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2007年11月

2007/11/30

半生紀(12) 夢、見れんでしょう

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今年の初夏だったか、久し振りに妻の夢を見た。

アイツが夢に出てくるのは何年振りか。
そもそも普段の夢は、一人でどこか知らない場所を旅するような
内容のものがほとんどで、同行者がいるコトさえ珍しいのだ。

巨大なビルの谷間から、夢の中の二人の旅は始まった。

途中を端折って、日本のどこかの地方っぽい雰囲気の山の中の
国道とおぼしき広い道路の端に作られた歩道を、
二人で自転車に乗って走っていた。
細かな部分までは覚えていないが、景色も良く風も心地好く、
何よりも妻と一緒なのが楽しい、そんな旅路だった。

が、旅は何処とも知れぬ目的地に辿り着く前に、目が覚めて消えた。

時計を見たら7時だった。4時頃までは記憶があるが、
徹夜で仕事をしようとする意図に反してうたた寝していたのだ。
寝過ごしたなと思いつつ眠気覚ましにコーヒーを淹れ、
一服しながらケータイのニュースチャネルを見ていて、
なんとなく占いのコーナーを開いてみた。

「過去の恋を思いわずらわないで。未来を見つめて」という。

ならば今後は一人で旅を続けるのか、
それとも別の誰かと一緒に旅の終着点を目指せというのか。

なかなかに悩める朝であった。

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この後は現在となるので、ひとまずここで一区切りとする。
(今後は時系列を外した話題を単発で書き込むコトになるだろう)
後半は暗い話題ばかりで、いささか読み辛いものだったかと思う。
なので最後に少しばかり救いになりそうな言葉をいくつか記しておく。

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それでも今なお「死ぬまで生きる」と心に決めている。
普段はヘラヘラ笑って、少しくらいの苦労も楽しんで片付け、
ともすれば目の前の苦痛に落ち込みそうになったりするが、
自分自身だけの辛さなら、笑って吹き飛ばすつもりでいる。

読書や散歩や買い物の楽しみは、いつも変わらない。
気の合う友人と語らい、飲み食いするのも好きだ。
気まぐれな寄り道は生活の一部となっているし、
たまに生じるトラブルだっても自然な流れとして受け止めていたりする。

そして、ときたま銀の鈴を握りしめ、目を閉じて妻に語りかける。

この世界も捨てたもんじゃないぞ。
いつも新しい発見があるし、
新しく知るコトは、いつも喜ばしい。
だから、もうしばらく、こっちにいさせてくれ。

――と。

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2007/11/29

出張旅行記番外編 商用にて逍遙することを称揚す

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それなりに出張の多い仕事で、全国各地を歩いてきた。

時間や予算に余裕があれば、自腹で1泊追加するコトもある。
未だ全国制覇を果たせず、足を踏み入れたのは40都道府県に留まるものの、
それなりに地域性が見えてくるし、ときには地元での人間模様を見る機会もある。

本で読んだコトも、現地に足を運んで実見してみれば新たな認識がある。
何の予備知識を持たずに訪れても、歩けば現地の空気を実感できる。
足で移動して、とりたて何の新しい発見もなかったなどというコトはない。

人生初の出張は福島県いわき市だった。次いで名古屋。
(ちなみに埼玉に生まれ育って後に東京在住となったから、
ここでは仕事で関東地方の外に出るのを出張としておこう)

妻と一緒になってからの最初の出張は鳥取だったか。
当時のPHSの短いメールで、何度もやり取りしたのを思い出す。

ついでに砂丘まで足を運んだ。そこからパソコン通信も行った。
当時からのモバイル仲間もいる。

その後、出張で各地を訪れるついでに、できるだけ余計に歩き、
また家族や友達に連絡を取るようにするのが常となった。

あえて出張という非日常空間に日常を持ち込み、
同時に日常空間にいる相手と非日常の感覚を共有する、というトコロか。

あるいは現地では、日常の時空間の中にいる人たちと接して
来訪者のとしての非日常的時空間と対比させるというのも、また趣がある。

そういう日常と非日常の接点が、新しい発見に繋がる。
書を捨てて街に出よというコトバもあるが、書を持っていても構うまい。

その書が、現地に関連のある内容のものであったりして
発見を強めてくれたりするなら、むしろ歓迎すべきであろう。

また、もし全く同じ場所を再訪するにしても、
初回ほどではないにせよ、出張や旅行は楽しみなものである。

訪れる側の認識も前回とは異なるだろうし、
季節や時間が違えば、また新たなコトに気付くはずだから。

こんな感じで、あわよくば47歳までには、
全都道府県制覇を達成しておきたい。

大した意味はないが、年齢より多くの
都道府県を回ったという実績があるといいな、という程度。

しかし、最後に訪れるコトになる県は、どこになるんだろうね。

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2007/11/28

出張旅行記(15) 二重硝子の向こうは雪の街

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先日は、冬に入ったばかりの札幌へ出張してきた。
ちなみに、その札幌出張に出ようとしたまさにその時、
次の出張の打診があって行き先は札幌と聞かされた。
なので「また札幌か!」とか言ってしまった気がする。

それはそうと、出張で訪れた回数で言えば、
面白いコトに大阪より札幌や福岡の方が、実は多い。
大阪に京都・神戸を足して近畿圏とするなら
そっちの方が多いのだけどね。まあそれはともかく。

生まれも育ちも武州だが、冬の北海道でも
都市部なら普通に居られるコトが分かってきた。
というか、北海道は暖房が完備されているので、
むしろ屋内だと暑くて困る場面も少なくない。

11月、札幌は雪が積もり続けるほどではなかったが、
夜になれば気温は零度を下回り小雪もチラつく。
同行者とともに、ちょいと飲んで歩けば、それも涼しい。
(酔いが覚めてくると、急に寒く感じるようになる)

朝、ホテルの二重窓の外側は銀世界になっていた。
風に流される雪片が、雪国らしく感じさせる。
しかし、夜が明ければ気温はプラスへと上昇し、
雪は雨に変わって路面も灰色に戻る。

まだ冬と秋の端境期だったのだな。
次の出張の日程が、想定通りに12月となれば
きっと札幌は真冬になっていることだろう。
(日程が合わなければ流れてしまうかもしれないが)

同じ場所への出張だと新鮮味に欠けるきらいはあるが、
また違った楽しみ方もあるというワケだ。

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2007/11/27

昔書いたモノ(2) 「詩」のようなもの、2(1996/11/06)

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“それ”に名を付けてはいけない
“それ”を詳かにしてはいけない
無面目に顔を与えてはいけない
混沌を整理してはいけない
“それ”は退治されてしまうだろう
“それ”は取り込まれてしまうだろう
無面目は殺されてしまうだろう
混沌でなくなってしまうから

混沌を規定したとき、それは死ぬ
自由を意識したとき、それは失われる

頂に立ったら、あとは下るだけ

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2007/11/26

昔書いたモノ(1) 「詩」のようなもの(1994/11/26)

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お世辞にも生産的とは言えぬ
Radiativ Trainが往復する。
ドーナツと穴は、昼夜毎に
人口密度を取っかえる。
凡そ昔では、1日もかかる道程を、
ヒトは毎日必死に運ばれてゆく。
-「鉄の道なる神」-
その神に、抗うことが出来ぬかのように
逆らえば、殺されてしまうとでも言うかの如く。

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2007/11/25

@知゛恵

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後知恵といえば、役に立たないものの代名詞のように使われる。

