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2007/12/27

たまには時事ネタ(3) 儲錯権

20071227_


著作隣接権あたりの関連で、いろいろゴタゴタしているらしいので書いてみる。
文化審議会著作権分科会「私的録音録画小委員会」とかの話題。
まあ単なる潜在的利用者に過ぎないので、適当に言っておくとすれば、
便利になるよう装った不便な仕組み、というくらいの感覚しかない。

いずれにせよ、とにかく最近の音楽の扱いなどは面倒で困る。
何年も前(きっとCCCDが出た頃)から、新しい音楽コンテンツを買わなくなった。
昔の気に入ったCDを取り込んだライブラリを繰り返し聴いているだけ。
まあ新しい曲に興味を持てなくなってしまったせいもあるのだけれども。

それにしても、違和感は残るどころか増大する一方である。
「不便なのを便利にするのがテクノロジーではないのか」とは、
よく言われるが、その反語的用法も常識と化してきた感があるくらい。
「不便なのを便利にするのがテクノロジーではないのだ」と、ね。

余談だが、年金世代の老父母はデジタルな世界など全く分からない。
母はケータイのメールも使いこなせない。電話帳機能を覚えるのが精一杯。
父はケータイのメールに集中するあまり食事を忘れるコトさえあるほどだが、
パソコンは苦手で困っている。特にweb関連となるとお手上げ。

先日など、父が自動車保険の契約更新手続きをwebでやろうとしていて困った
というので相談してきたが、ちょっと見てみればITリテラシーのある人でさえ
操作が面倒に感じるような不親切なサイトだったので、こう言ってやった。
「webで更新すれば割引だというが、親父がやれば割引分以上に時間を損するぞ」

ええと、ちょっとだけ話を戻そう。

あの小委員会で文化庁側がデキアイの回答を用意していたりするような態度を
見せたのも頂けない。でもって多数のパブリックコメントを流してたりもする。
アレには呆れた。だったら、パブコメ募集など最初からやらない方が良かった。
「利用者の言うコトは聞きません。権利者の言うコトが全てです」とでも言っとけ。

前内閣が支持を失った理由の一つに「やらせ事件」があったはず。
あれはタウンミーティングだから公聴会的な場を作ってのコトだったワケで。
また、仮に民間企業が株主総会で「やらせ質問」をしたりすればどうなるかな。
それと同じコトをしているのだ。しかも、より壮大な場を仕立てておいて。

役人たちも「どのように努力したか」ではなく「どのように受け止められたか」を
考えていかねばならないはずだが、それは相変わらず期待できないと実感した。
この小委員会を実際に傍聴したワケではないので何とも言えないが、議論する
気のない「やらせ委員会」に過ぎなかったという印象は、いつまでも拭えない。

コレじゃあ、やっぱりツマンナイ。いわゆるひとつの反コンビニエント的真実だなあ。
八百長委員会に使った税金返せとか、私的録音録画補償金返せとか、言いたくもなろう。
何というか、日本人は利害調停が下手なんだよね、伝統的に。
だから解決は白か黒か玉虫色しかない。玉虫色ってのは、単に見た目が綺麗なだけで。

結局、声のでかい奴、つまり多数派や主流派やカネモチが全てを取って、
他はおこぼれで我慢するしかないような気がする。
それはどこの国でも基本的に同じだろうけど、少数派の意見も上手に盛り込む、
といった微妙な匙加減が、こと日本においては全然できてないように思う。

話変わって、先日が神の子の誕生日だったという「砂漠の神」は「裁く神」……。
語呂がアレだけど、そうでなくてもそんな気がする。
対して東アジアの森や野で生まれた神々は、一応は裁きも行ったりするが、
どっちかっつーと許容範囲が広くて「まあ、いんじゃね?」的な雰囲気だと思う。

そういえば、砂漠の神が入ってくる前には、欧州なんかだって
そんな感じに大らかでのほほんとした神様がたくさんいたような気がする。
しかし今は裁きを行う神様がいるせいか、欧米人が論争している際の応酬などを
聞いたりすると、どことなく民事訴訟的な雰囲気を感じてしまう。

特に米国の場合、民事訴訟も頻繁で、過剰な訴訟合戦になったりするという。
でも、裁く神を崇めているせいか、かなり割り切って裁いているようにも思うし、
裁き慣れているから民から官への訴訟にも慣れている。ここは見習ってほしい。
カネで解決できる部分はカネで。おカミの責任はおカミに。とか。

理不尽に感じられるモノゴトが続けば、誰も何も信じなくなってしまうのよね。
そういうモノゴトは、一つひとつ虱潰しに片付けていかないと増える一方。
強引に話題を戻せば、本来は楽しくなるための音楽やら映像コンテンツのはずなのに、
買う気を損ねるくらい楽しくもない規制ってのは、本末転倒甚だしい。

過去だの今だのを起点にするのでなく、まず将来像を描いてから、そこに向かって
現状を変えていくような会議を期待するのは、高望みなのだろうか。
誰でも、「損をした」という前提からはマイナスの議論しか出てこないんだよ。
どういうカタチが良いのか、もういっぺんアタマ冷やして考えなおしてくれんかね。

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