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2007年12月

2007/12/31

今年の「そうかっ!」

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今年、新しい芸風を身に付けようと決めていた。
少しは達成できただろうかね。

「そろそろ新しい分野に手を広げる時期だと感じている」
と、10年来の友人に語ったコトもある。ごく自然に、そう思えたのだった。

正しいのか間違っているのかは全く分からないが、
しかし実際には何の根拠もなく確信して、自然にそういう動きをしていた。

それから、いろいろと書き物をしていく過程で、
自然な形で過去を振り返る機会を得られた。

さらに、新たな道への誘いもあったりした。
乗るかどうかは保留しておくにしても、やはり転換期の入り口だと感じる。

逆に、新たな誘いを仕掛けたいと企みつつ、
まだ実現できていなかったりもするが。

ともあれ生きていくコトは常に絶えざる新陳代謝を続けるコトでもある。
とはいうものの、今年はいろいろ新しいコトがあったものだと思う。

新たなモノゴトに接したら、まずは理解をせねば気が済まない。
もちろん、そのための努力は繰り返し必要だ。

が、さすがにたくさんありすぎた。
多すぎて追いついていないようにも思える。

結果的には、理解するコトに対して手抜きが感じられるので、
来年はそのあたりを工夫してみようかしらん。

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2007/12/30

おう、掃除

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さて、今年も大掃除の季節がやって参りました。
皆様、如何お過ごしでしょうか(何の挨拶だ)。
こちらは部屋の大量の荷物に手をこまねいておりますが。

それでも、自宅に招いた数少ない客に言わせると、
「一人暮らしの男の部屋で、しかも荷物が多い割には、マシな方」
ではあるらしい。

本は文庫新書漫画含めて部屋の壁一面を埋め尽くすくらい、
カメラ機材は専用のキャビネットが欲しいくらい、
PC関連機材はおそらくSOHOどころではないくらい。
その他、仕事の資料や筆記具の類も。

それらは、だいたいモノによって置き場所を決めている。
どこかに置きっぱなしというコトはあまりなく、
幼が済んだモノはおおむね元に戻すようにしている。

逆に、頻繁に使うモノは手近なトコロに置いている。
仕事をするのはPCの前、冬は炬燵で夏はテーブル、だ。
その机から手の届く範囲に、おおむね一通りのモノを配置してある。

そして台所回りなどは、出ているモノも少ない。
炊事をする頻度も少ないが、ほぼ使ってすぐ片付けている。
洗い物が面倒なので溜めてしまうコトがある程度だ。

仕事場でも、だいたい同じような感じでやっていたな。
本人はそうでもないと思っているのだが、
どうやら割と几帳面だと思われているフシがある。

何年か一緒に仕事した仲間からも、整理する方だと言われた。
机の上が整理されている(比較対照がアレだけど)、だとか、
仕事のノートやメモが整っている(同上)、だとか。

たしかに、ある一定の秩序や調和は好ましいと思う。
けど誰だってカミサマじゃないんだし、無秩序というか不協和音というか、
得てして意図に反した要素は存在してしまうものである。

やっぱり、完璧に合理的で秩序立ったモノって、不自然に思えてしまう。
なんというか、理想的調和ばかりを追い求めていた少年時代を思い出すようで、
好きになれないとも言える。

故阿部謹也氏が若者向けに書いたという「自分のなかに歴史をよむ」には、
「交響曲にひかれながらも、そこに小さな違和感を感じる」とか、
「交響曲のなかに、ヨーロッパ文明の本質をみることができる」とあった。

そういう小さな違和感に気付くコトが、しかし非常に大きな意味を持つ。
ヒトがアテにならない存在で、世の中がヒトの思い通りにならない、といった前提で
考えていくと、余計なモノゴトを受け入れるだけの余裕を常に持っときたい。

となれば、思い通りにできる部分では適宜整理しておいて、
そのための余地をアタマの中に、机の上に、鞄の中に作っておくコトが、
現実と理想との折り合いをつける一つの方法ではないかと思うのだな。

まあ、こういうのを老練というのだろうけれども。
阿部謹也は、こうも書いている。
「この違和感を大切にしながら、他の文化を理解する努力を」と。

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2007/12/29

トンネル・高架

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「面倒臭いのを何とかしたい」という場面には大きなパラドクスが潜む。
解決するために一時的にしろ今よりも面倒な作業が予想される場合、
多くの人や組織は、そのエネルギー障壁を乗り越えるコトができない。
こういう壁に突き当たって挫折する例は、特に日本人に当てはまる、のかな。

何とかしようにも、何がどう面倒なのかを実感して精通していなければ難しい。
けれども理解していく過程で面倒なコトも当然と慣れてしまったりして、
どこがどう面倒なのか、当初の問題意識を見失ってしまうケースもある。
結局、あんまり発展しないまま甘んじて現状に妥協していたりするんではないだろうか。

面倒ってのは、単純な作業だけでなく、いろいろな風習なんかにも言えるコトでね。
まあ平和だったら、それでいいんじゃないかとも思う。
外圧に押される今、それでいいのかどうかは疑問だが。
だけど外圧を押し返すだけでは芸がないし疲れるし面倒だから内面的な改善も……。

そういえば。
ある条件下では粒子がエネルギー障壁を突き抜けるような現象があったっけ。
それを研究してノーベル物理学賞を受賞したのは日本人だったような気が。
やればできるかもしれないんだよな。条件が整えば。

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日本人には両極端なトコロがあると思う。
いや、それはヒト全体に言えるコトかもしれんが、まあどっちでもいい。
それはすなわち「ある特異点を越えれば全く違った世界が見える」
ってコトでもあると思うのだけれどもね。

無風のトンネルを抜けた向こうには、
いきなり線路が高架線になっていて横風に煽られたりするかもしれないから、
突然の変化というのは危険を伴うものでもあるのだけれども、
風はともかく眺望は非常に良好であろうから、それもまた良し。

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2007/12/28

求めてるモノは何ですか

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現状が良くないと知ったとき、ヒトの反応は2つに大別されるだろう。
良くない現状を改めようと自らを奮い立たせるか、
あるいは改善するコトを諦めて悲観的になるか、だ。
その反応の違いは多分にメンタルなものであって、客観性は低いと思う。たぶん。

てぇのも、時代によって大勢が大きく異なるように感じられるからだ。
バブル期なんぞは、もちろん前者だったような気がするのだが、
そのままイケイケでやっていったら、はじけてしまった。
つまるところ今は、その反動で後者になっているように思える。

まあ時代そのものが時空間を共有する多くのヒトビトによって作られるのだから、
そのヒトビトの中で生きるヒトがヒトビトから影響を受けていないはずもなく、
むしろ言うなれば集団的自己中毒のような形で、良いコトも悪いコトも広まる。
密室の中で自らの呼気の二酸化炭素で息苦しくなるような、そんなもんだろうか。

それを回避するにはガス抜きが必要なのだろうけれども、時代に風穴を空けようと
すれば大掛かりな工事になってしまい、その工事期間中には断熱材もないような
寒々しい仮設住宅でしばらく暮らさねばならないかもしれない。
まあそういうときには、外に出て身体を動かしたりして暖まるしかないかな。

それでもって、半ばヤケになって踊ってみるとか。
夢の中へ行ってみたいと思えるようになるかもしれない。
まあ運動していればエコノミークラス症候群だって
メタボリック症候群だって予防できるさ。

見る阿呆より踊る阿呆が増えてくればしめたもの。
みんな腰を落ち着けるコトなく踊ってたってええじゃないかええじゃないか。
朝まで踊って踊り疲れて眠ってしまえ。
そして時代はまた巡り、宴の後は後の祭りとなるのだから。

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2007/12/27

たまには時事ネタ(3) 儲錯権

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著作隣接権あたりの関連で、いろいろゴタゴタしているらしいので書いてみる。
文化審議会著作権分科会「私的録音録画小委員会」とかの話題。
まあ単なる潜在的利用者に過ぎないので、適当に言っておくとすれば、
便利になるよう装った不便な仕組み、というくらいの感覚しかない。

いずれにせよ、とにかく最近の音楽の扱いなどは面倒で困る。
何年も前(きっとCCCDが出た頃)から、新しい音楽コンテンツを買わなくなった。
昔の気に入ったCDを取り込んだライブラリを繰り返し聴いているだけ。
まあ新しい曲に興味を持てなくなってしまったせいもあるのだけれども。

それにしても、違和感は残るどころか増大する一方である。
「不便なのを便利にするのがテクノロジーではないのか」とは、
よく言われるが、その反語的用法も常識と化してきた感があるくらい。
「不便なのを便利にするのがテクノロジーではないのだ」と、ね。