しかし、その場で役に立たないのはともかく、ひょっとしたら
後で役に立つ可能性があるからこそ後知恵というのだと思うのだな。
今ここで役に立たないからといって、そんな気軽に捨てていいワケがない。
もったいないから、とっといて後で使おうよ。……とかそんな感じ。

まあ実際に役立つかどうか、実用的な可能性の範囲内に入っているか、
そんなコトなど一向に気にしてなかったりするもんだから、
どう転んでも役に立たないんじゃないかとさえ思えるような
レアな知恵なんかも、たまに集めていたりする。

でも塵のように微細な可能性だって積もれば地球型惑星くらい作れるはずさ。
いやそこまでいかなくても、小惑星イトカワくらいでもいいや。
部屋は荷物で一杯。HDDは過去のデータで一杯。そしてアタマは思い出で一杯。
もっともっと集まれば、もしかしたら何かの形にできるかもしれない……。

ごめん、実は単に捨てられない男なんだ。
いろいろなモノゴトを。カンガエを。

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2007/11/24

遅れ馳せながら思うコト

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先日、いつもの通り郵便受けに大量に届くチラシを選別しつつ捨てていたら、
所轄警察の地域係の名前の入った紙が入っていたのに気付いて手が止まった。
「付近一帯をパトロールしました」という文言にチェックがついている。

空き巣被害の多い地域なので、警察の巡回も頑張っているようだ。
青い回転灯を装備したミニパトっぽい白黒の軽自動車も、よく走っている。
ママチャリの前カゴなんかにも、「パトロール中」だかのゼッケンがついてる。

思えば、この所轄の警察や消防の世話になったのは、あのときだけだ。
もちろん記録は残っているだろうから、調べればすぐに判明するはず。
今のところ当時から住所は変わっていないし、名前も変わっていないし。

そういえば、あのときには、ほとんど何も言われないまま霊安室へ案内されて、
そこでそのまま、妻と二人で一晩を過ごしたのだっけ。
といっても、底冷えのする夜だったという印象しか残っていないが。

今にして思えば、フラリと出て行って、どこかのビルの非常階段や歩道橋から
ひょいと飛び降りるくらい雑作もない状況だった。
まあ当時は、そんな考えも浮かばないくらい思考停止していたのだと思うけれども。

そういうトコロで何のフォローもしないような対応は、今でも変わらないのだろうか。
案外、そういうもんなのかな?
それとも、少しは変わったのかな?

犯罪被害者の相談窓口を作って宣伝したりしているくらいだから、
もしかしたら警察も少しは新しい仕事だと考えて
目を向けるようになってきたのかもしれないね。

昔の田舎であれば地域社会がフォローしていたようなコトだよね。
だけど今の都会では、誰も味方はいない。
といって、周囲の全員が敵対者というワケでもない。

ゲーム的な言い方をすれば無数のNPC、
2ちゃんねる的な言い方をすれば無数の名無しさん、
あるいは詩的には無数の星々(ただし、カタログ済み)、とか?

そういえば10年近く杉並区に住み続けていて、なんとなく住基ネットへの
データ送信を許可せずにいたから、実は無番号住民なのであった。
とするとIDなしの名無しさんだな、これは。

無数の悲喜劇を名無しさんにして流し去るのが都会というものらしい。

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2007/11/23

所持品紹介(10) メモリの奥深く、時間を止めたまま

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HP 200LXという往年の小型コンピュータがある。掌に載るほどの小ささながら
DOSベースとしてPDA的な機能を備え、Lotus123も搭載された多機能端末だ。
日本語化キットなどが登場したおかげで、日本でも一部のマニア層に売れた。

ほぼAT互換でフルキーを備えているし(テンキーもある!)、
データ通信カードでPHSなどと接続し、パソコン通信も可能だった。
後にはwebブラウザも登場したし、インターネットメールにも対応できた。

モノクロ画面で、CPU処理能力もメモリ容量も今のケータイに劣るほどだが、
その低スペックのおかげで呆れるほど電池が長持ちしたのを覚えている
電源は単三電池2本だけ。普段は二次電池を使い、予備的に一次電池で使った。

まあとにかく、いろいろと重宝した。
当時の文字主体のメールのやり取りには常にコイツを使ったし、
紙のメモや手帳なども持ち歩かないで済んでいたほどである。

しかしその後、新しい電話機への対応ができなくなってきたり、
データ量の増大に対応できなくなったり、いろいろあって使わなくなったが、
それ以来、再び紙の手帳やメモを持ち歩くコトになった。

それが部屋の片隅で埃にまみれていたのを、しばらく前に発見していた。
バックアップ電池も切れており、RAMディスク内のプログラムも失われていた。
感慨深く思ったものの、復旧には手間がかかるので、枕元の置物としていた。

先日、当時からの友人が引っ越しをして、同じ品を発掘したという。
たまたま電話越しに、その話を聞いて一緒に復旧を試みたところ、
思ったより簡単に元の環境を復元することができた。持つべきものは友である。

不揮発性フラッシュメモリカードの中には、過去の書き物が詰まっていた。
書いた当時の気持ちをなかなか思い出せないもどかしさを感じながら、
テキストビューワソフトの操作方法も思い出しつつ、貪るように読む。

大学時代に最初のノートPCを買って以来ときたま書き足していたメモは
妻と一緒になったあたりで途切れているが、今となっては貴重な記録だ。
なにしろ、当時の記憶は非常に曖昧なものとなっているのだから。

その後、妻の死後に書き始めようとしたらしい別のテキストもある。
が、かなり断片的で、ほとんどキーワードのみ書かれているような状態だ。
当時は記憶が鮮明すぎて、思い出すのさえ辛く、書けなかったのである。

今は逆に、記憶が失われたか封印されたかしていて、もはや書けないのだが。

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2007/11/22

半生紀(11) 夢の残像

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昔のメモを発掘したので、ほぼそのまま転記する。
日付は不明だが、妻を亡くした2~3カ月後のコトだろう。

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ある日、仕事が長引き、会社で未明まで仕事をしていた。その後、眠気に耐えかねてソファで仮眠をとった。徹夜続きで疲れていたため、落ちるように眠りについたのだ。しかし、それだけ疲れていても、夢を見ることもあるらしい。

それは、河原の土手を自転車で走っていて、こねこを拾う夢だった。
非常に小さく、片手に収まるほどで、しかも拾いあげるとさらに軽い、茶色がかった虎縞のこねこだった。夢の中の情景は晴れていたはずなのに、私をみて草むらから出てきて恐がるよりも何かを求めるようにすがりついてきたはずなのに、そのねこは私の手の上で震え、ただ哀れっぽく泣きつづけていたのだ。目ばかりが目立つ、アンバランスなほどに頭の大きなこねこだった。

目覚めたとき、なぜかせつない想いに駆られた。体は冷えきり、しかも空腹であった。昨日は食事もほとんどとらず、缶コーヒーと煙草と、それだけで動いていたのだ。朝の冷たい空気の中、空きっ腹を我慢し、軋む関節をむりやり動かして駅まで歩きながら、ふと気付いた。

あのねこは妻ではない。私だ。
なにか確信するものがあった。

空腹で、体も冷えきり、ひょっとしたら病気になりかけかもしれない。明らかに何もかもがよくないことだけはわかっているが、体が訴える不調がどのような意味か理解できず、どうしたらよいかも、まだ知らない。かといって頼るべき相手はいない……
まさに、今の私の心だろう。虎のように強がってはいるものの、強そうに見せているものの、その心の中身はちっぽけな、ねずみにさえ負けてしまいそうな、哀れなこねこにすぎない。頼るべき相手も今は亡く、どうしたらよいのか、まるでわからない。ただ、泣くしかないのだ。

