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2007.12.03

半生紀・補遺 父親がわりぃ

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あるとき、インターネットの掲示板で知り合った若い女は、
「ときたま線路に呼ばれる」と書いて自殺願望らしきものを示唆した。
冗談じゃないとばかり、その考えを捨てるよう促すコメントを書き込んだ。

妻の死因は、発作的な自殺だったのだ。
もともと少しばかり精神的に不安定な面があり、
精神科医には自殺願望があると診断されていた。

幼い頃に両親が離婚し、父親の顔を知らない妻。
母親の手で育てられたが、2人きりの家族はすれ違いばかりだったらしい。
小学生の頃には、母方の祖母のいる田舎へ遊びに行くコトが多かったという。

友達も、あまり多くはなかったようだ。いつしか死ぬコトに囚われていた。
最愛の祖母が亡くなったのが、彼女にとって現世との絆を断ち切る契機だったか。
遺書には「私を縛っていたものを断ち切って」と書いてあった。

妻に対し「死ぬなら後を追う」と約束していたはずが、
死のうと思える勇気さえなく、結局ダラダラと生きてしまった。
そのコトを恥じつつも、なお生きようとするのだから情けない。

そんな想いもあって、精一杯、現世に引き留めようとした。
できることなら救いたい。生き続けていてほしい。
そうこうするウチに実際に会う機会があり、散歩をしながら話をした。

結婚したばかりだという彼女は夫婦関係で悩みを抱えている。
過去にも、付き合った男たちや学生時代の同級生、職場の同僚、さらには
父親まで含め、さまざまな人間関係の中で悩み苦しみ苛まれ続けてきたという。

彼女とは電話やメールで何度もやり取りをした。その夫とも何度も連絡を取り、
さらに周囲の人々まで巻き込んで悪戦苦闘すること半年。副作用もありつつも、
幸いにして少しずつ2人の関係は緩和され、彼女の笑顔を見るコトができた。

いつしか若い夫婦からは「先生」と呼ばれるようになっていた。
2人のことを遠く近畿地方に住む娘夫婦のようにさえ思えるようになっていた。
そう頻繁には行けない距離だが、非常に近しい存在だと感じている。

出張ついでに訪れ、泊めてもらったときには“婿”と一晩、酒を酌み交わし、
翌朝には駅まで送ってくれた彼と、固く握手を交わした。
そして“娘”の頭を撫で、再会を約束した。

その2人の笑顔を得て、心の底から救われた気がしたものである。
単なる独りよがりかもしれないが、娘の顔が妻の顔と重なった気がして
彼女のくれた感謝の言葉が妻の声であったかのように聞こえた。

救おうとした側が逆に救われるなんて、意外な体験だったな。
しかしそれは紛れもなく事実であった。妻に許された気にさえなって、
「また恋愛などしても良いのかな」なんて思ったりしたものだ。

もちろん今も、その2人とは頻繁に連絡を取り合っているし、
出張や旅行などで近くを通る機会があれば、
できるだけ時間を作って立ち寄っている。

今でも、この夫婦はときたま犬も食わぬような喧嘩をしている。
以前の如く電話口から激しい口論の様子が聞かれるコトもあって、
そのたびにヒヤヒヤするコトもある。

けど、きっとなんとか乗り越えていけるはず。
喧嘩をしているというので聞いてみても、他愛もない内容が増えてきた。
それはそれで、むしろ電話越しに聞いていて微笑ましく思える。

関西系どうしの夫婦の掛け合いだからかな、
身近に聞いていても、けっこう楽しいものなのだね。
おかげで、ずいぶん癒されるコトも多いのだ。

それに関連して、最近、一つ役の割を思い出した。
「率先して自己否定から脱却する様子を見てもらうコト」だ。
少し落ち込んだりしたのを、むしろプラスにしてやろうじゃないかと。

まだまだだけれどもね。
なにせ、「やって見せ」たり「言って聞かせ」たりしてる段階だ。
いずれ「やらせて見せ」るようにならねば、「先生」とは言えない。

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ふと、この身でしてきたコトを振り返り、
寅次郎みたいだなと思ったりもする。
まあ、割と普通の男なのだけどもな。

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