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2008/04/20

穴開きの風潮

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夢を見る権利など、誰でも持っている。
その夢の中に、ちょっとくらい不健全なものが混じるのは、
まあ成長期なら誰だって経験があるはずだ。
なかったなんて否定するなよ。
もしそれが本当なら、お前ヒトじゃないから。
忘れたいから忘れちゃいましたってのは、まあヒトらしいけどな。

ともかく、そういう不健全な内容ばかりの夢にならぬよう教育するのが
子を持つ親の義務ではないですか。
子供に対して、ときには一戦を交える覚悟で、
とにかく本気で立ち向かってやらねばならないものだろうに。

親は仕事、子は塾や習い事で互いに接する時間がないし、
子供たちがパソコンやケータイで何をしているかも知らないから、
「ウチでは禁止」と厳しく躾をするコトもできないのがフツーの親たち。
でも、じゃあ法律で禁止させましょうってのは、タダの逃げだ。

そうじゃなくて社会が悪いんだって? 冗談じゃない。
こういう世の中にしてきたのは、オトナたち全員の責任だ。
そこに目を向けないようでは、やはり逃げだぜ。
権力に頼らねば何もできない親を演じたいなら、まあいいけどさ。

スティーブン・キングは、暴力的ゲームなどの規制の流れに対し
「子供たちに対して善悪を教えるという義務を親が果たしていない。
それを政府などに任せてしまうのは責任逃れだ」と言ったそうだ。
子供たちってのは、大人が思う以上に人の態度を見ているもんでね、
逃げの姿勢だと思われたら、まあ余計に信頼されなくなるわな。

子を育てるなら、大人は子たちの人生を背負うものだ。
その責任感、と言ってしまえば軽いハナシになりそうだけど
まあそういうのと本気で向き合っていかねばならんのだろうな。
それこそ昔の親たちは子たちのために生活時間を合わせたり
するのが当然だという風潮があったっけな。
今の親たちは、そんな余裕もないのが普通らしいが。

そういえば先日、電車の中で「じっくり聞く親」とかいう
学習塾か何かの広告のキャッチに目が留まった。
そうか、親にゆとりがないからこそ、教育にゆとりを持たせようと
そんなふうに考えたのかもしれないな。
まあそれは、ちょっと方法が間違ってるような気もするんだが。

弁護をする連中とは直接対話しませんなんて態度を見せてもいけない。
それ自体が、思考停止を態度で示してるだけだから。
「考えたくない、そんなモノが存在する世の中なんて有り得ない」
「だから強大な権力を以てして撲滅せしめる」
などと思っているのかと推測する。
(撲滅するって言うからには、存在を認識してるような気がするんだけれども、
やはりそこらへんは脳内マスキングを施した上で粘性の低いルートだけを
通るようにしていると、認識していないコトにできるらしい)

後先考えずに、周囲を見ずに、焦って慌てているようにしか見えません。
たとえ火元を叩いたって、火の粉が飛んでしまって、却って面倒になる。
周囲に可燃物があれば、そこに引火して余計に大騒ぎとなるだろう。
(マーフィーの法則っぽく言うなら、
「火元の近くには必ず可燃物があって、引火する」てなトコロだ)
「悪のテロリストを徹底的に叩き潰せ」って某大国が躍起になって戦争して、
でも壊滅させるには程遠い結果しか出せていない上に、国まで傾いちゃった。
そういうのが同時代に進行していても、対岸の火事ですか。

そもそも他人の人権に制限をかける可能性が高い規制案なのだから、
どこまでも真摯に対話するという姿勢でなければならないはず。
宗教や思想の自由を侵害されるという危機感を抱いた連中を、権力で
押さえつけるなんてのは、果たして法治国家として許されるのだっけ?
(過去にデモを国家権力の機動隊に押さえつけられたような経験のある人たちも、
実は今回の規制を推進する側の中に入っていたりするかもしれないと思うのだが)

「海外でやってるから」という理由も、安直すぎる。
(そういえば日本人は他の国の人々と比べると幼く見える傾向にあるワケで。
成人相手でも「そういう趣味」が成立しやすいってのも考慮した方が……)
同じ制度を輸入したって、その運用で失敗した例も日本は無数にある。
ていうか、むしろ輸入された制度ってのは運用が追いつかないものばかりでは?