夢の最後の残像が、まだかすかに残っている。私は、そのねこを拾いあげ、どうすることもできないまま立ち尽くしていた。こねこが泣きつづけるあわれっぽい声が、さみしがって私に甘えてくるときの妻の声と重なり、いつまでも響き続けるのだった。

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2007/11/21

恨みっこなしょ

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結局、自営業者のまま何年も生活してきた。
気付けば、なんとか自立した生活ができてしまっていた。
いくつかの会社から、おこぼれに預かるコトができたから。

当初はバイトに毛が生えた程度でしかなかったが
今では、何とか続けていけそうな感触を持つに至った。
少しばかりは矜持を持っていても、いいのかもしれない。

日本という国家が、いかに勤め人を手厚く保護する国か
そして自営業者を支援する制度が、いかに少ない国か
ここ数年でいろいろと実感した気がする。

たとえば税制にしても、民間の多くの契約にしても、勤め人以外は
安定した状態の自営業者のみを想定しているとしか思えない内容だ。
もちろん、自営業者は成功しなければならないだろうけども。

だが成功に至るまでには数々の失敗を重ねるのが人の常。
しかし自立支援と称して、成功しそうな人だけを支援する。
だから失敗しやすそうな人に対しては、むしろ失敗の御膳立て。

しかも失敗の後始末については自己責任という言葉で一蹴する。
誰だって失敗したくないというのに。
誰だって失敗すればそうなるというのに。

多くの学校は失敗を恐れず挑戦する姿勢を教えなかった。
だから若者たちの多くは失敗を恐れて無難な道を選ぶ。
でも世の中の無難な道など、今やほとんどない。

無難に生きたくても、放っておけば失敗してしまう。
それを世間が悪いと決めつけるのは簡単だけれども、
さりとて悪い世間を変える挑戦も失敗を恐れて手を出せない。

何もできないまま沈んでいくのが、
彼らの大半の運命なのではないか。
そんな気がして残念に思うコトもある。

そんな現状を変えるのに特効薬などないだろうから、
せいぜい地道に寄り道の筋道を示してみたりして
彼らの未知なる世界でも充ち満ちた生き方ができると伝えたい。

結局のトコロ、現状に満足できないのであれば声を上げるしかない。
無数のヒトビトがそれぞれの声を上げる中で、皆に伝えたいのなら。
でなければマイノリティに入った瞬間、不幸を嘆くコトになろう。

あるいはニッチ戦略ってのも、あるにはある。
他人のやらぬコトをやるのは、いろいろと大変ではあるけれども
運良く結果を掴めたりすれば、ちょっとは救われるコトもある。

どっちが正しいのかどうかは、知らぬ。
そもそも正しいってのは何なのか、それすらも分からないんだけど。

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2007/11/20

半生紀(10) ザ・我ん慢

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その後、再び縁があって就職した。
会社を立ち上げるので、最初の社員になってほしいという誘いだった。

海のものとも山のものともつかぬ、まだ見ぬ会社に入ろうと決意したのは
半ば自暴自棄になっていたという理由もあるだろう。
実際、少しくらいのリスクなど大したコトとは思えなかったし、
後追いで死ぬ勇気こそなかったものの、いつ死んでも構わないと思っていた。

また、考えてみれば、誰かの下につくことが昔から苦手だった。
高校1年生、大学1年生でそれぞれ体育会系、準体育会系の部活に入ったが
どちらもきっちり1年で辞めていたのである。
逆に大学の研究室では1期生だったからか、OB会などで関係が続いている。

最初の社員となるのであれば、先輩など存在しない。といっても仕事など
ロクにできない身なので、後に上司が入ってくるという形になったりはするが。
それはそれとしても、会社員として長続きしないという確信があったので、
もし上手い具合に経営が安定したら身を引くつもりでいたし、社長にも伝えた。

が、結局ズルズルと続いた。

いろいろあって、正社員から契約社員、そして自営業へと立場の上では
後退していったものの、この会社に依存する形で仕事を続けていたのは事実。

あれから何年が経過したか。
気付けば会社が買収されるまで、社長を除けば唯一の創業時スタッフとして、
そこにずっと居続けてしまった。
買収の話を聞いた夜、よくもまあ最後まで我慢が続いたものだと一人驚いた。

大学の担当教官に始まり、最初に入った会社の専務、
次に入った会社の社長、そして、この会社を立ち上げた社長、
どの上司からも「打たれ強そうだ」と言われ続けた気がするが、
それは果たして当時からの性質だっただろうか。

違うだろうな。
この中身は、常に弱っちい世間知らずの男でしかなかったのだと実感している。

まあしかし、彼らの予言は正しかったのかもしれない。
というよりも、詰まるところ彼らのおかげで
こんな風になっちまったんじゃないかとさえ思う。
そんな話をする機会などあれば、「おかげさまで」と礼を言いたい。

ただし、少しばかりの皮肉を香辛料として利かせつつ、
あわよくば心に刺さる弾丸として放ちたいのではあるが。

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2007/11/19

半生紀(9) 流ー転わーく

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2人での生活にかまけていた、と言えるかどうか……。

否定すれば嘘になる。2人で暮らす幸せを味わっていたのだから。
しかし生活を維持するための仕事にも必死だったワケだから、
完全に肯定するコトもできまい。

再就職先からは、1年ちょっとで退職した。
ごく小さな会社で社長に好かれなかったのだから、どうしようもなかった。
もちろん、好かれなかった側に落ち度がなかったとは、決して言えないが。

幸いにして次の就職先はすぐに見つかったが、2カ月も経たぬうちに倒産。
その潰れた会社の取引先が同情心からか仕事を分けてくれた上に、
次の仕事先を紹介してくれたので、なんとか救われた。

2人の暮らしを支えるためにも、拙いなりに必死で仕事をしていた。
が、ここでもまた、長くは続かなかった。
突然、妻に先立たれた。

付き合い始めて、わずか2年半ほど。
一緒に生活したのは1年半、入籍からは9カ月。
あまりに短かった、と言うのは簡単だが。

その後、抜け殻のようになっていて仕事も手に着かず、
表面的には回復したように見えてからもなお引きずって
ミスばかりが続いた結果、退職を迫られたという形。

そもそも大した仕事のできる男ではない。その上にコレだ。続くワケがない。
この時期の記憶は非常に曖昧なものになってしまっている。
実際、何をしていたのか、ほとんど思い出せないのだ。

それでも、過去に付き合いのあった会社から仕事を分けてもらうなどして、
辛うじて食いつなぐコトができたのは不幸中の幸い

……だったのだろうか。果たして。

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2007/11/18

所持品紹介(9) データの覗き穴からコンニチワ

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初めて自分で購入した電話機は、DS-110だ。たしか発売日に買った。
まだ携帯電話が一般に普及し始めたばかりの時期、当時のDDIポケットが
データ通信もできるPHS電話機として売り出したものだった。

ちなみに当時の携帯電話は料金が高く、
音質も電池の持ちも良くなかったしデータ通信速度も遅かった。
なので、買う前からPHSにすると決めていた。その中で選んだのがコイツだ。

2つ折りのスタイルは今でこそ当たり前となっているが、
当時のケータイはストレート型しか存在せず、非常に斬新なものだった。
それどころかコイツは、ちょっとしたコンピュータでもあった。

