« 戦略的教育の戦略の私案を思案する・後編 | トップページ | 神様なんかじゃありません »

2008/03/29

戦略的教育の戦略の私案を思案する・結語

20080329_20080301504ts


前置きが長くなりすぎて前中後編では結論が入らなかった。
(なんて戦略性のない……)

きちんとした民主主義が定着するには、まず第一に、
要求するコトと我慢するコトの両方を、
多くの人々が備えていなくては難しいと思う。
そのために有効な教育を考えるコトは、
ヒトが社会を構成するようになってから、ずっと課題だ。
もちろん今後も非常に大きな課題であり続けるだろう。

たとえば、問題の認識能力を育てているだろうか。
問題点に気付き、それを明確に識別する能力を。
無数の要素の中から特に注意すべき点を迅速かつ的確に
見出していく能力を鍛えるような教育なんて、
試験の「引っ掛け問題」対策くらいしか行われていないよね。

山積する社会的な課題の中で、特に急を要するコトは何か、
あるいは、慌てる必要はないが地道に取り組まねばならないコトは何か。
そういうのを見極める能力が身に付くコトを経験豊富と言うのだと思う。
しかし、それができなければ、議論もへったくれもないだろう。

また、利害の対立する相手と冷静に議論をする教育も行われていない。
特に「勝ち負け」とは違う次元での結論を求めるような議論に関しては。
勝ち負けは、ビジネス上では大きなメリットになるだろうけど、
社会の安定にはむしろ三方一両損で軟着陸させて合意を形成するような
微妙な結論に落ち着いた方が役立つ。
なにせ、誰かが勝てば、ほぼ確実に怨み妬み嫉みが出て禍根を残すからな。

そもそも勝ち負けを前提としていては、相手を打ち負かすコトばかりに
力が入ってしまい、相手の価値観を認める能力に結びつきにくい。
そうではなくて、互いの価値観を理解し、その上で両者の立場を慮って
双方が自発的に譲歩し合うような結果を出していかなくては。
そういう議論が、政治の世界には必要なのじゃないか。
でも、そんな教育、指導要領に入ってたっけ?

近年では小さな地域単位での「自治会」の崩壊が進んでいるが、
これもまた実は日本の民主主義の根本を揺るがす兆候なのではないかと、
最近は思うようになってきた。
身近なトコロで話し合って解決する習慣がなければ、
大きなテーマを話し合って解決しようという気にもなるまいから。

それはまた、家族内の問題についても言えるだろう。
核家族化が著しい、というか各人バラバラに、
ほとんど一人ずつで生活していては、
話し合う機会すら得られないのだから。
家庭や地域を変えずに教育だけで対応しようとするなら、
なおのこと教育手法にも工夫が必要となる。

それとも、今から家庭や地域を変えていきますか?

個人的には身近なトコロ、それこそ友人たちとの対話あたりから、
まずは取り組んでいくつもりだが、焼け石に水とならぬよう願うばかり。

|

« 戦略的教育の戦略の私案を思案する・後編 | トップページ | 神様なんかじゃありません »