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2008/01/06

面倒だから全部持ってけ

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理系文系両方の素養が重要だ、などと聞く機会が多くなってきたように思う。
しかし、本当に両方の視点を体得し、常に両立できる人はどれだけいるか。
実は、それを可能にした人、できる人が限られているからこそ言われるのかもしれない。

とはいえ、世の中にいるのが能力のない人ばかりだとは思いたくない。
むしろたぶん、多くは理解するコトを放棄しているのではないかとも思う。
そりゃそうだろう。いろいろな概念を脳内に構築するにはエネルギーが必要だ。

この問題は文系理系に限らず、あらゆる分野で生じているように思う。
「文化系と体育会系」とか「論理と感性」とか「科学と宗教」とか「聖と俗」とか、
要するに一般的には対立的概念と言われるような関係なら、だいたい何でも。

いや、こうした努力の放棄こそが本来のヒトの性質なのかもしれない。
生存のためのリソースを節約するには、自らの脳内にない考え方を知って
身に付けていくために必要となる多大なる労力など惜しむべきなのだろう。

実際、ほどほどに乾季と雨季が入れ替わり立ち替わり訪れる豊かな自然環境の中で、
主に少人数の家族や群れの単位で生活を続けてたりするのであれば、
つまり他のヒトとの接点が限られるならば、まあその方が良かろう。

まあしかし、ヒトの生存環境は常に一定というワケではないし、
むしろ今の世の中には非常に多数のヒトがいてその接点もほぼ無限。
そこから言えるのは、意見の相違の可能性も無限に近いってコトだ。

思考リソースをケチって理解しようとする努力を惜しんだ結果、
さまざまな紛争の種を蒔いて育てているようでは、どうかな。
現代社会では、ヒトの遺伝的な特性に反するような行動も必要なのではないか。

で、そんな考えをしている時点で「理解しようとする努力を放棄する人々」を
理解しようとする努力を放棄しているのではないかと思って反省してみたりする。
そんな理解と無理解の関係については、どのように把握すべきか。

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