パソコンに接続しての通信だけでなく、単体でもデータ通信ができる
というコンセプトの電話機は、約10年後の今になってようやく
「スマートフォン」となって生まれ変わり、市民権を得つつある。

10年といえば普通の世界では一昔だが、
電子機器の業界では三昔くらいになるはずなのに。
ヒトが使うモノだから、まあ一昔と呼ぶ方の時間軸で良いのだろう。

ともあれ、後に妻となる彼女と毎晩のように長電話をしたものだ。
電車で1時間ほどの距離があったから中距離恋愛ってコトになるか。
通話料金は相当なものになったが、楽しい思い出だ。

当時のPHSは充電台を使わないと充電できないものばかりだったのに対し、
アダプタを繋いだまま、しかもイヤホンマイクを繋いで通話できたから、
長電話にも使い勝手が良いのだと、後になって気付いたりもした。

初めてパソコン通信に参加したのも、この端末から。
後にはインターネット接続まで(さすがに単独ではなくPC経由だが)、
この端末を常に活用していた。

キーパッド部がPCカードとなっていて重量バランスが悪いなど不便な点も
多かったし、大きい端末だからポケットには収まりが悪く、いつもベルトの
ポーチに収納していたりしたが、それでもずいぶん重宝したのを覚えている。

着信を知らせるバイブレータのみを取り出してポケベルより小さい
子端末に仕立てたような、「セパブル」なんて機能もあった。
これはこれで、今の大きく重いケータイにも合うのではないかと思う。

あれから何台の携帯電話を使ったか。

回線が速くなったり処理能力が向上したり、音声や写真、動画に3Dと
数々のマルチメディア機能まで付け加えられてきたが、そんな今でも
実は当時の端末と大差ないんじゃないかな、とさえ思うのである。

なにせ所詮はコミュニケーションデバイスなのだから、
大事な相手と、あるいは大事な内容のコミュニケーションに
役に立ちさえすれば良いのだ、と。

まあ、常に持ち歩く手頃なオモチャでもあるのだが。

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2007/11/17

半生紀(8) しんじゆく

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最初の就職先を辞めた後、しばらく実家の町工場で手伝いをしていた。

町工場といっても、ほとんど父方の実家の一族だけ。
まったく、吹けば飛ぶような零細企業だった。
父の腕前で辛うじて長らえていたのだと後に知る。

しかし当時、そんなコトにはほとんど気付かなかった。
むしろ、取引先に顔を出せば跡取りかと言われたり、父からも筋が良いと言われ、
退職を迫られたコトの苦痛が少しばかりは和らいだ気がする。

一方、社会の厳しさの一端を垣間見ていた直後だったから、
もし経営を継いだらどうするのか、などと考えたりもした。
いろいろ考え、少しは腕を磨く機会も与えられ、成長する気になっていた。

が、結果的には長く続かなかった。

当時のメモから推測すると、そもそも1年程度の期間をおいて
再びどこかに就職するつもりであったらしい。
さらに加えて、妻との出会いがあった。

詳細は端折るが、友達付き合いの気楽な間柄のグループで
都心の繁華街を飲み歩いていた頃、酔って喋る中で意気投合したのだった。
酒が結んでくれた縁と言えなくもないが、それはともかく。

彼女のために再就職しようと決意したのは間違いない。

しばらく付き合った後に再就職、さらに少し間をおいて同居、
そして2人だけの生活が続いて少ししてから入籍。結婚式は挙げなかった。
予算的な都合もあったし、そもそも2人とも強く興味を示さなかった。

ただ思いは一つ。2人で生活していけるコト。

その期待感のみを信じていられた、幸せな時期だった。

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2007/11/16

半生紀(7) 畑を違える

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社会人になってからの事件については、
少し曖昧な表現を使うことをお許し頂きたい。

いささか生々しすぎたり、関係者に迷惑がかかる可能性を
避けるために意図的に伏せている部分もある。
あるいは強い衝撃のため無意識下で記憶を隠蔽している部分もある。

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農学部を出て入社したのは、とある調査会社
といっても、探偵の類ではなく、建設業界に繋がる方の。
文字通り、「畑が違う」職業だ。
(この表現は、後に何度も周囲から聞かされたし、自らも使った)

フィールドワークとデスクワークが適度に入り混じり
結構飽きることなく仕事を続けられる感触があった。
パソコンを使ったデータの電算処理にも活躍できた(と思っている)し、
新卒ながらバイトを率いるリーダーシップも学べた(気がする)。

そんな社会人になって、初めてカメラを購入した。
高校生くらいの時期から興味はあったのだが、
この性格からして、のめり込むのは間違いなく、
それゆえに自ら稼いだカネでのみ買うつもりでいた。

ここで買っておいて良かったと思う機会は、少なくない。
ときたま仕事に役立つコトもあるが、それよりむしろ
レンズを通して世界を見るという感覚そのものが、
生き抜く上で役に立ったと実感している。

しかし、こんな会社員生活も長くは続かなかった。
2年ほど勤めた頃、会社が経営難に陥ったためだ。
ある日、専務に呼び出され、退職を求められた。
勤務態度が宜しくなかったなどの理由だという。

そして、「お前なら打たれ強そうだから大丈夫だと思う」とも。

いくら打たれ強そうに見えたって普通のヒトなんでね、
痛くないなんてコトが、あるワケもない。
結果的には耐え抜いてしまったが、それでもなお
「耐えなければ良かった」と思うコトさえある。

でも分かってる。
もう一人いた同期入社の社員では、耐えられなかったであろうと。
あまりに唐突に訪れた不況に、社長たちも為す術がなかった
そこで選んだのが「せめて打たれ弱くなさそうな」方。

会社に被害の少なそう、という判断もあっただろう。
その意味で、長年の経験を持つベテランは追い出せない。

どうしても若手を追い出さねばならぬなら、
違う畑のヤツからの方が良いという考えもできる。
そもそも経営層の期待する働きをするかどうかという問題もあるし、
ひょっとしたら他の畑で根付いてくれるかもしれない。

決して、社長はじめ社内の主要人脈に繋がる
学閥のためではない、とは思っている。

まあそうだったとしても、今はもう、構わない。

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2007/11/15

科学系ヨタ話(4)  凛々たる生命

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生命倫理学会年次大会に、ちょっとだけ行ってきた。
10年振りくらいか。正会員のくせに休みすぎだったと反省。

