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2007.12.01

理系用語で読み解く社会(12) そう、御関係

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素粒子と素粒子の間に働く様々な力というのは、
双方の間で何かの粒子を交換するコトで成り立つとされる。
人と人の関係には、目に見えない絆によって結ばれた関係もあるが、
モノを媒介として結ばれる関係については贈与・互酬関係という。
交換するのがモノでなくても、ココロを通わせるという言い方がある
くらいだから、コミュニケーションを通じて何かを交換しているのだろう。

社会の中でのヒトのあり方について考えてみよう。
先鋭な例として、新参者が共同体の一員として受け入れられる場面を想定すると、
対等な仲間として受け入れてもらえるようになるには数百年も要するコトがある。
特に、特異な能力を提供して共同体に加わったりすると、長い期間にわたって
その能力を、つまり共同体内の一般的な構成員とは大きく異なるモノを
求められ続けるというワケだ。受け入れられるには能力を放棄するしかない。

異能者としての生き方には、いろいろと制約がある。
例えば権限。権能を共同体から求められるのだから、義務が伴うというワケだ。
あるいは、祀られるなら祟ったり祝ったりせねばならん、とも言える。
場合によっては、畏怖から差別に繋がったりするコトもあろう。
隔絶感から距離を置くコトになり、疎遠になれば相互理解は深まらないから。
もちろん、距離を置こうとする行動もまた相互作用ではあるのだが。

能力を媒介とした関係を構築してしまうと、普通の関係は構築しにくい。
何千年もの間、諸国に分散して生活しつつ独自の能力で生活しているというのに、
今もなお完全には定着できないようなヒトビトもいるくらいなのだ。
そういったヒト集団に対して、より大多数のヒトが所属するヒト集団は
しばしば迫害してきた。政治ってのは数の論理でもあるもんだからして。
だがその結果、やはり異能者集団が長く残る道筋をつける結果にも繋がる。

日本の伝統芸能に対して贈与・互酬関係の外から入り込めるかどうか。
これらの分野は特に閉鎖的だと言われるので、
少しは開放的になった方が良さそうだ。
閉鎖的なままの文化を海外に発信したとて、もし外で勝手に謎のパロディが
流行ってしまったとしたら、却ってそれが本家を圧迫しかねないのだから。
しかし、「開かれた文明」とするためには何が必要か。

全く別の文脈だが、思い出すコトがある。
数年前、大学時代の恩師と話し合った際には、
「混乱した情勢から軟着陸させる能力が必要になるだろう」と
おこがましくも語ったのだった。
まあその能力があるかどうかはともかく、必要性は認識しているぞ
という程度の前提でハナシを進める。

たいていの場合、変革には抵抗や軋轢が伴うものだ。
それをそのままに押し切れば、矛盾をはらんだままに
事態は動き、何らかの禍根を残し、破綻に繋がる火種を育てる。
「最大多数の最大幸福」なんて言葉で言うのは簡単だが、
まあいろいろと泥臭いコトをして利害を調整して、
せめて三方一両損くらいに落とし込む手腕がほしい。

原子核の中で、陽子や中性子が引き合う力の源となっているのは中間子だという。
しかし陽子も中性子も中間子も、さらに突き詰めれば中身はクオークだという。
中身が同じだからこそ媒介し合えるのだ、などと、こじつけてみても良いのかな。

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