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2008/03/27

戦略的教育の戦略の私案を思案する・中編

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日本の教育というのは、「縦割り教育」だと思う。
各教科の関連性は皆無に等しいのだ。
それどころか、教科内での関連性も薄い。
だから、知識重視の授業をするとしたらそれは
単なる詰め込み授業となり、弊害が指摘された。

逆に、ゆとり教育とやらの場合は、もっと酷い。
ただ薄い知識を与えるだけになってしまう。
「考える力を」という主題がブレていたせいか
実践に耐えるレベルで現場まで徹底するコトが
結果的にできていなかった。

知識ってのは、他の知識と関連し合うコトで
脳内での重みを増していくものだ。
そしてその結びつきが増えれば増えるほど
思考訓練の機会も飛躍的に増えていく。
結果、「考える力」に繋がる。これが戦略だろう。

まず身近なモノゴトに関連するカタチで
新たな知識を教え込み、さらにその知識に
関連する知識を重ねていくのが望ましい。
しかし、今の子供たちにとって身近なモノゴトは、
教員たちが子供だった時代とは大きく違うようだ。

すると、教える側の問題が見えてくる。
教育者やその関係者は、今の子供たちの生活を
知り尽くす必要があるはずだ、と言えるだろう。
それも「教えられるレベルにまで」、だ。
これが今、非常に難しいのではないだろうか。

然るに学校は、あるいは教育委員会は、
教員たちにそんな時間的精神的余裕を与えているか。
さらに言えば、学校や教育委員会に対する社会からの要求
とやらが、歪んではいないだろうか。
カネは安く、要求は高く、しかも家庭は何も教えない。

サービスを受ける側の対応次第でサービスする側もダメになる、
といったハナシは以前にも書いた。
教育においても同様の事態が進んでいるようである。
だから社会全体の教育に関する意識が変わらねば、
教育全体の体質を改善していくコトはできない。

「こんな社会に誰がした」と問われれば、
「みんなでやってきたじゃないか」と答えたい。
まあしかし、そんなに罪悪感に苛まれてはいけないよ。
かなりの部分はヒトの性に起因するものだからね。
むしろ大切なのは、それを知った後、どうするかだ。

「どう考えて、どう行動するか」を考えてもらいたい。
そのコトが重要である理由を考えて納得した上で、
実践して結果を目指すよう意識してもらいたい。
で、より多くの人をそのように仕向けるコトが、
まさに戦略ってコトになるワケだ。

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