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2008/04/04

組織的な壁

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特定の部署で、その受け持つ狭い範囲の役割だけを考えて、
期待される機能が合わないから「できない」と言うのは簡単だ。
ヒトじゃなく計算機だって、そのくらいの判断は可能だろう。
このとき、「その部署の本業ではないからできない」てな理由もあるが、
「他の部署にも関係する業務だからできない」なんてのもあったりする。
細かく縦割りされた組織の中では、そういう業務ばかりであろうに。

巨大組織だと、そんな狭い範囲の役割の「できない」を積み重ねた上で、
時間をかけた挙句に「総合的に判断して、できない」とか言ったりする。
全部網羅しているようでいて何も対応できない上に、
期待させて時間を掛けたりしているのだから始末が悪い。
そんなコトを言う組織なら存在するだけカネの無駄だ、
と国民に思われたとしても何も文句は言えまい。

やれやれ。

ある環境に適応するというコトは、何かを放棄するコトでもある。
特に、他の環境にも適応できるかもしれない能力とかを。
リストラの進んだ民間企業は、そんな感じになってるんじゃないかな。
かつては、無駄な労働力と思われる人々も少なくなかったんだけど、
彼らは変わりゆく社会環境に適応していくコトに役立ったりもしたと思う。
厳しい経済環境の中に適応していくため、そういうのは捨てられたけど。

日本の政府や自治体も、高度に発達してしまったせいか、
非常に細かな縦割り組織が、それぞれの業務に専念する
というカタチで「根本的には大きく変わらず成長を続けていく日本」
に適応し、柔軟性というモノがすっかり失われたワケである。
でも、事前に緻密なプランを立てておけば、あとはそれに従うだけでいい
……なんてコトは、基本的に世の中にはないと思う。

目論見から外れた想定を様々に広げておくべきなのはもちろん、
その想定が外れた際に見直しをかける基準を決めておくべきだろうし
それに従って常に状況判断と短中長期それぞれの予測を立てて、
決して楽観するコトなく、アタマを使って進めていかねばならない。
そして、当初の目的・目論見を達成できない可能性がでてきたときに
どこで諦めるかという基準も、常に意識しておくべきなワケで。

で、そろそろ多くの日本人が切り替わりを意識しつつある段階なのだな。

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