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2008/03/26

戦略的教育の戦略の私案を思案する・前編

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戦略というのは、どのようなコトなのか、考えてみた。
多くの人が自らの意思で考え自発的に行動し、
しかも互いに自主性を保ちつつ協調的な動きをして、
単なる個人や烏合の衆的個人の集合体では不可能なほどの
大きな結果をもたらすようにするもの、といった定義ができるか。

そのためには人材育成や評価、人事といった面も含め
幅広い視点で考えていかねばならない。
要するに、ヒトの周囲の環境を作るコトなのだから。
それ自体すでにヒト一人の力では不可能なものであり、
ちょっとしたパズルを解くような知的ゲームとなる。
だから戦略の実践は状況判断から始まるのだろうし
定石というのも存在しにくいのだろう。

世界の全てを読み尽くそうにも、
ヒトはあまりにも小さな存在だ。
能力も時間も、まるで足りない。
だからこそアタマを使えというワケだ。

問題点や、その前兆を捉えて改善していくには、
そのための訓練を積んでいなければ難しい。
さらに言うなら、「あるべき姿」を常に念頭に置き
そこへ向かう道筋を描いて、ズレを見付けるコトが大事だ。
だから、意識し考え続ける癖をつけるコトが不可欠。
……と、「現場力」を語る講演で聞いた。

組織としては、癖をつける戦略を練って実施する一方で、
癖をつけるには躾をせねばならないのだから、
躾を受け入れる素地があるかどうかの選別も重要だ。
企業などでは、ある程度の事前選別も可能だろうし、
採用してから素地を鍛えるコトもできるだろう。
ただし最近では、あまり行われていないようではあるが。

また、社会人の前段階においては、教育が非常に重みを持つ。
だから、社会全体を良くするためには教育戦略が必須で、
そらには学校のみならず家庭や地域での教育も重要だ。
良い方向への循環を作り出す、その方向性というものが、
しかし今の日本には、ほとんど欠如してしまっている。
いや、揺らいでいるというのが正解か。

価値観が安定していて、変動の少ない社会であれば、
教育戦略のかなりの部分を半自動化するコトが可能だろう。
でも、今は違う。
教えたいコトを適切に教え、人材を育てていくには、
現場はもちろん関係者にも戦略眼がなくてはならない。
その上で何が必要か、また日を改めて考察してみよう。

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