余談だが、年金世代の老父母はデジタルな世界など全く分からない。
母はケータイのメールも使いこなせない。電話帳機能を覚えるのが精一杯。
父はケータイのメールに集中するあまり食事を忘れるコトさえあるほどだが、
パソコンは苦手で困っている。特にweb関連となるとお手上げ。

先日など、父が自動車保険の契約更新手続きをwebでやろうとしていて困った
というので相談してきたが、ちょっと見てみればITリテラシーのある人でさえ
操作が面倒に感じるような不親切なサイトだったので、こう言ってやった。
「webで更新すれば割引だというが、親父がやれば割引分以上に時間を損するぞ」

ええと、ちょっとだけ話を戻そう。

あの小委員会で文化庁側がデキアイの回答を用意していたりするような態度を
見せたのも頂けない。でもって多数のパブリックコメントを流してたりもする。
アレには呆れた。だったら、パブコメ募集など最初からやらない方が良かった。
「利用者の言うコトは聞きません。権利者の言うコトが全てです」とでも言っとけ。

前内閣が支持を失った理由の一つに「やらせ事件」があったはず。
あれはタウンミーティングだから公聴会的な場を作ってのコトだったワケで。
また、仮に民間企業が株主総会で「やらせ質問」をしたりすればどうなるかな。
それと同じコトをしているのだ。しかも、より壮大な場を仕立てておいて。

役人たちも「どのように努力したか」ではなく「どのように受け止められたか」を
考えていかねばならないはずだが、それは相変わらず期待できないと実感した。
この小委員会を実際に傍聴したワケではないので何とも言えないが、議論する
気のない「やらせ委員会」に過ぎなかったという印象は、いつまでも拭えない。

コレじゃあ、やっぱりツマンナイ。いわゆるひとつの反コンビニエント的真実だなあ。
八百長委員会に使った税金返せとか、私的録音録画補償金返せとか、言いたくもなろう。
何というか、日本人は利害調停が下手なんだよね、伝統的に。
だから解決は白か黒か玉虫色しかない。玉虫色ってのは、単に見た目が綺麗なだけで。

結局、声のでかい奴、つまり多数派や主流派やカネモチが全てを取って、
他はおこぼれで我慢するしかないような気がする。
それはどこの国でも基本的に同じだろうけど、少数派の意見も上手に盛り込む、
といった微妙な匙加減が、こと日本においては全然できてないように思う。

話変わって、先日が神の子の誕生日だったという「砂漠の神」は「裁く神」……。
語呂がアレだけど、そうでなくてもそんな気がする。
対して東アジアの森や野で生まれた神々は、一応は裁きも行ったりするが、
どっちかっつーと許容範囲が広くて「まあ、いんじゃね?」的な雰囲気だと思う。

そういえば、砂漠の神が入ってくる前には、欧州なんかだって
そんな感じに大らかでのほほんとした神様がたくさんいたような気がする。
しかし今は裁きを行う神様がいるせいか、欧米人が論争している際の応酬などを
聞いたりすると、どことなく民事訴訟的な雰囲気を感じてしまう。

特に米国の場合、民事訴訟も頻繁で、過剰な訴訟合戦になったりするという。
でも、裁く神を崇めているせいか、かなり割り切って裁いているようにも思うし、
裁き慣れているから民から官への訴訟にも慣れている。ここは見習ってほしい。
カネで解決できる部分はカネで。おカミの責任はおカミに。とか。

理不尽に感じられるモノゴトが続けば、誰も何も信じなくなってしまうのよね。
そういうモノゴトは、一つひとつ虱潰しに片付けていかないと増える一方。
強引に話題を戻せば、本来は楽しくなるための音楽やら映像コンテンツのはずなのに、
買う気を損ねるくらい楽しくもない規制ってのは、本末転倒甚だしい。

過去だの今だのを起点にするのでなく、まず将来像を描いてから、そこに向かって
現状を変えていくような会議を期待するのは、高望みなのだろうか。
誰でも、「損をした」という前提からはマイナスの議論しか出てこないんだよ。
どういうカタチが良いのか、もういっぺんアタマ冷やして考えなおしてくれんかね。

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2007/12/26

好都合なのは真実か?

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このブログ、一部からは「ワカンナイのでツマンナイ」と言われたりした。
ブログ自体の内容については棚の上に密かに隠しておくとしよう。
それはともかく一般論で考えれば、たいていの人にとっては普通、
「分からない話題を面白く感じない」のだから、まあそんなものだろう。

ワカンナイのはオモシロイ、となった大人は少数派だ。
しかも、そういう人にとっても、たいてい限定条件がある。
多くの場合、知っているコトの近傍にあるモノゴトに限って、
ワカンナイのはオモシロイ、となるのだ。

まあ脳味噌ってのは、意識的にしろ無意識的にしろ、そのときに
欲している情報だけを上手に抽出して、同時に他のモノを切り捨てて
得ようとする能力が非常に高いので、その意味では非常に人間的だ。
とはいえ、理解できるコトのみ認識していては、枠が狭くなりそうでね。

興味の幅が広がりすぎて、気付けばたいていのモノゴトが
知っているコトの近傍に入ってしまうような形になれば
たいていのモノゴトは、ワカンナイのはオモシロイ、だ。
むしろ逆に知ってる内容を繰り返されたりすれば辟易するコトもある。

結局、興味の幅が広くて好奇心旺盛ならば、
ワカンナイのはオモシロイ、となって、
さほど興味の幅も広くなく好奇心もほどほどなら、
ワカンナイのはツマンナイ、というだけのコトらしい。

あえて良し悪しには触れない。それは本当にワカンナイから。
だけど、それについて考えてみるコトはツマンナクナイと思う。
きっと普遍的な答えなんて出ないから。
でもだからこそ、「ワカンナイのでオモシロイ」んだよ。

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2007/12/25

たまには時事ネタ(2) ヒトを憎めば罪は憎からず

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いささかキワドい時事ネタではあるが、ちょっと書いてみるコトにした。
「あんな人に銃を持たせるなんて」
「事件は防げなかったのか」
「言動が不審で……」
ある事件に関連した周囲の発言をニュースで見て、ふと思った。

あんなふうに思われている人は、おそらく日本中探せば非常にたくさん
いるけれど、その大半は事件を起こしていないのではないかと。
まあ詳細を知らぬまま各論に踏み込んでしまうのは難なので、
その愚を避けて総論というか日本の社会における構造的な問題に
ついてのみ見ていきたい。

端的に言うと、根幹には、地域コミュニケーションの欠如が伺える。
遡ってみれば、まず家族は「その人」の行動を把握できるのか。
また、その家族に対して周囲の人たちから警告を発するコトができるのか。
伝える機会があるかどうか、またそれ以前に付き合いがあるかどうか。
もっとも、都会なら「隣は何する人ぞ」で終わってしまうワケだが。

しばしば、相手を詳しく知らぬままに当てずっぽうで思ったコトが
たまたま当たって「ほれ見たコトか」となっているのではないか。
知らないコトは怖いコト。ヒトが持つ本能的な恐怖心というのは、
得てして未知なる存在に対して生じるものだから。
知ろうとする努力をせずとも許される社会が、より多くの未知なる恐怖の存在を作る。

そもそもヒトってのは社会性動物なのだから、
社会から隔絶された状態で生活するのは多くの点で不利な面があるものだ。
だのに今の社会ってのは個人を隔離してしまう傾向が強くて、どうにも頂けない。
ヒトをその本能に近い部分の欲求から遠ざけているに違いないと思うのだ。
そりゃ不自然だわさ。ヒトビトの目にも他人の言動の不自然さが映るってもんで。

そういう意見は常にある。たまたま最近読んだ本にも、こんなことが書かれていた。
「確かに戦前の田舎には、隣近所が共同で連帯して、子供を育てる習わしがあった。
(略)それだから私は、一人前の男子になれたと、地域社会に感謝している」
(「先任将校 軍艦名取短艇隊帰投せり」松永市郎/光人社NF文
庫)
そういう習わしのない社会に育ったコドモたちは、どうなるだろうか。

構造的に大きく変わりつつある日本。いや世界中そうなのかもしれないが。
地域社会が崩壊していく中では、規律を厳しくして対処する以外には
本当に対処の仕様がないのであろうか。臭いモノに臭い蓋をしてるだけだろう。
規律を担う警察なども、法令運用バランスが狂ってしまう危険を常に持っている。
狂いというのは時代からの乖離で、官僚組織ほどズレが大きい傾向があるのだ。

警察の中の人に親しい知り合いはいないけど、頑張っているコトは想像できる。
だけど個々人が頑張ったところで、時代に合わせて組織を変革していかねば
その頑張りが空転してしまうどころか、本来とは違う目標にひっかかって
空転していたエネルギーがそこに集中してしまうと、むしろ大きな被害を招く。
各人の努力を無駄にせぬためには、そのための組織構造がなければならない。

