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2008/01/30

主人公論

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あるゲーム制作者のインタビュー記事によると、
「自分は普通だ」と思っている人は、予想以上に多いのだという。
漫画やゲームの主人公なども、その「普通」感覚を
生かして作られているコトが多いらしい。
つまり、共感を得やすい姿というものがあるようだ。

考えてみれば、なかなか興味深い。
実態としての最大公約数ではなく、かくあるべしと思っていたであろう、
いわば想像上の自分の姿の最大公約数を得ると、そういうカタチになるらしい。
たしかに、思春期やプレ思春期頃の少年少女たちは
自らの姿や能力にコンプレックスを抱いているコトが多い。

それを平均化して投影すると、総合的には「おおむね中(の上)くらい」であり、
肉体あるいは知性の面では一つか二つの取り柄(しかも割と地味)がある一方で、
弱点も少なくない(男の子なら力が弱いとか、女の子なら胸が小さいとか)。
また、変な特徴を持つ友達がいっぱいいたりして、その中では特徴が弱い
……とかいうカタチになるらしい。

さらに、そういった基本要素に少しばかり夢のある要素を加えてみると、
ちょっとアホで自ら騒動を起こしたり、あるいは逆に周囲の騒ぎに巻き込まれたり、
ときには目立った結果として何かの企みの標的にされたりしつつも、
そうした山積する問題を得意の一芸と周囲の(主に個性的な連中の)手助けで
切り抜けていく、といった具合になるのだろう。

そういえば、どこかの漫画では、主人公の人物紹介を
「誰とでも絡むが、特徴が乏しい」などとしていたような記憶がある。
ギャグ漫画的には、そういうアレンジも可能だろう。
周囲のキャラが強い個性を持っているような場合は、
平凡な雰囲気でボケツッコミ両用の主人公が使いやすいだろうし。

まあ要するに、そういうコトらしい。

しかし一方で、自らの特性が「普通」から離れているコトを
早い時期から自覚して育ってきた人も、たまにいる。
そういう連中は、長じて「普通ではない主人公」になったり、
あるいは「どっちかっつーと脇役」を標榜したりするようだ。
誰のコトかは、まあ置いとくとして。

自覚していれば、自分のニッチを見付けるのも容易だ。
少しばかり引いた視点から世の中を見渡してみるのもまた一興。
デメリットとしては、「普通」の連中からは異質物とみなされたり、
好奇の視線に晒されたりしやすいといったトコロか。
でも、だいぶ慣れてきた気がするな。不通の人という生き方も。

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