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2007.12.24

たまには時事ネタ(1) 吹き渡ってほしくはない

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先日、「千の風になって」が、シングルCDの売り上げで
2007年の日本一になったとかいうニュースがあった。

この曲は、どうしても好きになれない。
どうにも、納得できない気持ちが残る。

何故なのだろうかと、少し考えてみた。
なかなか明確な表現が難しいが、ともあれ考察してみる。

まずは、「泣かないでください」と言われるのが嫌だ。
「死んでなんかいません」も嫌だ。死人が言うなと。

……いや違う。きっと違う。
その思考の道筋には微妙な違和感を覚える。

歌詞そのものに違和感があるというより、何か別の部分だ。
そう、例えば「お涙頂戴」的な雰囲気とか。

数年前、「絶対泣ける」なんてアオリ文句のついた純愛小説などが
流行ったコトもあったけど、とてもじゃないが読む気がしなかったっけ。

若くして妻に先立たれたからといって悲劇の主人公を気取るつもりなどない。
もし同情しようとする人がいるとしても、それを受けたいとは思わない。

世界の中心で何を叫ぼうと勝手だけど、悪いが邪魔だ。
叫ぶなら町外れの草っ原にでも行って穴掘って叫んでくれ。

不幸はプライベートな出来事で、その人にとって非常に深刻なモノだ。
それゆえに他人には伝わりにくい。そのことがまた不幸を増大する。

これがまた、ヒトの構造的欠陥かとさえ思うくらいに
ヒト社会の中では定番化してしまっているのである。

だからそれゆえに、気軽に「分かる」などと言われても困る。
もちろん、自らの口でそう言うコトも憚られる。

本当に理解するというのは、どういうコトなのか。
考えれば考えるほど難しいのだから。

ともあれ、不幸のカタチは人それぞれ千差万別。
全部が全部、風とともに去りぬるワケではない。

負の感情を他人に強制したくはない。
だからあえて黙っているコトも多い。

知恵を働かせて伝える工夫をしようにも、
強い感情があっては難しいし面倒だからね。

そんなワケで無条件の理解を期待しなくなって久しい。
必要に応じて説明する程度に留めるよう努めている。

自分自身が強いなどとは、断じて思わない。
むしろ、弱いからこそ勇ましい言い回しをしたがらないのだろうと思うくらい。

泣きたければ泣いていいさ。実際、墓前で涙したコトくらい何度もある。
死んだ者は死んだのであって生き返らない。いくら願っても祈っても駄目だったよ。

風が吹く日もあれば、吹かない日もある。そりゃどうでもいいや。
でも夜の後には必ず夜明けがある。その空は黒雲に覆われているかもしれんが。

なんというか、虚構に逃げる強さは持ち合わせていないが、
感情を受け止める強さはあるのかもしれないな、とは思う。

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やはり今は、まだあの歌に納得できないらしい。
しかし今後も、ずっとそうだとは言い切れない。

もしかしたらいつか、違和感を持たずに聴けるようになるかもしれない。
まあ死んでしまえば違和感も気にならなくなるのだろうけれども。

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