« 門前の小僧、習わぬ社会制度を読む? | トップページ | 化石燃料発動機が使われなくなった、道の化石 »

2008/02/07

ヒト工夫してみないと、ヒトごとでは済まされないかも

20080207_epsn0930s


現状、いわゆる社会保障制度などに対しては大した期待をしていない。
それは自営業独居中年なんていうライフスタイルの都合もあるのかも。

どうせ社会からの手厚い支援など得られるはずもない、と諦めて
割り切ってしまわなければ容易には立ち行かないような商売だから余計に。

こんな脆弱な生活基盤を守ってくれるのは、ささやかな権利だったりする。
それだけに、社会人としての権利に関しては強く意識せざるを得ない。

けどそんなもの、あんまり強く主張したくはない。たいてい面倒で疲れる活動だ。
それに、行使せずに済むコトの幸福さを味わいたい。

また、一部の権利行使について「効果が見込めないからやらない」とする友人がいる。
非常に低い確率だと諦めの気持ちが先に立ってしまうのかもしれないな。

とはいえ、永劫不滅の存在などないのが世の常だ。
ましてやヒトが観念上で作り上げた夢の存在は非常に儚い。

だから社会的な権利なども、たまには使って確認しておかないと、後の世では
それが形骸化してしまったりしても気付かない、なんて危険性も考えられる。

(ただし一部には、社会情勢に伴って変質した結果、形骸化していても、
あるいは自然消滅しても特に差し支えない、というような場合もある。

そういうのを維持するだけのために行使するとなれば、さすがに
それはそれで問題があると思うので、的確な取捨選択の見極めが必要だ)

個人の生涯であれば、まあ個人の自由と片付けられるが、それはともかく、
世代を超えてそれを維持すしようとすれば、それなりの工夫が要るのだと思う。

その工夫を考える上では、「伝統」や「慣習」などがヒントになるかもしれない。
権利維持の新しいシキタリスを作り上げ、発展させていくというワケだ。

少なくとも、安易にできるようなコトではないだろうとは思われる。
一人のアタマで考えたコトなど、たいていそのままでは世の中に通用しない。

とはいえ、誰かが作らなければ存在しないもんだ。
それを少しずつ、皆でいろいろと変化させつつ地道に発展させる。

まあシキタリは自然発生的に登場するコトもあるようなので、
それを待つのも一手ではあるだろうけれども。

|

« 門前の小僧、習わぬ社会制度を読む? | トップページ | 化石燃料発動機が使われなくなった、道の化石 »