もう一つ。資本主義的な考えに立脚した報道機関というのも、また危険だ。
警察と報道とが世論を誘導して、結果として非常に厳しい判決が作り上げられる
なんてケースも、おそらく枚挙に暇がない。法曹界とてヒトの集団だからね。
実際、ほとんどの事件では、多くの報道が個人の罪の追求に終始していて、
その背景にある社会的な歪みに目を向けてもいないとしか思えない。

まるでコントラストを上げすぎた写真のように不自然な印象だ。
「特に週刊誌。なんであんなに不安を掻き立てるような見出しばかりなのか」
「煽らないと売れないぞって、デスクが駆り立てているのだろう」
そんな会話を、仕事仲間としたコトがある。彼らも必死であるはずなのだ。
まして沈滞した気分の漂う昨今、刺激的な話題で売らねば彼らも食えまい。

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まだ今は、何の解決策も提示できないのであるが、とはいえ問題意識を忘れて
表面的にナアナアにしてしまうのは、由々しき問題だと思っている。
せめてその問題意識は、常に持ち続けて発展させていきたいものだ。
あと、個人的には地域社会に溶け込む努力などもせねばならんかなあ。
中年の男鰥夫の一人暮らしなんて、周囲には怪しまれやすいもんな。

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2007/12/24

たまには時事ネタ(1) 吹き渡ってほしくはない

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先日、「千の風になって」が、シングルCDの売り上げで
2007年の日本一になったとかいうニュースがあった。

この曲は、どうしても好きになれない。
どうにも、納得できない気持ちが残る。

何故なのだろうかと、少し考えてみた。
なかなか明確な表現が難しいが、ともあれ考察してみる。

まずは、「泣かないでください」と言われるのが嫌だ。
「死んでなんかいません」も嫌だ。死人が言うなと。

……いや違う。きっと違う。
その思考の道筋には微妙な違和感を覚える。

歌詞そのものに違和感があるというより、何か別の部分だ。
そう、例えば「お涙頂戴」的な雰囲気とか。

数年前、「絶対泣ける」なんてアオリ文句のついた純愛小説などが
流行ったコトもあったけど、とてもじゃないが読む気がしなかったっけ。

若くして妻に先立たれたからといって悲劇の主人公を気取るつもりなどない。
もし同情しようとする人がいるとしても、それを受けたいとは思わない。

世界の中心で何を叫ぼうと勝手だけど、悪いが邪魔だ。
叫ぶなら町外れの草っ原にでも行って穴掘って叫んでくれ。

不幸はプライベートな出来事で、その人にとって非常に深刻なモノだ。
それゆえに他人には伝わりにくい。そのことがまた不幸を増大する。

これがまた、ヒトの構造的欠陥かとさえ思うくらいに
ヒト社会の中では定番化してしまっているのである。

だからそれゆえに、気軽に「分かる」などと言われても困る。
もちろん、自らの口でそう言うコトも憚られる。

本当に理解するというのは、どういうコトなのか。
考えれば考えるほど難しいのだから。

ともあれ、不幸のカタチは人それぞれ千差万別。
全部が全部、風とともに去りぬるワケではない。

負の感情を他人に強制したくはない。
だからあえて黙っているコトも多い。

知恵を働かせて伝える工夫をしようにも、
強い感情があっては難しいし面倒だからね。

そんなワケで無条件の理解を期待しなくなって久しい。
必要に応じて説明する程度に留めるよう努めている。

自分自身が強いなどとは、断じて思わない。
むしろ、弱いからこそ勇ましい言い回しをしたがらないのだろうと思うくらい。

泣きたければ泣いていいさ。実際、墓前で涙したコトくらい何度もある。
死んだ者は死んだのであって生き返らない。いくら願っても祈っても駄目だったよ。

風が吹く日もあれば、吹かない日もある。そりゃどうでもいいや。
でも夜の後には必ず夜明けがある。その空は黒雲に覆われているかもしれんが。

なんというか、虚構に逃げる強さは持ち合わせていないが、
感情を受け止める強さはあるのかもしれないな、とは思う。

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やはり今は、まだあの歌に納得できないらしい。
しかし今後も、ずっとそうだとは言い切れない。

もしかしたらいつか、違和感を持たずに聴けるようになるかもしれない。
まあ死んでしまえば違和感も気にならなくなるのだろうけれども。

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2007/12/23

探し間違い探し

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散歩をしていると、四つ葉のクローバーなど、よく見付ける。
先日も、琵琶湖畔を散策していて2つ見付けた。
(実は同じ群落に複数あるコトが少なくないので、
1つ見つかれば芋蔓式だったりするケースも多い)

読書をしていて誤字脱字を見付けるコトも多い。
ソレが気になって読書が進まないコトもあるが、
たいていは文字を追う中で見付けるのでなく、
頁をめくった直後に気付くので被害は少ない。

この能力は、当然ながら仕事でも役立っている。
些細な数字のミスなどは、少ない(はずだ、きっと)。
プライベートなメールでも誤字脱字が少ない、と
何人かの友達から評価されたりしている。

気付く瞬間というのは、視覚情報だけではない。
例えば聴覚情報、耳慣れぬフレーズが混じっても同様に気付く。
脳内の音声処理に時間がかかるのか、しばしば数秒遅れで
変な言い回しであったなあと思い至るコトも多い。

他の感覚においても、やはり同様の傾向がある。
「違和感」への感受性が強いとでも言えば良いのだろうか。
周囲と異なるモノが、目の中に飛び込んでくるように思えるのだ。
その「異なるモノ」の良し悪しは問わない。

とりあえず、目端が利くというコトなのだと思う。
しかし逆に、偽物の上辺だけ飾り付けたような現代社会では
余計なトコロにまで気付いてしまって辟易するコトも少なくない。
気付かぬフリをしてもそれは嘘になり、隠し通すのも大変だ。

ともあれ、こういう「気付くチカラ」というものは、
使い道さえ工夫すれば、それなりに役立つはずなのだ。

しかし、一体どうやったら身に付けられるのだろうか。
それが分かれば世の役に立つかもしれんけど、
まだ明確な方法論を確立するまでには至っておらず、
後進を育てるのも難しいのが現状なのが残念である。

現時点では推測でしかないのだが、ある程度おおらかな環境で
育ってきたコトが背景にあるのかもしれないと考えている。
親からみて余計なコトと思える点に気付いたときなどでも、
特に母などは、きっとそれを褒めたりしたはず。

幼い頃に気付く能力を認められれば、あとはブートストラップだ。
読書などを通じて自発的にセンサーの感度を調整していったはず。
いや、正しくはセンサーからの情報を処理する脳内のプログラムを
ちょっとずつ修正しながら精度を向上させていったのだろう。

さすがに中年に差し掛かってしまった今となっては、
さらなる発達を目指すのが難しくなってきていると感じる。
だが最近は、脳内の論理思考の流れの中で飛躍点を見付けたり
前提条件を洗い出し直す際などに、形を変えて役立てつつある。

また、自分と他者、あるいは複数の他者が話し合う中で、
対話が捻れの位置関係にあったりすれば、そのギャップに気付く。
という具合に、またも長くなってしまったが、「余計なコトに気付く」
だけの能力でも、使い道に気付けば、少しは使えるらしい。

そしたら今後は、「能力の使い道に気付く能力」を
伸ばしていけばいいのかな?
だんだん面倒になってくるが、まあアタマを使ってみるとしよう。

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2007/12/22

情けないかもしれないが人の為に

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ある程度の成功が見込める状態になると、成功にさらに成功を重ねようとして、
「ついでに」余計なモノまで必死になって得ようとするのは欲張りなヒトの特性。

得られるときに得られるだけ得ておこうという近視眼的な考え方がないと、
かつてヒトが発生した環境においては生存が困難であったがゆえだという。

その環境が大きく違ってしまった今でも、そんな性質を引きずっているもんだから
ヒト自体の特性と社会との関係において、しばしば問題を生じているように思う。

腹八分目であるのが良い、という言葉がある。
これは本人の為になるからこそ言われるものだ。

今の世の中、誰かが勝利を得るというコトは、別の誰かが負けるコトとほぼ同義。
成功の上に成功を重ねるコトは、別の誰かが負けの上に負けを重ねるコトになる。

だいたい、完璧な勝利なんて、有り得ないモノと思え。
ヒトのやるコトに漏れがあるコトだけは確実なのだから。

怒りや恨みを持つような可能性のある相手を一人残らず根絶できるならともかく、
そうでなければ生き残った相手の中に禍根が必ず残ってしまうものだ。

相手を完全に押し込めようとしているウチに、追い詰められた相手が怒りを爆発させたり
恨みを募らせたりして、結局なんかいろいろと大変なコトになったりしてしまう。

相手を貶めるような形にせず、むしろ相手を上手に尊重しておいて、
その上で相手からさらなる尊重を得られる形にした方が、きっと良い。

まあしかし、一見すれば本能に反するようなコトをせねばならんから、
結局それが容易にできるコトじゃないのは事実なのだけれども。

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2007/12/21

荒野の城、馬鹿丸出し?

