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2008.03.19

理系用語で読み解く社会(22) 大統一共栄理論

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テロリズムはルールなき戦いとして嫌悪されている。
もちろん、その行為自体は非難されるべきものだと思う。
だが、そういう選択肢を取らざるを得ないまでに追い詰められて、の場合もある。
追い詰めたのは誰か。そっちにも目を向けたい。

動物が、たとえば群れのボスの座を賭けて戦うときなどは、
あまり殺傷能力のない戦い方を使うのが基本だ。
たいていは鋭い牙や爪、角などを使わずに、示威行動や力比べをする。
流血沙汰になるのは、それでも決着がつかないときだけ。

一方、襲いかかってきた肉食動物に対して草食動物が反撃する際には、
手段を選ぶ余地がないので、もっと効果的な攻撃手段を躊躇わず使う。
最近では、詳細な観察のおかげで例外も多いコトが分かってきたが、
だいたいにして明確なルールの使い分けが存在しているのだ。

戦争が、原則として武装した集団どうしの間で行われていた頃、
あるいは互いの顔が見える距離で斬り合い打ち合いをしていた頃、
それでも逸脱は大きかったようだが、今ほどではなかったのではないか。
今の戦争は専ら「非対称」。肉食獣対草食獣みたいなもんだから。

もし、一部の人々が自分たちの立場を草食獣の側だと認識すれば、
かれらは手段を問わず生存を賭けて戦うことだろう。
世界規模の大戦が行われた時代から、そういう傾向はあった。
大戦そして冷戦を経て、さらにその傾向が強まったのだ。

非対称な関係を力で押しつけて維持しようとする、と思われたら
(勢力の大きい側の意識に関係なく、小さい側がそう思ったら)、
必死の反発、そして決死攻撃へと向かう流れが生じてしまう。
結果、悲劇は拡大していくばかりだ。

新しいルールには、新しい戦い方が必要か?
意識していようといまいと、自分で作り上げたルールを
周囲に押しつけていたりはしないだろうか。
その上で勝った負けたと言うのは、どうにも変だ。

9.11以降、合衆国では「テロに関係している容疑者には拷問も辞さない」
という厳しい方針で、非対称の戦いに本気でのめり込んでしまった。
半世紀以上経った今になっても「カミカゼ」を理解できないから、
クレイジーな行動として思考停止しているから、そんなコトをしてるのだろう。

そのあたりは米国に対し、きちんと日本人として
説明してやった方がいいのかもしれない。
もちろん日本としては、他の国の人たちから
いろいろ聞くこともまた大切だろうけれども。

対照的に、日本の調査捕鯨船団に対する白人の「環境テロ」なんてのもある。
でも彼らは追い詰められているようには見えない。むしろ楽しそうじゃないか。
たぶん、テロと呼ぶのは不適切なのだと思う。
アレは彼らのルールに沿ったコミュニケーションの一環と考えるのが妥当だ。

おそらくそれは多くの日本人のルールとは大きく隔たっているのだけれども、
それでもなお日本は徹底して紳士的な対応に努めるのが正しいだろう。
もちろん、紳士というのは好々爺ではないのだから、国際法すなわち国際的な
ルールを逸脱するような行為に対して厳しく対処するコトも含めて、真摯に。

ハナシを戻そう。怨みの連鎖は拡大してしまいがちなものである。
一人殺されたら何人も殺して返せば済むのか。そうではないだろう。
何人も殺されたら、何十人も殺されて返されるのではないか。
応酬するうち何十人が何百人何千人と犠牲者ばかり増えて最後は焼け野原。

そういう問題点が分かっているとはいえ、
社会の動きは個人の力で押しとどめられるモノでもない。
社会の問題点を指摘しようとして、その社会から抹殺された
人たちの数も、また枚挙に暇がない。

軍部が統帥権に陶酔する件よりペンの方が弱いのだった。
軍国主義に傾倒していく世の中で平和を説くコトは生命の危険を伴う。
それに逆らって死んでいくのも、一つの生き方だと思う。
けど、平和を説くという割には雄々しくありすぎるような気もする。

としたら、ひたすら逃げて逃げて逃げまくって生き延びて、
いずれ来るであろう戦後に備えるという生き方も、
ひょっとしたらアリなのかもしれないな。
流される血と涙を減らせるかもしれないし。

もちろん、ほぼ確実に、卑怯だと非難されるコトだろう。
でも、殉教者や即身成仏のように尊崇の対象になるばかりで
将来の世の中を見届けられないってのも好かない。
むしろ無名の凡人として世間を見続け、死んでいくのが性に合う。

さて。

科学的には、個々の分野のルールを見付けていく一方で、
それらを網羅する統一的なルールを見付けようと研究が進められている。
日本には日本のルールがあり、欧米白人社会や中東イスラム圏にも
それぞれ異なるルールがあるが、それらを網羅するルールも必要だ。

素粒子論的には、対称性の破れが、この世界を形作っているともいう。
パワーゲームなんかも、非対称であるからこその世界、なのかもしれない。
むしろそのあたりを突っ込んで研究してみないことには、
ヒトというものの大統一理論も見えてこないのではないかな。

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