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2008.03.01

理系用語で読み解く社会(20) 地震大国、押されて高まる

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日本の時代の転換点に、しばしば地震があったりする。
たとえば安政江戸地震は天下太平の世を揺るがして、江戸時代の終わりの
始まりを告げた。まるで“日だまりの樹”を倒すかのように。

太平洋戦争終焉間際の1944年には昭和の東南海地震があった。
そして、阪神淡路大震災はバブル景気の終わりに重なる。
単なる偶然かもしれないが、あるいは民衆心理や経済への影響も考えられる。

次の大地震のときには、また何かが終わるのか。
それについて確実なコトは、何一つ言えない。
またいずれ大地震は発生する、とは言える。

それから、時代の変化もまた繰り返されるというコトも、ほぼ確実だ。
中国近現代史に関して、こんな考察があるのを思い出した。
ちょっと長いが引用してみよう。

「余談にわたるが、清朝が滅びたのは、この年からかぞえて七十三年目の辛亥の年である。新暦と旧暦の差はあるが、おなじ日付の十月十日(いわゆる双十節)、おなじこの武昌の地にとどろいた銃声が革命成功を告げた。詰襟すがたの革命青年たちが共和国万歳を叫んでいたとき、この町の八十以上の老人なら、総督林則徐が百官の見送りを受けて、勇躍北京へ出発した日のことをおぼえていたであろう。そして、こんにち八十歳の老人は、辛亥革命の年にはすでに二十であるから、若い血をわかせていたはずだ。歴史はこんなふうに橋渡しをされることで、われわれにぐっと近づいてくる」
(陳瞬臣「実録 アヘン戦争」中公新書)

日本では、昭和初期には維新の動乱を実見した人たちが生きていた。
そういう人たちの子や孫が、中国大陸に侵攻したり南方に進出したり、果ては
長駆ハワイまで奇襲しに行ったり、またそのための兵器を作ったりしたワケだ。

戊辰戦争でも第二次大戦でも、生き延びた敗者たちは戦後の混乱を見る。
敗戦後の首都に勝者が我が物顔で入り込み歩き回って旧来の文化を汚し、
さらには混ぜ返して、総入れ替えしていくという変化を、否応なく受けた。

古い大都市というのは、そんな具合に敗者の怨みや
嘆きが積み重なってできているのかもしれない。
それはさておき。

明治になってからは、江戸時代の知識階層が
武士階級と一緒くたに世間から見捨てられたりした。
それで失われた江戸の学問体系も少なくないという。

敗戦後には軍と軍需企業が培ってきた様々な技術が、
やはり日本の武装解除とともに失われていった。
中には惜しむべき技術も含まれていたらしいのだけれども。

知識や教養分野などもひっくるめて、
文化も総入れ替えが進められたようなもんだな。
戦争に負けるというのは、そういうコトも含めていうらしい。

さて、近現代の百数十年間あまり、日本は劇的な変化を何度か
体験しつつ、それを比較的素直に受け入れて自らの国を作り上げた。
急な変化であっても、外的要因だと、意外なくらい柔軟に適応してしまう。

日本列島は、太平洋側の地殻プレートがユーラシア大陸側のプレートへ
潜り込むように押し続ける中で、大洋底堆積物などが盛り上がってできた。
だから列島に地震はつきもの。それでこそ盛り上がってきた列島だ。

日本人というのは面白いコトに、外来文化を受け入れつつも
なんとなく日本人という枠から出て行こうとしない。
というより、日本人としてみれば別に出て行く必要も感じなかったりする。

それは外からの圧力に慣れているから、かもしれない。
あるいは、圧力あってこそ大国の座を得るコトができたのか。
地勢にせよ、経済にせよ、あるいは文化にせよ。

一方、内的要因による変化は、非常にゆっくりと歪みを蓄積している。
それが今、もしかしたら久し振りに日本という国全体で、大きな
地殻変動をもたらすのではないかとも思ってみたりする。

「もはや戦後ではない」なんて言葉さえ古いと言われる時代。
戦争中のコトを覚えている人たちも、徐々に減ってきた。
これは、そろそろ“次”があってもおかしくない時期かね?

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