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2007/10/24

我が輩はヒトである。名前はもうない。

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社会に埋没してしまうと名前などどうでもよくなってしまう。
そんな感覚に覚えはないだろうか。

「雑草という名の草はない」なんて言ったのは誰だったか。
確かに、それぞれの草には名前がある。
しかしそれらが雑多に集まれば雑草と呼ばれる。

まあ会社員であれば会社名と肩書きで。
自治体や各種団体だろうと同じだ。
もし学生や生徒なら何年何組出席番号何番てなトコロか。

たしかにヒトは個々に異なる点があるのもまた事実。
必ず均質なヒトが生産されるワケではない。
むしろバラツキがあって当然、ていうか誤差だらけ。

全く同じモノなど存在しない。そりゃそうなんだけどね。
それでもヒト1人は独立した1つの存在であるコトには違いない。
残念ながら2つじゃないし、幸いなコトに0.5でもない。基本的には。

それをいくつか拾い上げて枠の中に詰め込んでみれば大同小異
たしかに大した違いも見えにくくなってしまうだろう。
「菓子折の中身の一つひとつを、いちいち区別しますか?」

なにせヒトを取り巻く環境には、いくつもの枠があって
幾重にも重なり合ったり複雑に入り組んだりしているから、
ついつい枠から見てしまうと、中身の区別がつきにくい。

中身の菓子からみたって、やはりそうなのよ。
枠の中の量子は互いの状態を区別つけられん。
せいぜい外に出て何かのイベントを起こせばユニークな存在になれるやも。

いっそ枠などどこを探してもないような広野にてあれば、
誰とて雑草などと呼ばわる者あるまいに。

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