以南では川越街道。
川越街道とは川越以外の人の呼び名だと母に教わった。川越では「東京街道」だ。

集落からみて赤間川や東京街道の反対側には、小さな沼がある。
市の伝説にも登場する、伊佐沼という自然の沼だ。これは地図上も同じ名称。

そもそもは沖積世に堆積した土砂が広大な関東平野を形作る中で、
埋もれ残った部分が沼となったものであるらしい。

そしてヒトの手が入るようになってからは、おそらく丁寧に維持された。
周囲の低湿地の中でも特に低いため、農業的には主に排水用として使われているのだ。

昔はもっと大きかったのを、後に埋め立てて半分くらいにしたとも聞く。
20年ほど前までは土の岸辺があった。今では完全に護岸で固められているが。

そんな感じで、今にして思えば身近には水が多かった。
だが集落の字名は「高侭町」というだけに微高地で水害に遭うコトはなかったとの由。

さて小学校時代。同郷の親友たちとは別のクラスになるコトが多く、クラス内では
大きな派閥に入れなかったから、ちょっとしたイジメのようなコトもあった。

もはや原因や発端などは忘れたが、こんなエピソードがあったのを覚えている。
たしか下校途中。いきなりガタイの大きなヤツを中心とした数人のグループに囲まれた。

今でも小柄だが、当時はもっと小さく、クラス内で一二を争っていて、
しかもたいていはトップを奪うくらいに小さな男の子だった。

そこへもってきて、クラスでも特に大柄なヤツが手下数人を引き連れて
何が気にくわないのか絡んできたという構図。

彼らは半包囲する態勢で、踊るように足で空を蹴り上げ、囃し立てる。
囲まれた側は小柄ながら(ゆえに?)負けず嫌いで、短い足を必死に振り上げ対抗する。

そして何故か、その短い足の爪先のあたりに、大柄な男の子の頭があった。
詳しい経緯は覚えていないが、彼が足を滑らせでもしたのだと思う。

爪先は片目を直撃した。その後どうしたかも記憶が抜け落ちているのだが、
たぶん彼と取り巻きは保健室に直行したのではなかったかと。

幸い大事に至らなかったものの通院治療が必要とされ、ずいぶん騒ぎになった。
彼の家まで親に連れられ、「相手が怪我をしたという結果」に対して謝らされた。

そのコトが最大の屈辱だと感じたのを思い出す。怪我の原因に関して何らかの
措置が執られたかどうかを全く記憶していないのは、その怒りゆえであろう。

当時、復讐は悪いとは思っていなかったが、行き過ぎると危険があるコトを知った。
今にして思えば小さな事件であったが、まあ良い教訓にはなった。

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