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昔っからそうなんだ。

他人のコトには御節介を焼くクセに、自分自身には適当でね。
しばしば他人に対して与えたアドバイスが、そのまま
自らの失敗に対してこそ相応しいような場面があったりする。

ヒトが、誰も来ない荒野に無意味に聳え立つ城塞のように
きっちり隙なく外側を鎧固めているのは何故だろう。
しかし堅固な城を落とすのは、しばしば内部の敵なのだ。

そんな批判を一般化して言い換えるならば、こうも言えるだろう。
「自分のコトを自分で決められるなんて、本気で信じているのか?」
……と。

誰のコトを大切にするのか、というだけのハナシでも、
簡単に決められるようでいて全然簡単じゃない。
一人で思うとおりに決められるコトなんて、きっと何もない。

他人に働きかける行為は常に反作用を伴うものだ。
それがたとえ復讐であろうと、無償の奉仕であろうと。
押しつければ押し返され、引き寄せようとすれば引き込まれる。

人間関係が思うとおりにならないとき、ふとそんなコトを思ってみた。

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2007/12/20

知層の発掘

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過去の体験を改めて書いて整理してみると、新しい認識に気付くコトもある。
漠然とした思いを書き起こす過程で、考えの筋道ができるコトもある。
書いていく作業というのは、結構いろいろとアタマを使うものであるらしい。

自分の過去を振り返って文章として記す行為は
自分自身に対する理解を深めると同時に、
その周辺のヒトやモノゴトに対する理解も深める。

さらに記した文章を他人に示すコトで
考え方の一端を示すコトが可能になる。
……てなトコロなのだと思う。

過去の体験が今の自分を構成しているのは間違いないのだ。
時を重ねるにつれ経験や知識も堆積していく。
それが圧縮されて緻密になり、やがて確固たる地盤を形成する。

生々しい有機物が埋もれて、歴史学的年代が経過すれば遺跡になる。
発掘した成果として過去の歴史を新たに理解することができるし、
しばしば貴重な埋蔵文化財に出会うコトもあるだろう。

さらに堆積岩ともなれば、次第に新たな鉱物が作られてくる。
地中の圧力、熱、化学反応などの変成作用によるものだ。
だからこそ、後から掘り返せば、違ったモノが見つかる。

変成作用の結果として、化石燃料が見つかるかもしれない。
精神活動を活性化させるのに役立つ燃料だ。
脳内ゆえ、きっとクリーンなエネルギーであろう。

ときにはダイヤモンドのような宝石も生まれているかもしれない。
が、そこに至るには地質学的な時間スケールが必要だし
地上では存在し得ないような超高温・高圧環境も不可欠だ。

そんな厳しい経験を積んでこそ、光るモノを作り出せるのかもしれない。

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2007/12/19

ああ、うん。

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先日、小学校の前を通りがかったとき、こんな会話が聞こえた。
「でさ、それにレモンのかじるが必要なんだよ……」
「かじゅうだろ」

3年生くらいかな。可愛いなと思って思わず笑ってしまったりした。
だが、そう思わない人も、いるだろう。
「間違っているのがムカつく」とか、思ったりしてしまうかもしれない。

考え方が大きく異なる相手と意思を疎通することができるだろうか?
理想論なら、できると考えがちだ。しかし実際には容易なハナシではない。
なおのこと特にそれが文字のみを媒介としたコミュニケーションであれば。

考え方が異なれば、同じ言語体系(たとえば「日本語」など)の上であっても
ずいぶんと用語用法も異なったものになってしまう。
そして、かくも通じ合えぬのかと嘆くコトになろう。

年代や地域、職業などに応じた言葉というものがあり、多くのヒトは
そういう用語に頼ってコミュニケーションするのが普通であるから
他の領域に属するヒトには理解するのも難しい。

しかもそれらが、常に細分化される方向にあるのだから始末に負えない。
たとえば「技術屋の用語」にしたって、土木建築化学金属機械電気電子、
どれもそれぞれの特定分野に限られた用語があり、固有の用語慣習がある。

単位系だけとってみても、様相は複雑だ。
航空系であればフィートだのマイルだのpsiだの、メートル法の世界に暮らす
人たちには咄嗟に理解できない数字が一般的に用いられている。

海では、もっとすごい。海里やノット、トンなどの単位があるが、
船舶のトン数には重量や排水量、積載量などで計測方法が異なる。
それが分野によって使い分けられていたりして、ややもすると間違える。

なかなか、部外者が容易に入り込めないような深い世界があるものだ。
その狭い世界の中のコトに首を突っ込むのなら、相応の勉強をする
覚悟が必要となるだろうし、でなければ理解するどころではない。

そんな言葉の違いがある相手とのコミュニケーションは、
おそらく多くの人たちにとってフラストレーションの溜まる作業だろう。
仲良くしたくとも、分かり合えないというだけの理由で険悪になりかねない。

不思議なコトに、言葉が通じなくても感情は通じたりする。
それが文字媒体のみを通じたコミュニケーションであっても。
だから一方がイライラしていれば、それが相手にも伝わって険悪さは一層だ。

同じ言語体系を用いた者同士で異なる表現手法そのものを非難し合ったりする。
宗教対立や政治上の対立、経済的な利害の対立などはもちろん、
はたまた電子掲示板の上でのコメントの応酬であっても。

こんなコトは、昔から無数に繰り返されてきた。
それを嘆く人も少なからず存在しているが、全体としては変わったりしない。
ヒトの業みたいなものなのかもしれない、とさえ思う。

昔から繰り返されてきたものには、「今時の若い者は」という言葉もある。
逆に、「大人たちは分かってくれない」というのもある。
たいてい、世代の違いというのは意思疎通に支障を来すというワケだ。

異なった意見を持つ者の間で意思疎通をするのは何のためか。
たいてい、それぞれの意見を明確に示して相手に理解を促すというコトになろう。
でも、そのほとんどが、実は相手に理解を強要しているだけではないだろうか。

相手の理解を求めるのであれば、自ら自他の違いを認識して、
その内容を分析・把握した上で相手に対し的確に伝わるような言葉を選んで
注意深く用いる以外にあるまい。それができないなら理解強要だ。

なので、まず相手を知るのが、異文化コミュニケーションの基本となる。
理解と共感が相手に伝われば、感情の伝播が良い方向に働く。
でもまあ、コレだけでさえ、実際には難しいんだよね。

総じて言えば、「あの連中は信用できない」と言う連中もまた
相手の立場などを総合的に考えて理解しようとしていないという点において
同じく信用できない、というトコロだろうか。

これも基本は同じ。
懐疑心の以心伝心というワケさ。

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2007/12/18

理系用語で読み解く社会(13) 想定以外は相当意外?

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ヒトってのは、ホントにナニ考えてるかワカラン。
考えてないとしても、ナニをしでかすかワカラン。
そんなのが、この狭い地球上に100億もいれば、
ナニが起きてもオカシクナイ。

1つのヒトが考えるネタなど、タカが知れてる。
100人だろうと1万人だろうと億単位には比較できん。
なにせ1億いたって1%でしかないのだ。
1人なら0.01ppbだったかな。たしか。

だからアシタのリスクはワイルドカードと覚えとけ。

一応、誰だってヒトだ。
だからその集団に関しても、ある程度の想定ができる。
とはいえヒト集団ってのは妙なトコロで増幅し合ったり
するもんだというコトも歴史が何度も示している。

けど、ヒトの数やヒト集団の数があまりに多いもんだから、
その相互関係は指数関数的に増えてしまう
当然、一つひとつ検証するなど不可能だし
類型化にも限度がある。

で、やっぱり世の中の動きは読めないってワケだ。
もし自分で動かせるのなら気楽だろうけど、面倒だろう。
ま、ワイルドカードの中身には、ひょっとしたら
非常に嬉しいモノも入ってるかもしれないし。

そりゃもちろん、予想外の喜びなら、大歓迎なのですけども。

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2007/12/17

春の小川の底はコンクリ

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かつて江戸や周辺には起伏に富んだ地形があり、
その名残は今も残る。

たとえば今の自宅のある杉並区のあたりは丘陵地帯で、
以前にも触れたように川筋に沿った傾斜が見受けられる。

阿佐ヶ谷という名は、桃園川上流部の合流地点のあたりで
浅く広い谷間になっている様子を示すものかと思う。

四谷や渋谷なども、文字通りの谷だった。
四つの谷のあたりは江戸城の外堀として流用されている。

一方、城域を外れた渋い谷の底は、小さな川が流れる
のどかな農村で、明治時代には唱歌の題材になったりもした。

この川は暗渠になってはいないが、都市化のために
コンクリの山の間のコンクリの排水溝へと成り下がった。

秩父山地(を崩して加工したセメント)が東京へ運ばれて
再び山や谷として東京に再構成され、何もかも変わった。

ときどき、東京以前の東京に暮らしてみたいと思う。
秩父や奥多摩の山々の亡骸を完全に取り去って。

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2007/12/16

昔書いたモノ(4) 「年末」あるいは「消化に失敗した食物」(1997/12/16)

