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2008/05/06

半生紀(18) 愚痴を聞くという生き方もある

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「愚痴を言いやすい相手」と、よく言われる。
「愚痴に対して否定したりしない。
『だって』『でも』などという言葉で遮ったりしない。
愚痴に対して、ただ共感してくれる」とも言われた。

まあ否定したって、愚痴そのものが消えてなくなる
ワケでもないのだから、それが当然かと思っている
のだけれども、世の中の多くの人においてはそれも
当然とは言えないコトであるらしいのだ。

それに、相手が愚痴を吐き出して気楽になっていって、
次第に笑顔になったり笑い声を立てたりする様子を見るのが好きだから
むしろ喜んで聞いてしまったりするのではある。

しかし一方で、「じゃあ、貴方の愚痴の捌け口はどうするの?」
と聞かれるコトも少なくない。

もともと、あんまり愚痴が外に出るタチではない。
相手が愚痴を吐き出し、それにまつわるストレスが解消されていく
様子を見ていれば、同時にこちらも癒されるものだから、
そのサイクルがうまく回っていれば吐き出す必要がない。

とはいえ、まあたまには愚痴を言いたいときもある。
一応、愚痴を聞いてくれる友人はいる。
ただし、ちょっと方向性が違ったりする。
愚痴を聞いて、その返答で考えさせてくれる相手だ。

しかし基本的には、あんまり特定の誰かに語ったりしない。
それをどうするか。
たとえば、こうしてブログのネタにさせてもらったりしている。
その際に、いろいろと考えて書いている。

常に解決策が出せるというワケでもないが、
まあまあ気楽に、希望を持てたりする方向に、
あるいは逆に期待しないでいる方が無難だという方向に。
そういう考え方が、少しは何かの役に立てるなら、それでも良い。

自分の中に、愚痴を処理する部分があるので、
それを他人の愚痴に対しても使っているというコトなのかもな。
まあ自分自身のソレは自分向けに使えないケースもあるから、
そういうときには他人のヤツを頼ったりすると考えれば良いか。

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