しかしヒトの意識というものは、たかだか一昔くらいで
大きく変わるものでもないのかとも思うから、まあいいだろう。

相変わらず無学者ゆえ学術的な議論には入り込めない。
なので、身近な実例だとか、大枠を見るような話題を選ぶ。

要は、ミクロな実例話と、大局のマクロな話の両極端だ。
中間を結ぶのが学術的な根拠だと思うが、そこは抜けている。

もちろん、全体の大枠を見るのは、詳細な学術論議をしたり、
レアケースまで網羅した実例を語るのと並んで重要なコトだ。

より広い範囲に対応する、より高次の原理原則を見付け出すために
欠かせない考え方ではある。噛み砕いたコトバで言うなら公倍数とか。

そういう“メタ化”する思考作業は、どの分野でも普遍的に行われる。
一方で上から見下ろすだけになってしまわないように気をつけたい。

だからミクロな話題にも目を向けている。興味もあるし。
が、両極端の間を結ぶ、肝心な学術は持ち合わせていない。

代わりに「経験と勘」などを使っているのだけれども、
コレじゃぁ学会で通用しないもんな。やれやれ。

見られなかったので詳細は知らないが。こんな主張もあったようだ。
「『究極の選択』をせねばならない状況を未然に回避するコトこそ上策」

得てしてヒトが後悔するのは、選択を迫られた瞬間であったり
選択してしまった結果に対してであったりするワケで。

その前に何とかしておけって考えは、もちろん正論だ。
戦略的に回避するのはヒトの知恵のなせる技でもあるし。

だから知恵を自負するのであれば、転ばぬ先の杖を用意しておけと。
その通りだ。その為の努力も歓迎すべきだし、積極的に進めた方が良い。

まあそりゃそうなんだけどさ。でもやはりヒトのできるコトは
非常に限られているのだ。そこにのみ頼って万全というワケでもあるまい。

究極の選択を迫られた瞬間について考えるコトも、それこそたとえば
後悔しないような判断をするための練習だって、もしかしたら役立つかもしれん。

あるいは後悔している人を支える試みも、どうしたって必要だろう。
その他いろいろと、考えておきたい範囲は広い。

念の為に書いておくが、努力を惜しむコトを推奨するワケではない。
が、良い考えだと思われたからこそ、そこにのみ囚われたくないと考えたのだ。

広い知見を持つ人は、人格的にも許容範囲が広いように思う。逆もまた然り。
森を見ていれば、木々の1本1本が少しくらい変でも気にならんというコトかと。

けど、小さな木々の枝葉末節にも、目を届かせていたいものである。
そこで生じる無数の喜怒哀楽を見落としたくはないから。

視野が狭いと非難されても構わない。
この目に映るモノゴトを、まず大事にしたいだけ。

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2007/11/14

油桶が浮けば日本の農業に追い風が吹く?

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「石油まみれ」とも言われる現代日本の食生活。
国産が中心の米や生鮮野菜にしても大都市まで相当な距離を運ばれる。
肉や魚の類では、地球を半周してくるような食材も少なくない。

原油価格高騰で、どのような輸送手段にせよコストが上昇する。
電車以外は石油燃料を燃焼させつつ走るものだから。
電力にしたっても火発への依存が強いのだから。

米州あたりでは飼料用穀類などは自動車用アルコール燃料向け作物へと
切り替わりが進んで供給が減り、さらに高騰している。
食い物さえ燃料に取られてしまうほど消費が激しい、とも言えるか。

すると、特に輸入畜産物には飼料コストと輸送コストの両方が上乗せされて
大きく値上がりする形となってきたりする。
国産品と輸入品との価格差が相対的に小さくなる方向に動いているようだ。

が、それでも当分の間は、国産品のほとんどが
やはり輸入品より高いままであると思われる。
物価も地価も人件費も高い日本では農業も高コスト体質だ。

つまるところ、経営という視点での農業改革が必要、というコトになるのだろう。
農業にまつわる風習は、それぞれの地域の伝統文化でもあるから難しいだろうが。
とはいえ伝統を守るにしても、少し考え方を変えてみるのが良いのかもしれない

具体的にどんな感じが良いのか、とは明確に言えないけれども、
村落共同体の枠組みが崩れる前に変化を作るのが良いかもしれない。
構成員全員がそれぞれの義務を果たすコトが水田耕作などでは重要だったのだし。

いろいろな生活廃棄物の有効活用なんかも、日本の伝統と言えるだろう。
かつての江戸では下肥のリサイクル業者が活躍したし、近代でもチリ紙交換
などが活躍した。「モッタイナイ」は世界的に通じる言葉となっている。

廃棄物から肥料や飼料への応用は、もっと広く手掛けるべきであろう。
新しい技術で伝統的な考え方を実現するコトを、古くは「倭魂漢才」と呼び
近代では「和魂洋才」と称した。今なら何と呼ぶのが良いかな。

一方、米国でも「伝統的な生活」がどうだという連中がいるが、
あっちの国は改革が伝統の中に含まれていて、
日本の伝統とは大きく違うような気がする。

まあその米国的伝統生活が石油燃料の大量消費の上に成り立っているのは
事実だと思うので、そこは改革してほしいもんだと思うけどな。
とか、とりとめもなく、いろいろ考えてみた。

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2007/11/13

しょっぱいハナシ

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現代の日本において、塩にまつわる話として、すぐに思い浮かぶのは
「敵に塩を送る」とか、そんなものではないだろうか。

しかし額に汗して働けば塩分は大量に身体から失われるし
穀物や野菜などはカリウムが多くナトリウムは相対的に不足する。

日本人の多くはあまり大切だとは思っていないようだが、
それは全国どこでも海岸線が非常に近いから、であろう。

ヒトの生活を支える上で欠かせない塩は、日本において、
主に海から得られるので、それを運ぶ道があればよい。

中には急峻な山岳地帯に阻まれていたりする地域もあるが、
いずれにせよ距離的には遠くない。道さえ開ければ近い。

その道だって、さほど広くもない国土ゆえに密に巡らせる。
育ち続ける険しい山々を穿つ川もまたモノを運ぶ道になる。

明治時代に欧州から来た技術者には川でなく急湍だとも言われたりしたが、
それでも上手な治水工事を施せば流通の大動脈として役に立ったのだ。

海から塩を得るためには、大量の燃料が必要となる。
そこで山の人々は木を切って川で運び、海辺に送る。

その木で海辺の人々は塩を作り、そのまま送るコトもあるが、
海産物を塩漬けにして山へ送り出したりもする。

海産物も塩も、両方ともが売り物になっているもんだから、
鮭は塩辛いというワケだ。塩にも味が出ていたことだろう。

日本では山と海が近いから皮膚呼吸的な交易が可能だった
とされている。距離的に近いところに異なる生活があった。

しかし大陸の中の方など、海まで何千㌔もあるような場所
だったりすれば、そのような物流は当然、成り立たない。

海から得るにせよ、岩塩を採掘するにせよ、
長大な交易ルートを通って塩が運ばれていく。

「地の塩」なんて言葉は世界有数の塩湖である死海の近くで
語られた言葉ではあるが、そんな大陸の実状を示すのだろう。

産地が限られているから、塩を独占した者は莫大な富を得る。
さらに言えば、塩は「給与」の語源になってたりもする。

こうやって利権を集約するコトが、
つまるトコロ大陸的な商売のやり方なのではないかとも思う。

一方、海にも山にも川にも里にも多様性に恵まれた日本列島でも、
大陸的な考え方が入ってきたあたりで専売公社など作ったりした。

嗜好品である煙草と生活必需品の塩を一緒に扱った。
それらの利権を国家に集中させるという考えだった。

塩の専売制がどれだけ国庫に役立ったかは知らないが、少なくとも
塩に対する意識を変え、塩にまつわる多様性を失わせたコトだけは確からしい。

そういえば、かつて専売公社だった株式会社は今でも大企業だ。
多様性を食うとカネになるのだと知った。

参考文献:「塩の道」(宮本常一)ほか

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2007/11/12

出張旅行記(14) 山勘式露出計

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山梨には、さすがに東京の隣の県だけあって何度となく訪れている。
甲府市には、一つの仕事で二度訪れたコトもあった。

甲府駅前には軍配を持った信玄公の像が鎮座している。
いよいよ大河ドラマも終盤だが、この姿によく似せてきたなあ。
主人公の軍師・山本勘助も入道となって、絵巻に残る肖像に似てきた。