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年の瀬も押し迫ってくると、変なのが多くなる。年度末に向けて増えてくる、毎年恒例の犬も歩けば工事に当たるような状況に加え、大学生か専門学校生かそれとも社会人かは知らないが妙なワカモノを満載した迷走車や、道を占有しつつ進軍する忘年会帰りの一団、さらに「オバタリアン予備軍(古い)」のコギャル軍団などが、約一ヶ月間聞かされ続けるジングルベルにのって、やってくるのだ。大人になると、サンタクロースは来ないが、こんなのばっかりやって来る。ああもう今年も終わりだなあと思う、一瞬だ。
ふと足元を見れば、咀嚼され胃液に混じって、あとは消化・吸収を待つばかりであった「かつての食物」が、志半ばにして地に斃れて、焼かれずに乾いてしまったお好み焼きのネタのような状態になって固形化している。しかそれは、歩道のアスファルトのせいで地に還ることさえままならぬ屍を晒し、誰かの靴跡を刻み込んで恨めしげにしていた。

寒さが身に沁みる。

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2007/12/15

このクニのカタチ・追補 いとしいちっちゃいにっぽん

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ちょっと前のコト、ある週刊誌の編集という人と話をしていて、
日本サムスンが家電から撤退したというニュースの話題になった。
「日本人には売れんのでしょう。韓国製品を馬鹿にしてる人が多いから」
ブランドだけ日本のものにすれば売れるかもしれんのに、と思いつつ語り合う。

まあしかし日本でモノを売ろうと思ったら容易なコトじゃない。
少なくとも日本語で、日本人の多くが認める手段を使い、
日本文化を踏まえた内容によってアピールしていかねばならない。
外国企業にとっては、非常に大きな参入障壁だ。

たしかに、1億人の大きな市場とみれば参入したくもなるのだろう。
バブル後の不況に苦しんだとはいえ日本全体の資金力は膨大なものだし、
先進技術のみならず最近は漫画などの文化を輸出するまでに成熟してきた。
そこで成功を収められれば、立派な一流メーカーと言えるはず。

しかし、世界の中での人口比でみれば1~2%でしかない。
著しい物量的経済発展を続ける中国や印度には、
そう遠からず置いていかれようとしている。
市場としての価値は、小さくなりつつあるのである。

「ここで勝てなかったら、いっそ撤退してしまっていいんじゃないの?」
もはや、そういう選択もあり得る市場でしかないようにも思う。
ちょっと独自色があるけれども、グローバル市場の中の一つでしかない。
ていうかむしろ、世界の中でニッチな存在なのだとも思えるようになってきた。

日本が世界中を相手に体力勝負をしても勝てないコトは、
半世紀以上も前に分かっているはず。
資金力勝負もまた、今後は安泰でもなんでもない。
もっと強く独自性を打ち出していった方が良いのだろう。

海に囲まれた島々には一通りの地形や産物があり、一つの完結した世界を成す。
新陳代謝の活発な大地は常に新鮮な、若々しい地理的条件をもたらす。
冬の後には春が来て、夏になって秋が来るから飽きが来ない。
その土地に根を張る生命は、さながら世界の縮図の如く。

いろいろな要素が凝縮された箱庭的な様相があるのだから、
そういうのを前面に出してみても良いのではないかな。
多彩な外来文化を受け入れ独自に発展させる特質もある。
そういったものの集散地には、なれるだろうと。

いっそ世界をかわいらしくデフォルメした縮図としてみる方法もあるだろう。
それこそ2~3頭身キャラにしてしまうくらいのノリで、
「世の中って、こんなもんでしょ」とか
言い放ってしまっても良いのだ、なんて妄想してみたりもする。

ある意味で、小さいからこそできるコトもある、という感覚だ。
他の国がどうだからというのではなく、かなり独立独歩で。

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2007/12/14

かくとうせんよう

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小柄なだけでなく、成長も遅かった。
とりたてて鍛えていなかったせいもあろうか。

身長の伸びは高校に入ったら止まってしまったが、
筋肉を含め身体が出来上がったのは二十代半ばではないかと思う。

大学での荷物、仕事の荷物などをしっかり担いで
田舎から都心まで、いろいろ歩いたおかげだろう。

そんなワケで、子供の頃は筋力での勝負に弱かった。
小さい頃の喧嘩では武器を使ったものだ。

殴り合ったり取っ組み合ったりモノを使ったりする喧嘩は
しかし中学校を出て以来、特にしていない(と思う)。

アグレッシブな性格ではないから、逃げる方に工夫した。
さらに知恵を使って、未然に回避する方向へ考えた。

逃げれば逃げるほど、周囲と衝突する理由は
実は自分の中にあると気付くようになる。

敵に立ち向かう気なら、まず自らの内面に求めよ。
外の敵とは違って、逃げるコトはないんだから与しやすい。

そう思うようになったものの、内面の敵とは
ずいぶん仲良くしてしまったものだ。

ついでに周囲とも仲良くする術を身に付けてきた。
こうやって、ヒトは丸くなっていくのだろうとも思う。

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2007/12/13

腹八分目のココロ得

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「割れた窓」であるがゆえに、そして秩序に対するデメリットを
上回るほど業績でメリットを出すどころか、
せいぜい普通程度の実績しか残していなかったために、
雇い続けてくれるような会社はなかった。
いろいろな会社を転々として、挙句に自営業に落ち着いた。
いろいろな会社から、ちょっとずつ仕事を貰うのだ。

窓が割れているから外の風が常に入ってくる。
その風に誘われて、ついフラフラと外に出てしまう。
屋内に閉じこもってばかりいると気が滅入るけど、
ときたま散歩をしていれば、おおむね飽きない。

自営業での商いは、ほどほどだ。
まあそうな、ボチボチでんな。

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2007/12/12

三拍子揃わぬ男

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以前、友人とこんな会話をした記憶がある。
日本は他の国と比較すると、社会の違いや人柄の違いがあって
会社のあり方や社会人の仕事のやり方にまで大きく影響していると。

辛抱強い、我慢強いという印象が、日本人にはある。
青函連絡船とか演歌とか、似合ってしまうような。
逆に米国人などは無邪気に見える。

まあ実際、日本人の商売には我慢強さが求められる傾向が強いし
米国人のビジネスなどには素早いアタマの切り替えが必要となるし、
おおむね企業活動に至るまで、そんな気質が関係してるように思う。

誰かの著作の中で、農耕を主体とする民は四拍子、
牧畜を主体とする民は三拍子の音楽を好む――
なんて話もあった気がする。

四拍子は2本足で歩くリズム。
三拍子は馬の小走りのリズム。
その気質の違いが音楽にも顕れているのだと。

2本の足で歩くなら、速度は出ない。
遠くまで移動するには淡々と歩き続ける以外にない。
馬に乗れば視点は高く、長距離を高速で移動できる。

四拍子は農作業の如く大集団で同じ行動をするのに適し
三拍子は騎行する如く小集団が各個に進むのが似合う。
てな具合に生活習慣の違いという点もあるのだろう。

うーむ、和辻哲郎の「風土」でも読むかなあ。

閑話休題。

仕事がなくても朝早く定時から出社したりするコトは、できない。
会社員として長続きできなかった理由は、そこにもあるのだろう。

単なるルール違反はもちろん、集団生活の規律を乱す「割れた窓」
と考えてみれば、その通りのような気がする。

しかし何らかのアポイントがあったりするなら、夜討ちだろうと
朝駆けだろうと対応してきた。たまに遅刻などの失敗もあったけど。

仕事さえ片付けていれば生活が成り立つ自営業に、
いつの間にか落ち着いたのは、当然の帰結と言えるのだろうな。

で、まあカネもヒマもチカラもないって男が、ここにいるワケだ。

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2007/12/11

昔書いたモノ(3) Steno(2003/12/11)

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子供叱るな来た道だ
年寄り笑うな往く道だ
誰もが昔は若かったのだ
誰もが放っときゃ歳を取る

昔の自分ってどんな姿だった?
将来の自分ってどんな姿になる?
昔に自信を持てぬ者が若い者を叱り
将来に自信を持てぬ者が年寄りを笑う
まずは自分の胸に手を当てて考えてみれ

