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2008.03.28

戦略的教育の戦略の私案を思案する・後編

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ニュース映像などで国会などの様子をみていると、
目の前の政敵だけを相手にしてるようにしか思えない。
インタビューに出てきても、まるで自分のコトとは
違う世界の話題を語っているかのような「他人感」。
政治屋というのは、こういうのを言うのかとも思う。

もちろん、たまには例外もある。
たとえば、ちょっと前の首相は語り口が大きな特徴で、
久し振りに国民から高い支持率を得た首相となった。
けど、それは舞台の上の役者が独白してるみたいなもんで、
要するに相手のいる議論というコトはしていなかった。

やはり、「見せる議論」のできるヤツは、日本にいないようだ。
でも、政治家の活動は言うまでもなく国民の目に触れるもので、
彼らの商売としては当然ながら見られるコトを意識すべき。
その上で、長年培ってきた政治活動の能力を活用して、
自らの一貫したポリシーを示していかねばならんのじゃないか。

反面、見る側の問題も指摘できよう。
「踊る阿呆に見る阿呆」とは言うが、議論を冷静に聞いて評価する
ような訓練を受けた国民など、おそらく一握りしかいないだろう。
となれば扇動されてしまっても文句が言えない。
内閣支持率が乱高下したりするのも、当然だ。

さらに言えば、「見せる阿呆」にも問題がある。
ワイドショーで誰かを悪者に仕立て上げて叩けば一丁上がり。
何か問題があれば反射的に「辞めろ」の連呼。
「疑わしきは徹底的に罰してしまえ」ってコトか。

いろいろ調べ物をする立場としては、メディアの報道内容を
鵜呑みにするのが危険だと分かっているけれど、
ここまで執拗に「出る杭を打つ」のは、日本的な精神性の
悪い面ばかり強調しているようで、いただけない。
(良い面もあるのだから、それを伸ばしてもらいたいのだけれども)

まあそうでもしなけりゃ稼げないってコトなんだろうけど、
視聴者より広告代理店の方を見てばかりいる電波媒体や、
部数だけで勝負していて読者を育ててこなかった新聞、
それどころか読者に「ゆとり教育」を施してきたような週刊誌などは、
果たして自身の責任にお気付きか。
狭い世界のみを注視して戦略なき戦いを繰り広げてきた結果、これだ。

ともあれ、こうして煽り煽られ釣り釣られ、の世界が出来上がる。
いろいろ考えていくと、踊る阿呆も見る阿呆も見せる阿呆も
それぞれお互いにアタマ悪くする方向へ作用している気がする。
思考停止の連鎖反応だ。

「オレは違うんだぜ、へへ」っとせせら笑うつもりはない。
この国にいる以上は「見る阿呆」の一人だし、こうしてブログを
書いているのだから「見せる阿呆」の側にも立っている。
(読者、ってほどの人数はいないと思うけど)
だからこそ、このような悪循環が心苦しくてならない。
嫌気が差す。だからこそ見る。そして悩み考える。
新しい認識に気付いたとき、できるだけそれも受け入れようと努力する。

思考停止は極端な反動形成に繋がりやすい。
経済が冷え込み消費マインドも落ち込み、「明るい材料」を求める。
それが得られなければ代償として「暗い気分を吹き飛ばす話題」を。
そんなふうに強い刺激を求める世論のおかげで、
政権の天秤も右に左に行ったり来たりで運動エネルギーを失うばかり。
そして次第に日本全体が失速、墜落に至る……。

理解できないと言うのは勝手だし、
思考停止に陥らないようにする努力を放棄するのも勝手だが、
だったら発言も行動も停止していてくれた方が世の中の為ではないか。
もっとも、それでsapiensを名乗る資格があるかどうかは、
別途じっくり考えねばなるまい。
もちろん、自分自身の胸にも手を当てて。
独善的に毒舌でいればいいというワケでもないのだ。

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