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2007/10/27

半生紀(6) 非体育会系

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大学では、1年生だった1年間だけ探検部で活動していた。
活動内容は厳しくも楽しいものだったし、気力体力注意力など
素質面でも頑張れば適応していけそうだと感じていた。

が、途中で辞めてしまった。理由は主に2つあったと思う。
1つは大学サークルのノリについていけなかったコト。
後輩に対する飲酒の強要とか、今でもあるのかしらん。

もう1つは金銭面。合宿すれば結構な活動費用がかかるし、
道具にもカネが要る。通学2.5時間ではバイトも困難だった。
まとまったバイトが可能な長期休暇などは合宿で潰れるし。

余談だが、高校でも1年間だけ柔道部で活動していた。
新入生の頃に部活を選んで、2年生になる頃に辞めている。
大学の探検部も同じ。体育会系の部活では長続きしないのかな。

体育会系の会社も長続きしない……のかどうかは、そもそも
試してもいないので分からないが、バブル時代に肩で風を切って
いたような某R系の企業などは肌が合わないという気がする。

もしかして、よほど先輩という存在が苦手なのだろうかね。
実際、過去(ほぼ半生)を振り返っても、誰かの後輩として行動した
期間は極めて短いことに気付く。大学の研究室でも、そうだった。

恩師の話は以前にも書いたが、そこそこの企業に勤めて課長に
までなったものの(上司とソリが合わなかったなどの理由があった
とは思うが)、退職して大学に戻ったという珍しい経歴の持ち主だ。

そんな担当教官が受け持つ研究室に第一期ゼミ生として入った。
先代の教官の教え子として「先輩」が存在したし、過去の研究も
多くが踏襲されたものの運営方針は大きく変わり引き継ぎも少ない。

なので先輩後輩の関係は、普通のものと大きく異なったに違いない。
新たな教官は、学生の評価を成果重視で判定していた。
研究の進捗や研究室への貢献度だ。なるほど会社的だと思った。

といっても学生実験など失敗も多いものである。
実験自体が月単位の期間を要したのでリカバリーも難しい。
てなワケで、努力の過程も評価対象になっていたようだ。

実際、実験そのものは完全に失敗していたようなヤツでも、
特技のパソコン(当時は扱える学生も少なかった)で他の学生の
論文作成を手伝ったりすれば、普通に単位をくれたものである。

しかしそういえば、社会人となって以降、こんな感じの上司には
ついぞ出会った試しがないような……。
こりゃ騙されたかな?

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