« 遮断法人組織論 | トップページ | 年寄り臭い説教話(期間限定、諺とか駄洒落とか増量中) »

2008/04/13

慣習の監修者になれますか

20080413_epsn4838ts


継承するという問題について、いろいろと考えてみると、
慣習というのは、不変あるいは容易に変化しないものとして、
法などと同様に位置付けられているような気がする。
特に多くの日本人にとって、法は自分たちのために変える
コトが可能だという認識は、まだまだ少ないのが現状だ。

商習慣や組織内の習慣などにしても同様。
こういった既存のルールもまた、自らの力で変えるコトができないか、
あるいは変えられるにしても非常に困難なものだと思われているようだ。
そもそも変えるコトなど念頭にない、というのが大半であり、
ひっくるめると、慣習というのは原則として不可蝕であるらしいのだ。

でも実際には、ひょんなきっかけで変わってしまうモノだというのは
過去にも伝えてきた通りである。
もっと言うと、日本の家庭環境などというのも、
はるか太古の昔から変わっていないように
思われていたりするのではないか。

いや実際には明確な定義付けなどもされておらずに漠然と、
そんな感覚が定着しているような感じで。
いろいろ考えてみれば、違うと言えるだろうけれども、
つまりそういう感覚があるってコトは、
まるで考えたコトがないってワケだ。

例題を一つ。
【「必要悪」が、なぜ必要になったの?】
たいていは歴史的意義があって登場したりしてるのだが、
そういうトコロを突き詰めていかないと、
どうにも場当たり的な対応になってしまうのではないか。

いろいろとコトバを費やして時間を掛けて、考えの過程を
見てもらっているのは、そういうトコロに気付いてもらいたいから。
(こうやって書くと、なんか偉そうに見えてしまうが、
偉くなくたって考える道筋を見せて構わないのだし、
そういう癖をつけた方が、じっくりと対話する際には良い)

「気付かせるコト」を米国IT業界っぽく言うと
「気付きのエクスペリエンスを得てもらうコト」てな具合か。
気付くコト、それは楽しいのだ。好奇心ある動物としては。
けど、気付くまでのプロセスに先立って、
興味を惹かれるかどうかの関門がある。

だから「知ってる&興味ある」という領域の
ギリギリを掠めつつ新しい領域を見せるコト
が特に効果的な気付きのカタチなのだろう。
他人が気付いて驚き喜ぶ瞬間を見たいから、
ついつい、そんなコトばかり企んでしまう。

|

« 遮断法人組織論 | トップページ | 年寄り臭い説教話(期間限定、諺とか駄洒落とか増量中) »