……漏れモナー

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2007/12/10

水底3分間

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※写真はイメージです

大学の探検部にいた頃は、専らカヤックで川下りをしていた。
新入生でカヤックを選んだのは1人だけ。
2人の3年生に連れられて、いくつかの川に挑戦した。

切り立った崖の間を曲がりくねる川の上流部、
コンクリートの消波ブロックを積み重ねたような堰があった。
そこに先輩たちは艇を勢いよく乗り上げさせ、飛び降りるように越えた。

堰の手前では、流れが大きく曲がっている。
3人目つまり最後になってしまった新入生は、その流れを
どのように利用すれば堰に真っ直ぐ乗り上げられるかを考えていた。

考えすぎて判断が遅れたのだろう。かなり横へと流された上に、
速度も足りていない状態だと、堰に達する直前になって気付き、
パドルの手を一瞬だけ緩めたのが、さらに失敗を拡大した。

圧力の抜けた右手側のパドルが深々と水面に吸い込まれる。
あっという間に手首、肘、肩と水中に引き込まれていく。
「いけねぇ」と思わず声を出して口を開けたままの顔も水の中へ。

気付いたときには艇から引きずり出されてパドルも手になく
消波ブロックの隙間に嵌り込んでいた。
身体の上下は重力方向におおむね一致していたが、全身が水の中。

頭上、ものすごい圧力で川の水が押しつけてくる。
手足はブロックに引っ掛かって、なかなか動かない。
息苦しいという感覚は、完全に忘れていたようだ。

死ぬかもしれない、などという感覚も全くなかった。
むしろ時間が長く感じられた。
脱出する方法をじっくり考えられるくらいの余裕があった。

水圧に抗して上へ身体を持ち上げるだけの力は、ない。
ならば下に抜けるしかあるまい。
カヤック用シューズの爪先で足許をまさぐると、少し空間があるようだ。

ブロックの角に引っ掛かっている腕を外していけば、
この中に入り込んで堰から抜け出せるかもしれない。
あるいは逆に、さらなる深みに入り込むだけかもしれないが。

しかし、直前の記憶からみて、堰そのものの厚みはあまりなかった。
きっと抜けられるという確信があった。
腕をずらし、肩をすぼめて、隙間に身体を押し込む。

次の瞬間、堰の下流の深みに浮いていた。擦過傷一つもない。
ライフジャケットを着ていたはずなので、そのおかげもあるだろう。
岸辺へ泳ぎ着くと、驚いた顔をした先輩たちがいた。

2人は「5分くらい出てこなかったから死んだかと思った」と言う。
「せいぜい3分くらいでしょ」と軽口で返した。
その後は、平和な川下りが続いたのであった。

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2007/12/09

三度目の仏の顔を使い果たしてなお生きている

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死にかけた話は、他にもある。
あと2つくらい。……だと思う。
まず、最初のヤツを。

中学生になったばかりの頃、外耳道に腫瘍ができて診察を受けた。
かかりつけの耳鼻科では分からないというので大学病院に行き、
さらにそこから癌研究所への紹介状が出た。

癌研で精密検査を受けたものの「悪性か良性か、五分五分」
などと言われ、大事を取って切除するコトになった。
でもって癌センターに入院。年齢からして当然だが、小児病棟だ。

手術は順調に終わった。摘出した腫瘍をスライスして精査したところ
結局は良性だったと判定され、他の所見からも悪性腫瘍の気配がない
というコトで、すぐ退院となった。たしか2週間ほどであった。

ちなみに本人は、ちょっとオデキを切除しただけという
気でいたのだが、両親や祖母などは生命の危機と捉えたらしい。
なので、一応ここでは「死にかけた話」としておく。

あまりの短期入院で、病棟に友達ができるほどの間もなかった。
当時は相当な人見知りだったし、他の患者は長期入院がほとんどで、
どう見ても健康そのものの新参者に口を利く者など、まずいない。

生命力溢れる相手に距離を置こうとしている彼らは、
まるで死の影に怯えているようでもあり、生命に怯えているようでもあり、
その彼らの意識そのもの(として感じられたモノ)が怖かったと言えるか。

つまるところ互いに恐れて、距離を置こうとしていたのであろう。
双方の内面から拒絶、差別、その他諸々の心理が感じられたようで、
後になって、いろいろ思うトコロは多かった。

しかし、そんなコトをダラダラと考えていられるのは
たまたま運良く良性で、紙一重の差で生き長らえたから、
と思うようになったのは、オトナになってからである。

そういえば、同じく「紙一重」でも、アタマの中身に関しては
天才ではない方に転がった気がするなあ。
まあ、これはこれで、別にいいか。

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2007/12/08

時代のナビ席

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大学時代の交通事故は、いささか激しいものだった。
乗っていた車が横転して、路上に放り出されたのだ。
後部座席で寝ていたトコロだった。

左右に大きく揺れて振り回されるような感覚があり、
その直後、頭上に火花が散ったのを微かに覚えている。
気付いたときにはアスファルトの上で仰向けになっていた。

そんな経験をしたもんだから、一時期は
他人の運転する車の中で全く眠れなかった。
今でさえ、熟睡するコトは少ない。

また、大きなクルマの後ろの方に座るのも苦手だ。
できれば前の方がいい。
後部座席とは揺れ方が違うので。

バスでは当然、助手席ポジションを好む。
すると、運転手と言葉を交わす機会が、たまにあるのだな。
他に客がいなかったときなど、降りるまでずっと喋ってたコトもある。

先日の運転手は「いつも、この時間に乗るんですか?」と話しかけてきた。
給料は安いし何かあれば責任は重いし、いろいろと大変な仕事ではあるが、
「自分の城」を自由にできるコトや、毎日変わる路上の風景が楽しいのだという。

助手席ポジションも路上の風景が楽しめるので気に入っている。
駅前の並木道は冬になると大量の葉を落とし、むしろ明るい雰囲気となる。
そんな会話をすること自体も、また楽しいものだなあ。

思えば、タクシーに乗っても運転手に話しかけられるコトが多い。
それどころか、街を歩いていて道を聞かれたりするコトも多い。
が、セールスには、それほど声を掛けられないような気がする。

どうやら、「なんとなく」話しかけやすい雰囲気があるらしい。
そういえば子供と目が合うコトが多い。あと犬とか猫とかヤモリとか。
要するに、そういう無垢な存在から目をつけられやすいのだろうな。

一般的に言って、街で変な存在に出くわすと注視してしまうものである。
そういう点はオトナになっても消えるワケではなく、個人差こそあれ微妙に残る。
単に社会適応の過程で隠蔽するよう学んできただけのコトだから。

あるいは、こんなハナシもあった。
友達が集まって雑談している中で、
不審人物は誰かという話題になったときのコトだ。

たとえば外で女の子を撮影するという場合、
女性陣が撮影するのなら問題ない。友達っぽい雰囲気で。
一方、中年男では一般的に怪しまれやすい。全般的に。

これは致し方ないよな。こんなご時世だから。
そう思っていたら、名指しで、こう言われた。
「どことなくカメラマンっぽいから、割と大丈夫そう」

なるほど、そういう言い方もあるか。
まあ常にモノゴトを観察し続けていたいという姿勢は
カメラマンにも通じるトコロがあるかもしれん。

ただ見ているだけでなく、その観察力を活かすコトも考えねばな。
なにせ助手席というのはナビ・シート。となれば責任も伴おう。
運転席ほどじゃないかもしれないが、それなりに。

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2007/12/07

四臓六腑

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交通事故に遭ったのは大学生の頃。
かなりの重傷を負った、というコトになるらしい。
だが、事故直後は打撲傷や擦過傷程度だと思っていた。

筋肉の痛みなどによって動きにくい部位もあったが、
救急搬送された整形外科で簡単な診察を受けたところ、
身体を動かす機能に大事はないという。

そこで、深夜だったし、あてがわれたベッドでさっさと寝てしまった。
ところが翌朝、起きてみれば腹が張っていて、圧迫されるような痛みもある。
空腹感はあるのに食事が喉を通らない。

急遽、もっと大きな総合病院へ搬送されるコトになった。
外科医はエコーを見るなり「脾臓に繋がる血管が切れかけている」と診断。
画面には、血溜まりに内臓が浮いているらしい様子が見えた。

早速、手術を受けるコトになった。
意識は明瞭だったし、脾臓ならば失っても生きられるコトは知っている。
「さっさと摘出してくれて構わない」と医者に言った記憶がある。

事故の連絡を受けて親が駆け付けたときには手術室の中だったらしい。
胃の裏側の脾臓を取り出すため、鳩尾から臍まで大きく切開した。
輸血を受けるほどには出血していなかったが、時間は要したようだ。

集中治療室での点滴生活は2~3日だったかな。
大部屋に移されても、当初は食事が許されなかった。
消化器官には問題がなかったものの、手術の影響が懸念されたのだろう。

だもんだから、他の患者が食事をしているのを見て羨ましかった。
初めて重湯が許された時には、ずいぶんとゆっくり味わったものだ。
粥が出れば、その柔らかな米粒を一粒ずつ噛み締めた。