よく考えたら、大河ドラマを最初から最後まで
ほぼ全部見たのは初めてかもしれない。
主人公の山本勘助に対して感情移入しているせいもあるだろう。

ちなみに、かつて山本に関しては実在論争もあったが、
おおむね現状では実在が認められているようだ。
しかし、武田家に仕官するまでの前半生については、未だに明確ではない。

中年、というか当時で言えば老境にさしかかってから、
ようやく表舞台に登場して活躍したのは事実であるらしい。
身体的に不利な点もあったので、その点も含めて異色な存在だ。

ドラマでは、仕官する以前に諸国を放浪したり、
若くして妻を亡くしたりと、不器用な生き方が描かれている。
そういうのが一つひとつ、親近感に繋がっているような気がするのだ。

ちょいと似てるみたいでね、
山勘という言葉の語源ともいわれる、あの男に。

で、ちょいとハナシは跳ぶ。

ここ2~3年、主に使っているカメラは、ちょっと古いスタイルの機種だ。
1ショットごとに手で巻き上げなくてはならないし、フォーカスもマニュアル。
スピードライトの連動はX接点のみ。つまりTTL発光制御などは行えないから
光量調節もマニュアルか、あるいはスピードライト側の外光式オートに頼る。

さすがに露出計だけは内蔵されているのだが、メガネをかけているせいで
ファインダーが遠く、下辺に並ぶ露出表示部分が視野外になってしまう。
意識的に見ようとしなければメーターが見えないもんだから、とにかく面倒。
ときたま確認のために見るコトはあるが、基本的にはほとんど使わない。

だから、それこそ山勘みたいなもんで撮影しているというワケだ。
ISO感度いくつで、シャッター速度いくつの、絞りいくつ……と。
単なる当てずっぽうではなく、実は経験に基づいた半自動的判断なのだけれども、
その体験のない人にとっては魔術か何かのように思えたりするらしい。

まあ実際、このカメラとはよほど相性が良かったらしく、買って3日目にして
露出計の示すのとは違う設定で撮影して気に入ったカットを得たほどだから、
ちょいと特別かもしれない。とはいえ、他の動作にもいくつかそういうコトが
あるので、一部の古い友人たちからは不思議系などと呼ばれたりもする。

そんな異能者扱いを受けるのにも、すっかり慣れてしまったな。
かつては異能者=異端者というレッテルで差別的な扱いにつながったコトも
あるが、中年となった今では、それがむしろ楽しかったりもするのだ。
むしろ持ちネタとして使えるんじゃないかと思っているくらい。

ああそうか、山勘殿はそういうふうに、異能者人生を楽しんだりもしたのか。
怒りも恨みも悲しみも楽しみも喜びも肴にして清濁合わせ呑み、
しばしばアタマを使って謀略を練り、残る一生を精一杯満喫したのだろう。
何度目かの川中島の合戦に術柵見破られて斃れても悔いはあるまい。

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2007/11/11

所持品紹介(8) ヒトが使うモノだから

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カメラはデジタル画像を出力するからデジカメではあるが、
操作部分に関しては徹底してアナログな機種を選んだ。

町工場に育ったせいか、3兄弟揃って機械弄りが好きである。
実際、3人とも親の手伝いで工場の機械を扱った経験がある。

そして、いわゆる男の子らしい遊びの中にも、
機械好きとなる要素は山ほどあったワケで。

子供の頃にはエアガンで遊び、成長すればクルマ好きとなった。
次男は整備士や運転の教官、タクシー運転手など、クルマ業界一筋の仕事だ。

長男が最も文系に近いのだが、考古学を専攻しており
現場の撮影に使うカメラにはそれなりに凝っていたものだった。

三男坊は、両方のお下がりを得て遊ぶだけでなく、
次第に台頭してきたデジタル機器にも長じていった。

実家では新しい家電製品のマニュアルを読む役割を与えられたため、
初めて触る機器であっても、あまり扱いに困らなくなった。

実家で購入したパソコンも、後には実質的に占有していた。
そうした趣味が嵩じて、仕事にすれば良かったかもしれない。

だが、アナログな使い勝手を実現できないデジタルは嫌いだ。
なので、コンピュータのみを相手にする仕事はできない。

最近は音楽コンテンツを買わなくなってしまった。
いや、デジタルコンテンツそのものを買う機会が大幅に減った。

著作権管理だの何だので無数の規格が乱立し、
扱いが面倒になってしまったせいもあろうか。

コンテンツを鑑賞して楽しむためのカネや時間が惜しいというワケでもない。
本や雑誌になら、数千円から万単位のカネを毎月のように費やしているから。

要するに、自分の手許に保有して楽しむという行為自体が好きなのだろう。
その点では、とても感覚的な(あるいはアナログな)生き方をしているのだと思う。

電子機器は、未だに紙とペンを越えるコトはない。きっと今後も。
むしろそれは、少なくとも当面は異質な存在であると感じている。

ナゼなら、ヒトがデジタルになるコトはデキナイのダから。

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2007/11/10

所持品紹介(7) めたりっくな品々

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自分で言うのも難だが、質感フェチである

木材に樹脂に護謨に金属、硝子や陶磁、紙だの布だの革だの石だの何だのの
いろいろな素材の表面の質感や持った時の重量感などを味わうのが好きだ。

たとえば金属の表面だって、単に金属と一言で括るのは簡単だけれども、
実際にはいろいろな素材や仕上げがあって、見たり触れたりして比べると楽しい。

こういう風に質感にこだわるのも、アナログ操作の機械を好むのも、
実家が町工場だった影響なのだろうと思う。

考えてみればガキの頃から金属塊(たいていは工場で出た端材)を玩具にしていた。
気付けば、工具に関しては両利きに近い。

機械油にまみれる工場にはマット仕上げの金属工具など存在しなかったが、
油や汗とは無縁のデスクなどで使うモノなら、それも良いと思う。

マット仕上げの品を使う際には掌に適度な湿り気がないと滑りやすいものだが、
掌に限っては意識的に発汗をコントロールできる体質なので特に問題はない。

そして、少し乾燥気味の状態にしておいた指の腹で
サラサラの表面を撫でて楽しんだりするというワケだ。

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2007/11/09

夜光性動物

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真夜中、明るいトコロでは目を細めているような生物に、よく目が会う気がする。
しかも、たいてい少しばかり高い位置にいる連中だ。猫とか、ヤモリとか。
(蝙蝠も頻繁に見かけるが、かれらの視力では目が合うというほどもあるまい)

ああそうか、こいつらと同類だったっけか。
ヒトだから瞳孔こそ丸いが夜目は利くし、高いトコロも好きだし、足音も静かだ。
そういえば煙とか、“天才の裏返しの方”とかも、高いトコロが好きだよな。

全くの余談だが、ほとんど風邪をひかない体質である
という点を踏まえて考えると、おそらくは
“天才の裏返しの方”に相当するのであろう。

さらにハナシは逸れるが、ヒカリモノも好きだったりする。
いやまあ青魚も好きなんだが、光を発する道具とか。
昔は、よく懐中電灯の類を集めていたっけ。

古くさいランプや蝋燭などにも、凝った時期がある。
ケミカルライトも、一時期は相当な数を集めていた。
蛍や夜光虫の原理を応用したというアレだ。

あんな感じに、身体の一部が光ったら楽しいのにと思ったコトもある。
さすがに、そんな機能はヒトの身体にないので、
これは単なる無い物ねだりだけれども。

あの手の生物は、光るコトが何らかの意思表示の手段になっている。
異性を呼び寄せたり仲間を集めたり、あるいは外敵を威嚇したりと。
暗い場所でしか使えないが、暗い場所も好きなので、それはそれで。

