« 我が輩はヒトである。名前はもうない。 | トップページ | 半生紀(5) 副リ甦生 »

2007/10/25

半生紀(4) 長じて老いやすく学は1日にして成らず

20071025_epsn1861s


中高一貫教育の学校だったので、高校は受験せず進学した。
とはいえ、高校に入ると相当数の受験組が加わってきた。

こういう制度のある学校では多かれ少なかれ、
エスカレーター組と受験組との学力差が問題となる。

たまにエスカレーターのくせに高い学力のヤツがいたりして受験組を焦らせたり
するものの、ほとんどの連中が受験組より低めとなるというヤツだ。

そんな中では受験組に迫る学力を維持していたものだが、
ご多分に漏れず高校生活が続く中で次第に順位を落としていた気がする。

もともと勉強など苦手でいたものだが、相当な読書好きであるがゆえに
教科書まで読み尽くしていたから、義務教育レベルでは優秀でいられた。

高校に入って、それが通じなくなったというだけのコトなのだろう。
といっても、努力して身に付けたものじゃないから大して気にならず。

それよりも高校で得たモノは、違った点にあったと感じている。

いくつかのサークルに勝手に顔を出していたりして、気付けば後輩が増えた。
また、読書好きは相変わらずで、図書室には中学時代から入り浸っていた。

そんな感じで図書室の片隅で本を漁りながら
後輩たちとボソボソと喋るのが日課になっていた。

中高6年間に自分で購入した文庫・新書だけでも200冊近くになったくらい
なので、学校の教科では役に立たなくとも知識量は相当なものだったはず。

そうやって得た知識を結んで自分なりの世界観を脳内に作り上げていたものだから、
後輩たちと語り合ううち、彼らの目が輝くのに気付くコトも少なからずあった。

徐々に語りが上手になり、しかも基本的には天邪鬼な性格からか、
聞き手を驚かせるような言い回しなども少しずつ身に付けていった。

ある意味で、良い聞き手を得られたのだ。
聞かせる側も、良い意味で彼らの期待を裏切りたいと思い工夫を重ねたのだと。

また、中学の頃には母の薦めで一行日記を書くのが日課となっていたが、
これが高校に入る頃には一行では済まなくなって長い日記になっていた。

授業のノートなど、毎年のように新しくしていながら書いているのは最初の数頁
くらいだったのを有効活用すべく、徒然に思ったコトを書き始めるようになる。

それを後輩たちに見せれば、またウケる。
良い読者を得て調子に乗って、さらに書く。

後輩だけでなく同輩まで聞き手や読み手に加わるようになり、
いつしかグループの中で知恵袋のような存在になっていた。

同時に、他人がついてくるという責任感も強く感じてきたので
相応に自重するコトを覚え、また周囲の連中の暴走を抑制する考えも持つに至る。

だもんだから、立ち居振る舞いもまた落ち着いたものとなっていった。
そんな長老的性格が身に付き始めたのが、まさにこの時代だったのだな。

高校を卒業した直後だったか、同期や後輩と一緒に飲食店に入ったら
一人だけOB扱いされてしまったのを、今でも笑い話として思い出す。

|

« 我が輩はヒトである。名前はもうない。 | トップページ | 半生紀(5) 副リ甦生 »