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2008/02/01

このクニのカタチ・臨時便A面 組織禄

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戦後の日本は、経済的には開国していたが、
国内の実態としては鎖国が進んだのではないかと思うコトがある。
敗戦直後は日本にも多様なヒトビトがいたというのに、
高度経済成長時代を通じて「日本人」は次第に均質化されていき、
一億総中流サラリーマン核家族高学歴、となっていった。

異質な存在は減った。あるいは、いても目立たなくなった。
比較対象が限定された中の人にとっては客観化が難しくなる。
まして社会全体が一塊になって動いてたりすると、なかなか実感できない。
管理職が、いつしか実態と乖離した「割の合わない役職」となっていて、
ようやく最近になって慌てふためいて対応し始めたりしている。

特に団塊ジュニア世代あたりでは実感として分かってなかったりすると思う。
管理職って、何をどう管理して、どんなふうに統制されるものか、
その肩書きに相応しい具体的な働き方を、あんまり見てこなかったから。
だもんで、自分が「名ばかり管理職」になっていると気付きにくい。
同じような存在として、「名ばかり自営業」ってのもある。

自立を前提としている自営業や、自己管理を前提としている管理職だが、
今の実態をみてみれば、企業のガバナンスがどんどん強化されていく中で
そういった自律的な行動がどんどん制限されていくばかり。
企業は、様々な規則やマニュアルを上手に用いて中央集権を強めていく一方である。
これぞ組織力。あたかも自我を備えているかのように組織が自己の利益を追求する能力である。

しばしば言われているコトだが、組織の自我は非常に利己的であり、
善悪の規範なども「基本的に法に触れなければ善」と、至ってシンプルだ。
そんな組織でも、しかしヒトが構成要因であるのだからヒトの善悪判断が少しは働く。
実際、かつては「○○の善意」などと称される人間が、しばしば存在した。
組織のルールに則って(ときには無視してでも)、その善意を体現しようとしていた。

だけど「善意」が働くには、組織に余裕がなくてはならない。
ある程度の異物を許容するだけの懐の深さが不可欠だ。
「善意」氏の行動は、しばしば組織の利己に反するコトもあるから、
組織は隙あらばその権限を奪い、無力化しようと腐心してきた。
それが利己的な組織の生存本能なのだから「しようがない」。

組織は不況やらグローバル化やら、様々な大義名分を見つけては
合理化やら再構築やらを行い、少しずつ「善意」の力を削いでいく。
「善意」は権限を制限され、椅子を失い、そして老いて疲れて出て行った。
一方、「善意」の再生産は、社会的な教育によって減少の一途を辿る。
平和な日本社会という巨大組織の中に育った子供たちは、面倒事を好まないのだ。

「名ばかり管理職はおかしいんじゃないか」と社内で発言するコトは
「王様の耳はロバの耳」とか「王様は裸だ」と叫ぶようなもの。
定本とされるストーリーの中で、彼らの末路は対照的だが、
どっちかというと平時には「床屋」の方が多かったんではないかな。
高度経済成長時代、生い茂る葦は刈り取られるばかりだったし。

とはいえ、戦争直後のように多様なヒトビトが存在すると
さすがに社会の混乱を落ち着かせるのに苦労しただろうから、
平和を重んじる人たちにとってみれば、
そういうヒトビトが次第に均質化していったコトも
それなりに有意義な変化ではあったのだろうけれども。

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