昔から、他人と違う表現手段を求めていたのだ、とも思う。
でもやっぱり生物学的にヒトであるコトには変わりないから、
仕方なく自分のコトバを身に付けていこうとしたのだろう。

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2007/11/08

科学系ヨタ話(3) 鱗足

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「深海バイオフォーラム」も、今年は仕事が重なったので参加を見送っている。
けっこう面白い生物が紹介されたりして楽しいのだがなあ。
口惜しいので、過去のネタなど。

足に鱗のある巻貝についての報告があった。
しかも鱗は硫化鉄でできているという。普通、鱗といえばカルシウム系のはずだ。
深海の生物にはユニークなものが多いが、その中でも特筆すべきユニークさ。

この鱗は、むしろ過剰な鉄の排出を第一の目的にしたのかも、とか思ったりした。
コイツは深海のホットスポットに棲息する巻貝。海水の組成は通常と大きく異なり
しばしば有害な金属イオンが高濃度で混じっているはず。排出せねば生きられまい。

そうして皮膚から自然に排出される物質が固形化しつつ自己組織化すると、
表皮の動きなどによって自然に鱗状になってくるとも考えられる。
固い表面を持ちつつも動きやすさを損ねないようにするなら鱗状が有利なのだ。

まあとにかく自然界ってのは、たいていが手抜きだからね。
どんどん複雑化する一方のキカイの世界なんかとは違って、
基本的には遠回りをして制御するコトなどないと思っていい。

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2007/11/07

自由とは2+2が4にならないコトもあると言える自由だ。

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考える力は読解力だ、と言う人がいる。
いろいろ考えさせられるような本を読み解くいていけば、
たしかにそうかもしれない。

考える力が以前にも増して重要になってくる時代の中で
それに逆行するような日本の子供たちの育ち方。
ゆとり教育の悪い面が出てしまったというコトで反動が出てきた。

言葉を使いこなす力をつけるために国語の授業時間を、
論理的に考える力をつけるために理数系の授業時間を、
それぞれ増やすという話で固まりつつあるらしい。

「義務教育段階では『読み書き算盤』を詰め込んだ方が望ましい」
とは以前から友人たちとも話し合っていたので、
それ自体は個人的にも歓迎できるコトではあるのだけれども。

どうにも政府のやるコトなので、どっか穴があると思ってみたりもするが、
どうやらすでに穴だらけであるらしい。
たとえば、教員を増やさずに対応するのは、まず無理だろうと言われている。

最近の学校内の状況を実際に見ているワケではないのだが、
伝え聞く限りでは教員の負担は年を追う毎に重くなっているとのこと。
児童や生徒に対する教育の質の低下を抑えられなくなりつつあるようだ。

まあそういう実態については現場の教員の方が詳しいので端折るが、
確実に言えそうなのは、学級内でのマイノリティ的存在に対して
教員の目が行き届かなくなりそうだという点。

そういう連中は得てして、教育機関が期待するのとは違う方向の能力や
他の児童生徒たちとは異なる独特の感覚を持ち合わせていたりするもので、
授業時間の増加や教員の監督不足などが不利に働きやすい傾向がある。

教科書通りの回答を絶対にしない生徒がいたら、どうする?
それが独自の価値観から生じた回答であったとしても、
時間的制約の厳しい教員が、そこに気付くコトは期待しづらい。

ヒトがヒトを教えるというのは、教える側が教えを受ける側のコトを
深く理解した上でなければ、なかなか難しいものである。
誤解に基づいて強引に進めてしまえば、破綻しかねない。

誤解されやすい状態の子供たちが学校に送り込まれているという実態もあろう。
家庭はもちろん、親族関係や地域社会などでのコミュニケーションを通じても
子供たちは色々なコトを学んでいたはずだ。高度経済成長時代のあたりまでは。

ところが、これが今や全くといっていいほど期待できなくなってしまった。
対話する頭脳さえ育たぬまま、空気や行間を読む能力さえ持たぬまま学校に
入れば、教員が伝えようとするコトを受け取るコトさえ難しいだろう。

そして問題に対する正解のみ提出できれば良いと受け取るのではないだろうか。
ゲームの中の世界でも、制作者が用意した範囲でしか動けないもんね。
現実の世界でも、たいていの生徒は用意された中から選ぶってコトになるだろう。

そこに適応してしまえる生徒なら、ハナシは簡単だ。
ひとまず学校に通っている間なら、特に問題を起こすこともあるまい。
実際の社会に出て、あまりの多様性に目がくらむかもしれないが。

しかし適応できなかった生徒は、どうなるだろう。
きっと挫折感ばかりを味わうのではないかな。とりたてて落ち度もないのに。
あえて落ち度があるとすれば、いささか規格外だったという点くらいなのに。

やはり、単に授業時間を増やすだけでは、どうしようもない気がする。
だからといって、何をどうすりゃいいかなんて簡単には言えないので、
ひとまずこのあたりで。

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2007/11/06

科学系ヨタ話(2) 長い名前のシステム

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今年の秋は、ほとんど仕事で潰れている。
いやまあ自営業だから仕事が途切れず入ってくるのは
とても歓迎すべきコトなのだけれども。

科学系の講演会などは好きだから、機会があればできるだけ参加している。
が、仕事が多くて参加できなかったものも多い。
というワケで、先日見逃した科学系フォーラムで、昨年のネタを。

地球環境のデータを集めた「システムのシステム」を作るのだという内容だった。
同じ科学系でも、分野によってコトバが違うし数字の扱いも違う。
それを集約するためのシステムを作り、相互に活用しようというのだ。

ヒトの知識が広く深くなっていくのに伴い、
コトバは常に細分化され続けている。
同じ科学系でさえ、ちょっと分野が違ってしまえば用語もまるで違う。

バビロンに塔を建てて神の怒りに触れたからコトバが分かれたとの言い伝えも
あるが、むしろ順序は逆ではないかとも思う。なぜなら塔を建てようとする
だけの技術力を持った時点から、すでに細分化の芽が出ていたはずなので。

一方、「現地の言語に明るくなくてもテクニカルタームで言いたいコトが伝わる」と、
多くの技術者の連中が、しばしば海外に行って感じるのだそうだ。
同じ分野の言語というのは、それほどまでに強い絆になる。

ヒトはやはり、小さく密な集団に分かれていこうとする傾向があるらしい。
分かれた挙句、不毛な対立抗争をしたりして消耗し憎しみを蓄積し続けるコトが
実は神の呪いだったりするのだろうか。

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2007/11/05

見る阿呆の心得るコト

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久し振りにバーでジャズの生演奏を聞く。
さほど広くもない店内を埋め尽くした観客全員がステージに意識を集中する。

こういう瞬間、何かの発作で妙な動作をしてブチコワシてしまったらどうなるか。
そんな思いを持って、ふと怖くなったりする観客がいるかもしれない。
実際、対人恐怖症なんかには、そういう根っこがあったりするよね。

でも実際には、それは滅多に起きないものだ。
一体感というか信頼感というか、場を共有しているという感覚に
身を委ねているだけで、おおむね回避できたりするものでね。

もしかしたら、ヒトを信じられないのかな。自分自身も他人も。
信じてみれば案外、大丈夫なものなんだけどなあ。
そんでもって、一緒に楽しんでみれば、もっと楽しめるワケだ。