海外、特に米国などでは、運用しつつ法改正を頻繁に行って、
問題が大きくならないようにコントロールするようなスタイルだ。
だから、ときたま大統領が間違った方向に頑固だったりすると
大きな失敗に陥ったりはするが、それ以外は概ね柔軟に対応している。

日本は逆に、いったん法律を決めたら変えようとしない。
せいぜい省令レベル、解釈レベルでやろうとしているから
大きく世の中が動く時代には、いつも後手後手になってしまう。
(それに今の日本の国会では、とてもじゃないが真っ当な議論も期待できない。
暫定税率と同じく審議に入らないか、あるいは人気取りのためにも
与野党共謀してロクに審議するコトもなく採決してしまうか、どっちかだ。
そして官僚たちが違いのテリトリーを主張しあったりした結果、
その政策のほとんどが骨抜きになってしまったりする)

運用を全く考えてないのは、まあ今の政府や自治体や官公庁に始まって
企業の多くでも当てはまるんだけど、つまるトコロ、
その中のオトナたちが先の見通しを明確に立てらんない無能だというのを
自ら明らかにしているようなもんで、これもまた間抜けなハナシだ。

きっと、運用するトコロにまでは、きっと全く意識が向いてないのではないか。
「失敗したら今度は運用する連中を責めれば済むコト」とでも思ってるのかな。
しかし、導入を推進するのであれば、運用面までの責任が問われるものでしょ。
当然、何年後には効果がどれだけ出て、一方で弊害がこれくらいと、
その部分は公約違反とならぬよう、きっちり検証をお願いしますよ。

さて。憂さ晴らしはこのへんにしておくか。

一方で、規制に反対する側も、少しは考えないといけないのかもしれない。

少なくとも、後ろめたいコトのないように。
現行法に触れるような行為は慎まねばならない。
業界団体などでは自主規制の強化なども、せねばなるまい。
そしてさらに、疑念ばかり抱かれたりせぬよう努力するコトが望ましい。

懸念されるような状況ってのは、単独犯行というか、
むしろ人付き合いが非常に希薄化した人に多いんじゃないか。
というより、世の中の全体的な傾向として、
私生活に他人が入り込むコトが少なくなってきているのではあるが。
入ってくるのは、ブログやメールやメッセンジャー、そしてせいぜい電話くらい。
実際に部屋の中まで上がり込む友人なども少ないではないか。
ていうか、最後の最後には警察が踏み込んでくるのかもしれないが。
そうなる前に部屋に入り込んでくる身近な他人がいるならば、
ある程度は気付くかもしれないし、迎える側も少しは違ってくると思う。

突き詰めてしまえば、これもまたオトナたちの責任範囲なのだよな。
面と向かって話し合い、議論を交わし、酒を酌み交わし、
さらには喧嘩できるくらいの相手がいた時代は幸いだった。
そうとしか言えない。

間を飛ばして結論だけ書く。

じゃあ今のオトナたちは何をすべきか。
個人的には、もっと喧嘩してやるべきではないかと思う。
他のオトナや、コドモとも、正面から向かい合って、
「ここに書いてますから」なんて逃げたりしてないで、
譲れない部分は譲らず、だけど相手にも同じように
譲れない部分があるコトを認めて、付き合っていかねばなるまい。
なに、どうせ長い付き合いになるのだ。
喧嘩したって、仲直りの機会はいずれあるさ。だから仲良く喧嘩しろ。

子供たちにしてみても、そういう大人たちが身近にいれば
同じように正面から相手と向き合おうとしてくれるはず。
そして、その子供たちの周囲にも、やはり同じような
感覚を持った仲間たちが集まってくるというものだ。

さて、ちょいと散歩にでも行ってくるかな。
ときには喧嘩もしながら10年20年の付き合いという、
もはや腐れ縁の連中を連れ出して。
途中で新しい出会いでもあれば、ついでにそれも楽しんで。

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