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2008.09.05

自称逸般塵の不通の日記(25) 現代社会における「家庭的」についての仮定的考察

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ある日、丼飯屋でケータイを弄り続ける若い男を見掛けた。
ずいぶん長い時間、ケータイに熱中している様子。
昼下がりの時間帯なのでカウンターも混雑していない。
たしかに店内は涼しいし、邪魔も入らないだろう。

そういう意味では、落ち着ける場所と言えなくもない。
なにしろ、そこにいれば誰にも「構われない」のだから。
っていうか、それこそ「お構いなく」なのではないか。
ひょっとしたら、自宅でもまた同様なのかもしれない。

考えてみれば、その仮説を補強する材料には事欠かないのだ。
あの若い男がそうであるかどうかは別として、一般論で。

ヒトにとって、構われない方が気楽であるコトについては、
いつの時代も大きな違いはあるまいけれども、
しかしやはり現代は他人を構わない時代であればこそ、
他から構われる機会も減るし、それが好まれるのだと思う。

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