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2008/01/20

矛も盾も壊れる

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さまざまなシキタリの発明の背景には、
しばしば苦渋の選択があったのではないかと思う。

例えば双子が生まれた際、一方を間引きするなどのシキタリも存在した。
両方を育てるにしても、先に生まれた方を弟にするなど、常とは逆の措置もある。

普通の兄弟姉妹なら1年あまりの年齢差があるので上下の序列は明白だが
双子では差異に乏しい。同性ならなおのこと。

さらに男の双子となれば家父長権の奪い合いもあり得る。
オスが群れのボスとしての権力を争おうとするのは野生の本能。

だが、能力が拮抗していれば容易に勝負がつかず、争いは激しくなる。
序列を決めようとする過程で血を見る危険性も高まる。

それが個体間の戦いだけで済めばまだしも、群れを二分するような争乱にまで
発展してしまったら、ヒト集団全体が危機に陥ってしまう。

そうした将来の危険の芽を摘む為に、あらかじめ一方を間引いておくか、
さもなくば強制的に劣位として育てる方法が発明されたのではないか。

それは当然、近現代西欧風の思想から言えば人権侵害となろう。
そうでなくても、間引かれる(or劣位とされる)側にとっては悲劇だ。

ヒトの下に見られたヒトは下に立つヒトになってしまう。
最初から、そのために優先順位をつけて育てるというワケだから。

こういうシキタリを野蛮な必要悪的慣習だと言ってしまうのは簡単だが、
しかしヒト集団全体を中心とした観点からみれば、
全体に及ぶ悲劇を避けられるという意味において望ましい選択でもある。

野生のヒトにとってみれば、まず自らの個体生存、
次いで自らの所属する集団の存続、それから他の個体の生存を
重視するのだから、大きな間違いではないはずだ。

ただし、ヒト集団の中では関わりを持った他の個体に対する親愛の感情も強い。
感情を紐帯の一要因として集団形成に用いてきたのがヒト種だから、
集団の中からヒト個体が欠損するコトは常に悲しみを伴うものである。

詰まるところヒト種の中に存在する矛盾点を突いたような選択というワケだ。
どちらを選ぼうと苦痛に至るという点も、
どちらかを選ばねばならないという点も。

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