« このクニのカタチ・臨時便A面 組織禄 | トップページ | グローバル鎖国 »

2008.02.02

このクニのカタチ・臨時便B面 内攻性

20080202_epsn2378s


江戸時代の政治体制は「非常に小さな政府」だったという。
なるほど、幕府は諸藩の領地に直接の支配力を持たず、
一部の天領を除いては間接的な統治を行っていた。
諸藩では、それぞれの責任において領地を支配・統治し
国難に対しても原則として各藩での対応が行われた。

さらに、支配階級である武士たちも
農村まで完全に目が届くほどには数が多くなく、
むしろ農村では農民たち自身が自治組織を築き上げており、
その監督を行うのが武士たちだった、という程度であったとか。
むろん、最終的には各家庭の自治が存在していたはず。

しかるに維新以降、日本は近代国家になるという大義名分を掲げて
中央集権化を強力に推し進め、そして大日本帝国憲法の下で
確固たる統治基盤を作り上げるに至った。
内実は組織のための組織であったと言えるのではないかと思うが、
強固な上意下達のシステムを全国的に構築したコトは間違いない。

そして日本国憲法の世になってからもまた同じく、
旧憲法下に類似した社会組織システムを使い続けている。
地方自治の権限など、さほど大きく変わったようには思えない。
だから、1世紀以上もずっと「大きな政府」が連綿と
受け継がれ続けているというワケだ。

小さな政府の下では、各階層での統治・自治のために
相応の知恵が各地方で必要になるし、
経験を積む機会も地元で充分に得られる。
だから各地に知恵者や地元の偉人がいたし、ときには
支配層の中枢近くまで抜擢されて善政を敷くコトもあった。

一方、大きな政府の下では、地方の知恵者が活躍する場は少ない。
また、そういう人たちが地方に育つ基盤も揺らいでしまった。
なにせ、まず中央の権威ある学校に入り、そこで学んで
中央の人脈を得て中央官庁や大企業で活躍しなければ、
まず栄達の道はないと言われるような風潮になっていたのだ。

幕府支配を打ち倒すという熱意に燃えて立ち上がった連中などは、
それぞれ中央から離れた地方から出てきたワケだが、
結局のトコロ内に内にと中央へ向かっていく流れを作ったコトになり、
それが何世代かの歴史の中で長期的な影響を及ぼしていた。
そして最近になって、地方置き去りという形の弊害が顕在化したのである。

|

« このクニのカタチ・臨時便A面 組織禄 | トップページ | グローバル鎖国 »