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2008.04.10

継承するコトの問題を発展させて考えてみる

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経験でのみ伝えられるようなモノゴトってのは、けっこう多い。
それを後の世代に継承するには、大変な苦労を伴うものだ。
継承をするには各世代が互いに深く関わり合いつつ、
長い時間を一緒に費やさねばならないが、それが難しいのである。

現代では世代間ギャップは深くなる一方であり、
しかも内外で新しいモノゴトが生じていて、
とてもそれどころではないというのが実状だ。
継承は断絶している、と言わざるを得ない。

そういう点から言えば江戸時代などは、
鎖国の中で外から入ってくるモノゴトを限定できたから、
落ち着いて継承するという作業に
じっくり腰を据えて取り組めたのかもしれない。

かといって、中で新しいモノゴトができなかったワケでもなく。
それなりに発展しつつ継承されていったコトは言うまでもあるまい。
また、継承される文化の劣化は、それなりにあったと思うけれども、
しかし現代よりも、劣化の度合いは低く抑えられていたと思われる。

外との繋がりを重視するのであれば、部分的には
継承するコトを諦めざるを得ない部分もあろう。
しかし一方で外からは、より新しいモノゴトが入ってきて
中で混和され、さらに新たなモノゴトを作り出せるだろう。

閉じてしまった環境での継承というのは、また別の問題もある。
年齢や世代の上下関係による文化としては、
学校でも特に部活内などで「理不尽な先輩」なんてのがいたし、
もっと前の軍隊などではビンタの伝統もあったりした。

それらは誰が作ったというのでもなく、
自然発生的に作られ継承されていったもののようである。
そして今の世の中には、それがほとんど失われている。
その内容の良し悪しはともかくとして。

いずれにせよ、かつて、あまり年齢差のない近似世代を
狭い枠の中に詰め込んだような状態だった学校という環境は、
今、大きく変わってしまったと認めざるを得ない。
こんな環境の変化が、今後どのような影響を日本社会にもたらすのだろうか。

「“国家百年の計、企業十年の計”などということばもあるが、
経営における人材育成、人事計画の失敗は10年後に必ずはね返ってくる」
(柳田邦男「続マッハの恐怖」新潮文庫)
……というコトは、100年後の視点で考えた方が良いのかな?

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