見舞いに来た学友には「チョコを腹一杯食いたい」と言ったっけ。
大袋に入ったスナックチョコを貰って、大事に少しずつ貪った。
すぐに歩けるようになったから、売店に通って買い食いもした。

回復は早く、入院期間は2週間にも満たなかったと記憶している。
とはいえ腹の傷は、しばらく引きつった感覚が続いたものである。
痛みなく腹筋運動ができるようになったのは半年くらい後だったかな。

好きなだけ飲み食いできるコト、自分の足で歩けるコトが、
どれだけ有難いコトなのか、身を以て知った。
また、同室の患者たちを見れば、治癒力の差が大きいコトにも気付かされた。

幸いなことに冬休みシーズン(たしか試験期間後)の事故だったので、
授業を休む期間も短く済んだし、試験を受けそびれるコトもなかった。
いろいろと周囲に迷惑をかけたが、まあ結果的には大事がなくて良かった。

大学に戻ってしばらくして研究室の仲間と飲みに行ったときに、
ジョッキのビールを飲み干した嬉しさのあまり思わず口走った
「四臓六腑に染み渡る」という言葉には、みんな引いてしまったのだけれども。

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2007/12/06

情操教育的ペット考・後編 齧歯類

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実家にいた頃には、家の中で小さな鼠を掴まえたコトが、2度ほどある。
最初は、遭遇の直後に死んでしまった。スリッパを履いた瞬間だった。
爪先を何かで刺されたような感覚があり、思わず足を振り上げてスリッパごと
蹴飛ばしたら、その中から小さな鼠が落ちて、ヨロヨロと歩いて、死んだ。
爪先のトコロに潜んでいたため、気付かずに踏み潰したようだ。

次の遭遇では、居間をフラフラと歩いていたところに、思わず空き箱を被せた。
さほど日が経っていなかったから、もしかしたら兄弟だったのかもしれない。
おそらくドブネズミなのだと思うが、あまりに小さいので、どうみても子供だ。
放してやれば居着いてしまうだろう。鼠嫌いの祖母などは、さっさと殺せと言う。
しかし殺すに忍びなく、ケージに入れて飼うコトにした。

その鼠が、交通事故で入院した日に死んでいたのだと、退院した後で聞いた。
家族が気付いたときには、丸まって冷たくなっていたとのこと。
「丁度あんたの脾臓くらいの大きさだった」と母は言った。
まだ子供だったはずだ。「身代わりになってくれたのかもしれない」と祖母。
だから退院するまで伝えなかったという。

そういえば、来年の干支は生命力の象徴だ。

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2007/12/05

情操教育的ペット考・中編 食虫類と食肉類

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妻と同居を始めた頃には、フェレットも飼い始めた。
ほぼ全身が白いから「ノロイ」と名付けようと思ったりしたが、
凶悪というには程遠いくらい賢くないようなので違う名前にした。
例に漏れず行動が活発で悪戯好きであったが、飼い主たちがイライラしている
時など酷い目に遭わされたコトもあったのは、今にして思えば申し訳ない。

そのフェレットは、ハムスターと一緒に妻の死を見届けた。
妻の死後、そしてハムスターも死んでしまった後、
唯一の家族として3年くらいは一緒に生活していたっけな。
身体は小さいものの、餌やトイレ砂などで結構な費用がかかった。
収入が安定しない中、コイツを飼い続けるためにも稼いだ。

ある深夜、帰宅途中に近所の公園で、ソフトボール大の塊が動くのを見た。
小さな生き物ではあるが、見慣れぬ種類らしいと直感した。
近寄ってみると、なんとそれはハリネズミであった。
大きな生物が近寄る気配を察して丸くなって警戒音を出している。
鞄の中からタオルを取り出して針ごと包み、持ち帰るコトにした。

ハムスターのいたケージに入れてみると、どうも老いたハリネズミらしい。
顔や腹、手足など、露出している部分の皮膚が皺だらけなのだ。
逃げ出したか捨てられたか知らないが、日本の屋外では苦労しただろう。
ひとまずフェレット用の配合飼料を与えてみたが、ほとんど食わない。
やむなく、翌日さっそくミルワームを買ってきた。

野生の餌に慣れているのか、生きた餌には食いつきが良かった。
元の飼い主が見つかる可能性は低いと思いつつも、近所の動物病院や
ペットショップに伝えておいたが、案の定ナシの礫であった。
こいつも老衰のせいか、3カ月ほどでミルワームも食わなくなり、やがて死んだ。
ミルワームを買い続けていると経済的に苦しいなと思っていた頃だった。

野良のまま死んだ方が良かったのだろうか。それは分からない。
死ぬ前に、かなり弱って餌を得るコトも難しい状態でありながら
それなりに腹一杯食えたはずだし、暖かい部屋で過ごせたコトは
幸いだったと言うコトもできるだろう。逆に、最後の最後でヒトに捕まって
狭いケージの中で死ぬ羽目になった不幸を恨んでいるかもしれないが。

ハリネズミの死も見届けたフェレットは、4歳の頃に死んだ。
フェレットの寿命としては、少しばかり早い死だったようだ。
とりたてて太りすぎたり痩せすぎたりしていたワケではないし
(日本に輸入されるフェレットは去勢されているせいか太りやすいらしい)
それまでは特に何かの病気に罹ったコトもなかった。

ケージから部屋に出して運動させていたとき、あまりに悪戯が過ぎるので
手近にあった棒で叩いたら目に当たって怪我をさせてしまったコトはある。
その怪我は間違いなく視力に障害を与えたが、生命に別状のない範囲だった。
少なくとも、それはずいぶん前のコトだったから、
今になって急に衰弱してしまうような原因とは考えにくい。

彼は、ただ急に食欲を失い、だるそうにハンモックで寝るばかり。
行きつけの動物病院で診察を受けても原因は不明。
入院させたものの、そのまま衰弱し続けて永眠した。
死ぬ少し前の日、ケージを見舞った際、声を掛けると少し目を開け、
なんとか飼い主の方に頭を動かそうとしていた姿を思い出す。

これまで、飼ってきたペットのほとんどは実家の庭などに自ら葬ってきたが、
このフェレットだけは、動物供養をしてくれる寺を見付けて火葬に付した。
それ以来、今のところ家族はない。

白木の箱に収められたフェレットの骨壷は妻の位牌の隣に、今もある。

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2007/12/04

情操教育的ペット考・前編 濡れ鼠の一生

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ペットを飼うコトは情操教育に役立つというので、
過去のペットについて少しばかり考察してみた。

妻を亡くした直後には、2人で飼っていたジャンガリアンハムスターが死んだ。
ある日、気付いたら丸まって冷たくなっていた。老衰と思われる。
少し前には一目で分かるくらいの白内障になっていたし、
飼い主の匂いさえ嗅ぎ分けられなくなっていた様子がみられたから。
遺骸は、遺品を整理する際、実家の庭で一緒に焼いた。

このハムスターは、同棲する前、デートの途中で
通りがかったペットショップで見かけ、飼うコトにしたのだった。
生まれて1~2カ月の子鼠が何匹も入っているケージの中から、
店員の「どれにしますか?」という問いに、2人が同時に指さした。
そいつは、たまたま水入れに落ちて濡れ鼠になっていたのである。

要するに、結婚生活はハムスターの寿命よりも短かったというワケだ。
そして、その儚い思い出は、灰になって散っていった。

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2007/12/03

半生紀・補遺 父親がわりぃ

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あるとき、インターネットの掲示板で知り合った若い女は、
「ときたま線路に呼ばれる」と書いて自殺願望らしきものを示唆した。
冗談じゃないとばかり、その考えを捨てるよう促すコメントを書き込んだ。

妻の死因は、発作的な自殺だったのだ。
もともと少しばかり精神的に不安定な面があり、
精神科医には自殺願望があると診断されていた。

幼い頃に両親が離婚し、父親の顔を知らない妻。
母親の手で育てられたが、2人きりの家族はすれ違いばかりだったらしい。
小学生の頃には、母方の祖母のいる田舎へ遊びに行くコトが多かったという。

友達も、あまり多くはなかったようだ。いつしか死ぬコトに囚われていた。
最愛の祖母が亡くなったのが、彼女にとって現世との絆を断ち切る契機だったか。
遺書には「私を縛っていたものを断ち切って」と書いてあった。

妻に対し「死ぬなら後を追う」と約束していたはずが、
死のうと思える勇気さえなく、結局ダラダラと生きてしまった。
そのコトを恥じつつも、なお生きようとするのだから情けない。

そんな想いもあって、精一杯、現世に引き留めようとした。
できることなら救いたい。生き続けていてほしい。
そうこうするウチに実際に会う機会があり、散歩をしながら話をした。

