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2007/10/06

精神の切り立った崖の縁を下る

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何度目かの「知らぬフリ」を試行しながら、
その使い勝手を考えてみた。
へりくだって聞き手に回る必要があるために
自身の心の平安を保つコトが難しい、と何度やっても思う。

「そういうヤツだから」と割り切ったり
「合わないから」で切り捨てたりすれば
まずもって芯から素直にハナシを聞こうとする態度は出てこない。
うわべだけの謙譲は容易に見透かされ、フリも不利になる。

そもそも自分のココロも動かさねば相手のココロも動かない。
こちらから心情を吐露しなければ、
相手の本当の信条を引き出すコトもできやしない。
だから嘘は吐けず正直ベースで話を進めていかねばならない。

かといって、心から下になってしまったら
そもそも相手の心理を先回りするような思考が難しく
やもすれば単に御輿をヨイショしてるだけになってしまう。
その先は知らぬが仏のお釈迦様。それこそ最初から「ほっとけ」と。

やはり適度な精神的優位性を備えていなければ使えないし
とはいえ見下したような考え方を持っていても使えない。
だからこそ下手に出て相手を担ぎ上げながら聞き手に回りつつも
その先の反応を上手に見越して老獪に籠絡していくコトが必要だ。

第一印象が必ずしも良いとは限らないし、むしろ心理的効果を
考えれば最初はゼロから、いやマイナスから積み上げていくのが
望ましいが、そうすると相手とのコミュニケーションが途絶して
しまう危険も強まる一方なので、コントロールが難しい。

対話の進捗につれ刻々と変わる相互関係の中で、
アチラにも倒れずコチラにも落ちず平衡を保ちつつ、
そして刻々と変わる相手の心理を的確に捉えて、
かつ自らの心理も刻々と変えていって、適時動く。

相違点の多い相手とも積極的に交わり、
その差異を乗り越え、落としドコロを見つけていく。
そういう経験を数多く積んできてこそ、
迷わず戦略的に「知らぬフリ」ができるのだろう。

自信、いや実績でのみ裏打ちできるか。
そんなふうに考えると、非常に高度な
精神的テクニックであるのだと思える。
どうりで、何度やってもヒヤヒヤするワケだ。

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