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2007.10.21

変心の魔法

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「なりたいと思った人物像に、自然に近づいていくものだ」
というような台詞を、若い頃にどっかの漫画で読んだ。
そんなコトを意識したりしなかったりして時が過ぎ、
気付いてみれば、こんな中年が出来上がったという次第。

当時、たしかカッコイイ中年になろうと思っていたっけな。
しかしそのカッコイイとはどういうものか、明確な定義もなく。
外見的に「ダンディ」だったりして素材が良ければまだしも、
全然そうでないから、とにかく具体像を掴むにも困ったもんだった。

立ち居振る舞い動作や仕草にコトバの端々まで
いちいち細かく気を配ってみたり、
あるいは気にしないよう気をつけてみたりと
いろいろやってみたりもした。

余計な動きの少ない身体捌き、物静かな態度、ときには狙いすました言動
などといった雰囲気作りと同時に、外見にも工夫したコトがある。
どんな格好が似合うのか、多少の試行錯誤もありつつ考えていったら
気付けば怪しいオッサンとして落ち着いてしまった感がある。

今ではカメラを提げて歩いて飲みに行ったりすると
奇人だ変人だ不思議系だと言われてみたり、
雰囲気が似てるのか「アラーキー」と呼ばわれたりと散々だ。
しかしそれはそれで、悪くないとも思っていたりする。

奇人変人であるがゆえに、ちょいとばかり他人と外れたコトをしたって
ほとんど誰も気に留めない。下手すれば何をしても似合ってしまう。
秩父の山中の小さな茶屋で雨宿りがてら見上げるような崖を肴にカップブコーを
一人飲んでいたりすれば、「雰囲気に溶け込んでる」なんて言われるのだ。

もちろん常に単独で行動しているのではなく、ヒト集団にも入り込む。
そして活発に発言するコトもあるし、熱心な聞き手となるコトもある。
特別に調子を合わせているワケではないから多少の違和感を残しつではあるが、
いろいろなコミュニティの中に、ひょいと入り込んで普通に喋っていたりもする。

結局それが自ら望んで近付いていった姿というコトなのだろう。
でも、ちょっと違うよな気もするんだけどなあ。
まあいいか、きっと小さいトコロにこだわらないってのもまた
「カッコイイ中年」の条件の一つであろうと昔から思っているので。

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