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2008/04/26

逆行の走者

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聖火リレーは、人間が火を守るコトの重要さを教えてくれる。
今回は守ろうとしている脅威が、もともとの聖火リレーとは違うけれども。
その報道もまた最近では見せ物的になってきているような気がしつつ。

でも、あの国は面子を大切にする国民性があるらしいから、
公式非公式に軍だの工作員だのを導入してでも完遂するだろう。
せいぜい、その滑稽ぶりを笑ってやればいいんじゃないかな。

とか考えたとき、嘲笑うコトも間抜けな行為ではないかと思った。
そんなんじゃ結局、アレらと同列なのではないかと。
根本的に、ヒトは味方を作れないイキモノなのかもしれないな。

その人が大事にしているモノゴトを大事にしてくれる――
そういう相手を、ヒトは味方だと感じるものだ。
そんな当たり前のようなコトさえ、しかしヒトはすぐ忘れてしまう。

だから伝統やら文化やら宗教やらを簡単に破壊したりして
反発を招いて火種を作り、それがまた反対運動になって
デモ行為だのそれに対する弾圧だのと、火に油を注ぐ。

でも、そういうコトをして痛い目を見るのもヒト。
他人の苦しむ姿を見て哀れに思うのもまた人の性。
そんな思いが積み重なって、ヒトの歴史というのはできている。

だからその蓄積を踏まえて自らの行為を反省したり、
他人の行為の轍を踏まぬようにせねばならんのだろう。
周囲を責める前に。

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