まあそんなふうにいろいろ考えている時点で、
観客失格というコトなのかもしれんが、
そこはそれ、二重思考というコトで。

以下、逆の視点に立ってみる。
例によって分かった風な書き方で。

日頃、練習しているコトは、日頃と変わらぬ気持ちでありさえすれば
どんな大舞台でも普通に出せると、よく言われる。

例えば楽器演奏や歌唱、演劇などのような行為ならば
形そのものを練習していて、そこに意図を込めて、表現をする。

あるいは、半ば反射的に言葉を作って声に出すような、例えば実況中継など
のような行為でも、やはり練習が物を言うし、「形」と「意図」が伴う。

ヒトの脳というモノは、たいていのコトには、慣れる。
表面的な形はもちろん、内面的な意図、思考ルーチンから精神性に至るまで。

あとは、「環境が変わっても自分は変わらない」という信念を貫けば
いいのだろう。その信念も、きっと「慣れ」で身に付けられる。

いろいろな環境を経験し、その中でも自分を出していくような練習が、
おそらく必要だとは思うけれども。

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2007/11/04

科学系ヨタ話(1) 四肢自由禄

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3は二次元的な広がりを持つコトのできる最小の数。
そして、内部で多数決が可能な最小の数でもある。

だから、それがまとまるというコトは大きな意味を持つ。
三本の矢とか三位一体とか三人寄れば文殊の知恵とか。

5と7は、3に続く奇数であり素数なのでリズムを作りやすい。
それゆえコトバの上で落ち着く数として詩文に多用される。

でも、3と5の間にある4もまた、詩や音楽に関係が深いよね。
これがまた、生物学的にいえば落ち着きの良い数字なのだ。

何故って?
発生の際に手抜きができるからさ。特に高等動物。

分化する途中で上下と前後左右が決まるから、
つまるトコロ六面体のイメージで考えればよい。

つまり六面の四角形。
その4つの頂点から何かを伸ばせば四肢になったりするワケだ。

それで言うと6だって、そんなに不自由な数字じゃなくて
むしろ左右に平行して伸びる線から3つの点を伸ばした形。

要するに偶数は動物的。2とか8とか10まで含めて。
なので、泥臭いイメージがあるのもまた事実。

奇数だって357あたりは生物でも頻出の数字だ。
たいていは植物的、あるいは下等動物的ってなる。

でもって1は特別なので除外して構うまい。
それじゃあ9って、どうなのよ。

10未満で素数でない奇数としてユニークだけれども
生物には、あんまり出てこない数のような気がする。

(つかコレ、科学か?)

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2007/11/03

なお、この秘密は自動的に消滅する。

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過去の事実の究明を求めるのであれば、
その結果がどうなろうと受け入れる覚悟も持たねばならぬ。

知ることの権利に、過去を変える権利は含まれないから。

現在進行形のモノゴトを知るのであれば、
その先の未来がどうなるか絶望せずに認識せねばならぬ。

知ること自体に問題なくとも、未来を変える力はあるかい?

もし覚悟ができてるなら、きっちり知った上で考えればいい。
その覚悟さえも越える事実だって、あり得るけどな。

知ることについて知ったコトは、今のトコロそれだけだ。

なんといっても、知りすぎてしまっては面白くないからね。
秘密を知ったら秘密じゃなくなってしまう。

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2007/11/02

水と油と塩の関係

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食事をともにする行為は「警戒していませんよ」という意思表示で、
ある程度までは警戒心を解いて親しくなろうとする行動である。

そも摂食行動中というのは周囲への注意がおろそかになるがゆえ本能的に
警戒心が強まるものだから、饗応はそれを越えた信頼感を示すものといえる。

軍艦に水と油を提供するってのは、さすがに本能とまではいかないだろうが、
軍事というのはヒトの本能に強く結び付いてるから、まるで違うとは言えぬはず。

実際、米国やNATO系の多くの国では燃料や弾薬などの規格を広く共通化して
いるワケだが、そのこと自体がすでに饗応の準備といえるのかもしれない。

ちょいと違うハナシになるが、本拠を離れた軍事集団は現地調達に頼るコトが多い。
武器弾薬などの装備はともかく、水や食料、燃料などは運ぶコストが高くつくから。

平時であれば普通は現地での軋轢を生じさせないよう、きちんと対価を払って
平和的に調達するものだが、まさに軍事的活動中では、そうでない場合もある。

多くは軍資金不足などの理由で略奪に走るのだろう、といいつつ、
現地の食料を食い荒らして国力を疲弊させる目的だったコトもあるようだ。

かつては、平時ながら現地に糧食を求める軍隊も、ときには存在したらしい。
これは現地に対する支配の象徴として、まさに存在自体が武器というワケだ。

自国の軍隊が自国民に対してそのような存在であったりしたら、
それはそれで圧政というのだけれども。

もしかしたら油を売るというのは、存在自体が武器のような連中に餌を
与えているような行為を指すのではないかと穿った見方を思いついた。

で、敵に塩を売るなんて言われてしまうワケだ。

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2007/11/01

出張旅行記(13) 城は連なる、断層の上に。

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夏、琵琶湖から流れる瀬田川の近くまで出張してきた。

日本最大の湖。内陸の湖ゆえに高潮や津波などの心配はないし、
波も外洋よりずっと静かで安定しているのが良い。

また、周囲の山々から流入する堆積物が多く肥沃な農地が湖岸に広がり、
豊富な栄養分で豊かな水産物が得られるのも大きな利点。

さらに、湖の水運は日本海側と近畿地方を結ぶ交通の要衝として、
湖岸の道路は西国と東国を結ぶ幹線道路として多くのヒトモノカネが流れる。

ゆえに岸辺には多くの集落が作られ家々が立ち並び
農業漁業商業それぞれの生業に人々が精を出す。

そして、ちょうど日本を東西に分けるポイントに湖や山があるもんだから、
為政者からみれば、ついつい押さえたくなる地域でもある。

古代に乙巳の変から始まって、天下分け目の戦いの多くが琵琶湖近くに
関係しているコトからも分かる。関ヶ原の「関」は関所の「関」だし。

近代になってからは鉄道や道路網も密に巡らされている。
工業用水や水運その他の利便性を活かして多くの工場が建てられた。

でも危険なのよね、この場所って。

多くの集落は不安定な地盤の上にあって大地震のたびに沈んだりする。
交通の要所を見下ろす絶好の場所は湖を取り巻く断層の上。
だからこそ多数の城が建ち並び、ときたま地震で倒壊する。

周囲の地殻の圧縮応力が微妙に抜けるポイントでは、
逆断層に囲まれ歪んだ紡錘形の湖ができやすいとも聞く。
たとえば琵琶湖とか諏訪湖とか、まさにそんな感じで。

周囲の山々の成長と同時に逆断層の窪地も成長し続けるので
いつまでも堆積物に埋め尽くされるコトなく広さ深さを保つのだと。
してみると琵琶湖のほとりで地震に見舞われるのは宿命ってワケだ。

でも重要なのよね。この場所って。

まあしかし日本列島なんぞに住んでいる限り、
どこにいようと数百年に一度くらいの割合で大地震に遭うのは
ほぼ確実に避けられないのだとは思うけど。

そもそも直近の研究成果をみている限り、
駿河湾や南海トラフや東京湾直下や国府津松田断層なんかが
地震発生の危険度でいえばよっぽど高いというコトらしいし。

てなワケで。

どうせ何処でも完全に安全でないというのなら、
こういう風光明媚で利便性の良い場所が、
やはり心安く暮らし易くて良いのだろうね。

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