結婚したばかりだという彼女は夫婦関係で悩みを抱えている。
過去にも、付き合った男たちや学生時代の同級生、職場の同僚、さらには
父親まで含め、さまざまな人間関係の中で悩み苦しみ苛まれ続けてきたという。

彼女とは電話やメールで何度もやり取りをした。その夫とも何度も連絡を取り、
さらに周囲の人々まで巻き込んで悪戦苦闘すること半年。副作用もありつつも、
幸いにして少しずつ2人の関係は緩和され、彼女の笑顔を見るコトができた。

いつしか若い夫婦からは「先生」と呼ばれるようになっていた。
2人のことを遠く近畿地方に住む娘夫婦のようにさえ思えるようになっていた。
そう頻繁には行けない距離だが、非常に近しい存在だと感じている。

出張ついでに訪れ、泊めてもらったときには“婿”と一晩、酒を酌み交わし、
翌朝には駅まで送ってくれた彼と、固く握手を交わした。
そして“娘”の頭を撫で、再会を約束した。

その2人の笑顔を得て、心の底から救われた気がしたものである。
単なる独りよがりかもしれないが、娘の顔が妻の顔と重なった気がして
彼女のくれた感謝の言葉が妻の声であったかのように聞こえた。

救おうとした側が逆に救われるなんて、意外な体験だったな。
しかしそれは紛れもなく事実であった。妻に許された気にさえなって、
「また恋愛などしても良いのかな」なんて思ったりしたものだ。

もちろん今も、その2人とは頻繁に連絡を取り合っているし、
出張や旅行などで近くを通る機会があれば、
できるだけ時間を作って立ち寄っている。

今でも、この夫婦はときたま犬も食わぬような喧嘩をしている。
以前の如く電話口から激しい口論の様子が聞かれるコトもあって、
そのたびにヒヤヒヤするコトもある。

けど、きっとなんとか乗り越えていけるはず。
喧嘩をしているというので聞いてみても、他愛もない内容が増えてきた。
それはそれで、むしろ電話越しに聞いていて微笑ましく思える。

関西系どうしの夫婦の掛け合いだからかな、
身近に聞いていても、けっこう楽しいものなのだね。
おかげで、ずいぶん癒されるコトも多いのだ。

それに関連して、最近、一つ役の割を思い出した。
「率先して自己否定から脱却する様子を見てもらうコト」だ。
少し落ち込んだりしたのを、むしろプラスにしてやろうじゃないかと。

まだまだだけれどもね。
なにせ、「やって見せ」たり「言って聞かせ」たりしてる段階だ。
いずれ「やらせて見せ」るようにならねば、「先生」とは言えない。

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ふと、この身でしてきたコトを振り返り、
寅次郎みたいだなと思ったりもする。
まあ、割と普通の男なのだけどもな。

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2007/12/02

或る晩から想うコト

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大学時代、かなり年上の院生から、
「昔の学生のような雰囲気だ」と指摘されたコトがある。
どうも考え方などは昭和40年代頃の学生に近いらしい。
そういえば、バンカラだと言われたコトもあったっけな。

久し振りに大学時代の恩師と話をして、それを思い出した。

曰く、「昭和40年代以降に生まれた世代は
ノーという選択肢もなく育った不幸な世代」だと。
たしかに、恩師たちの世代は大学紛争などを通じて
社会に対する意思表示をしていた。

世の中に対してノーと言ったりイエスと言えた。
あるいは上と戦うコトができた、とも言えるか。
しかしまた、恩師たちはイエスにしろノーにしろ、
自らの発言について、それなりの責任は負った。

「そのときにノーともイエスとも言わなかった人たち、
つまり明確な選択肢を持たないで社会に出た人たちが、
今の日本を動かしている。良くも悪くも、そうなった」
まあ、世の中というのは、そういうモノなのだろう。

しかし、その結果として今の日本がある。
官僚機構の中枢ほとんどがナアナアの付き合いで動くようになり、
外交政策イエスにしろノーにしろ何の強い主張もできぬままだし、
真の意味で思い切った抜本的な内政改革も実施できずにいる。

恩師は、そういうトコロに、たとえ1%でもいいから
非官僚的発想のできる人材を送り込んでいきたいという。
「私学の役割ってのは、そういうものだろ?
ついては、君にも、ぜひお願いしたいコトがある」

教員になって、もっと若い世代を育ててくれというのだ。
大学の附属高校になら紹介できるアテがある、とまで。

まあ確かに、教職の道もあると考え、教職課程も一通り履修した。
(ただし卒業直前まで単位修得ギリギリだったので教員免状は申請していない)
それに、ちょっとばかり激しい人生経験を積んだのは事実らしいから、
それなりに若い世代へ伝えられるコトもあるのかもしれないが……。

ここで即答しかねたのは、臆病ゆえか?
教壇に立った経験は教育実習のみ。
当然ながら実務経験などない。
その意味では、自信はない。

そもそも会社員生活さえ長続きしなかったのだから、
教員生活など、もっと難しいものだろう。
まあ今回は、「それを乗り越えてでも社会的責任を果たせ」
というメッセージなのだとも思うけれども。

それに、もう少しは今の道を続けてみたいという気持ちも、ある。
まだ、できるコトがあるはずだ。この立場であっても。
そういう意味では、恩師の期待するのとは少し違う姿でも
同じような効果を期待できるかもしれない。

いろいろと考えた挙句、
結局は役に立ちそうな結論も出せないまま
「何年かの間に考えさせてもらいたい」などと
ひどく曖昧な返事をしてしまった。

参ったね。イエスともノーとも言えなかったじゃないか。

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2007/12/01

理系用語で読み解く社会(12) そう、御関係

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素粒子と素粒子の間に働く様々な力というのは、
双方の間で何かの粒子を交換するコトで成り立つとされる。
人と人の関係には、目に見えない絆によって結ばれた関係もあるが、
モノを媒介として結ばれる関係については贈与・互酬関係という。
交換するのがモノでなくても、ココロを通わせるという言い方がある
くらいだから、コミュニケーションを通じて何かを交換しているのだろう。

社会の中でのヒトのあり方について考えてみよう。
先鋭な例として、新参者が共同体の一員として受け入れられる場面を想定すると、
対等な仲間として受け入れてもらえるようになるには数百年も要するコトがある。
特に、特異な能力を提供して共同体に加わったりすると、長い期間にわたって
その能力を、つまり共同体内の一般的な構成員とは大きく異なるモノを
求められ続けるというワケだ。受け入れられるには能力を放棄するしかない。

異能者としての生き方には、いろいろと制約がある。
例えば権限。権能を共同体から求められるのだから、義務が伴うというワケだ。
あるいは、祀られるなら祟ったり祝ったりせねばならん、とも言える。
場合によっては、畏怖から差別に繋がったりするコトもあろう。
隔絶感から距離を置くコトになり、疎遠になれば相互理解は深まらないから。
もちろん、距離を置こうとする行動もまた相互作用ではあるのだが。

能力を媒介とした関係を構築してしまうと、普通の関係は構築しにくい。
何千年もの間、諸国に分散して生活しつつ独自の能力で生活しているというのに、
今もなお完全には定着できないようなヒトビトもいるくらいなのだ。
そういったヒト集団に対して、より大多数のヒトが所属するヒト集団は
しばしば迫害してきた。政治ってのは数の論理でもあるもんだからして。
だがその結果、やはり異能者集団が長く残る道筋をつける結果にも繋がる。

日本の伝統芸能に対して贈与・互酬関係の外から入り込めるかどうか。
これらの分野は特に閉鎖的だと言われるので、
少しは開放的になった方が良さそうだ。
閉鎖的なままの文化を海外に発信したとて、もし外で勝手に謎のパロディが
流行ってしまったとしたら、却ってそれが本家を圧迫しかねないのだから。
しかし、「開かれた文明」とするためには何が必要か。

全く別の文脈だが、思い出すコトがある。
数年前、大学時代の恩師と話し合った際には、
「混乱した情勢から軟着陸させる能力が必要になるだろう」と
おこがましくも語ったのだった。
まあその能力があるかどうかはともかく、必要性は認識しているぞ
という程度の前提でハナシを進める。

たいていの場合、変革には抵抗や軋轢が伴うものだ。
それをそのままに押し切れば、矛盾をはらんだままに
事態は動き、何らかの禍根を残し、破綻に繋がる火種を育てる。
「最大多数の最大幸福」なんて言葉で言うのは簡単だが、
まあいろいろと泥臭いコトをして利害を調整して、
せめて三方一両損くらいに落とし込む手腕がほしい。

原子核の中で、陽子や中性子が引き合う力の源となっているのは中間子だという。
しかし陽子も中性子も中間子も、さらに突き詰めれば中身はクオークだという。
中身が同じだからこそ媒介し合えるのだ、などと、こじつけてみても良いのかな。

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