« 小説よりも、生形の事実 | トップページ | ひーふー感覚 »

2007/10/08

寡黙な背中は沈黙が金

20071008_dscf0176s


「背中で語る」とは、よく使うコトバだが、果たしてどんなコトなのだろう。

「態度で示す」と同義のような用例をみたコトがある。
となれば短期的・直接的な行動や言動を通じて「語る」のか。
なるほど。そういう考え方もありそうだ。

しかし、ちょと違うような気がするなあ。
というより、「それもあるが、それだけじゃない」と思う。
せっかくなのだから似て非なる概念だと定義付けたい。

個人的には、かなり時間スケールの長いモノだと思うのだな。
中長期的な、継続的姿勢で、それこそ半生をかけるくらいの
かなり気の長い地道な取り組みとして伝えていきたい。

当然、それを読み取ってもらうにも、長い時間がかかる。

一緒に考えの筋道を辿ってみたり、あるいは同じトコロで迷ってみたり、
また喜怒哀楽をともにしてみたり、そういう長い過程を経てようやく、
相手は「自分にないモノ」を鮮明に見出すのだと思う。

より深いトコロへと情報を伝播するには、どうしても長い時間を要する。
雄弁な口からのコトバだけでは、表面ばかり。そうじゃないんだと。
寡黙な背中を、そこに比喩として用いたのは誰の知恵か。

相手に大切なコトを気付いてもらうのは、なんとも大変なコトである。
芯まで冷えきったココロを表面だけでなく奥底まで暖めるには、
容易ならざる努力を以てしてもなお途方もなく困難だ。

ささやかながら、そんな体験をしてきたがゆえに、工夫と努力と
それから数多くの失敗から得た教訓をもとに、こう言いたい。
「背中で語るから行間を読んでくれ」

……なんだぃ、結局コトバに頼ってるじゃねぇか。

|

« 小説よりも、生形の事実 | トップページ | ひーふー感覚 »