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2008年9月

2008.09.30

肥大化傾向に関する一考察

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“拡大・強化・発展”的傾向はヒトの世の中に多く見られる。
たとえば最近の米軍の戦闘攻撃機など、かなり顕著な例だろう。
世代が進むとエンジン出力が強化され搭載可能な重量も増え、
機内容積を確保すべく肥大化していった機種が少なくない。

航空機も船舶も長い歴史を通じてみれば大型化が進んできた。
道路の制約がある自動車だっても最近は大型車が多いと思う。
ケータイを例に挙げるまでもなく電子機器は常に多機能化が
進んでるし、OSなんぞも古いハードウェアを脱皮したがる。

ときたま例外的に単純化した製品が出てきたりするけれども、
ヒトの作ったモノは、どんどん肥大化するのが一般的傾向だ。
それが人間の持つ性質と密接に絡んでるのはいうまでもない。
常に、以前よりも“拡大・強化・発展”を求め続ける欲望と。

でも、ヒトが把握できる範囲ってのは、ヒトがヒトである限り
どれだけ時代が進んでも大きく変わるコトなどないものである。
累代のヒトが欲望を積み上げて育ててきた“モノ”や“仕組”
というヤツが、いよいよヒトの手に負えぬ存在になっていないか。

なにしろヒトは自らの心身でさえ持て余し気味だというのに。

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2008.09.29

半生紀(20) “拡大・強化・発展”的なのが最近の傾向らしき件

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最近気付いたコトといえば、身体が厚みを増しているコト。
齢を重ねるにつれ腹部の内臓脂肪や皮下脂肪が徐々に増えてきたのは、
半ば致し方ないコトと思うが、胸部の筋肉まで増えてるのが不思議だ。
日頃、どうも筋肉の厚みを否応なしに認識させられている機会が多い。

たとえば歩くときなど、腕を少しばかり開いていなければならない。
脇の筋肉が窮屈に感じられて、ピッタリと閉じていられないのだ。
また、サスペンダーを頻繁に着用するようになって10数年間になるが、
そういえば当初は肩紐のずり落ちが気になっていたのを思い出した。

もちろん、特にスポーツやトレーニングをしているワケではない。
そういうのは昔から苦手だったし、今後もおそらくやらない。
そもそも勉強だって苦手だった。宿題も可能な限りやらず終い。
だから一貫してるといえば一貫してるワケだな。感覚の上では。

それはともかく、この筋肉量の増加は、単に日常生活の変化で
必要な筋肉が自然に鍛えられた結果だとしか思えないのである。
思い当たる節はある。昔から大量の荷物を持ち歩く性質なのだが、
それを入れる鞄や持ち方の変化が、少なくとも原因のひとつだろう。

大学生の頃、日常的な鞄としては背嚢を使うのが基本だった。
収容力が大きく、身体への負担が軽く両手を自由にできて便利だった。
社会人になったばかりの頃には、肩掛鞄を使うコトが多かった。
背広の型崩れをあまり気にする必要のない若手会社員ならでは、だろう。

だがその後、会社員でなくなったあたりから、変わってきた。
姿勢良く歩くためもあって、鞄は基本的に手提げとするコトとした。
当然、その持ち方では上半身、特に胸-肩-腕の筋肉への負荷が高まる。
結果的に筋肉が鍛えられ、そして気付けば背広の肩がキツくなった。

さらに、ここ2~3年は、手に提げた鞄の取り回しが面倒なものだから、
肩越しに背負うような持ち歩き方が常となり、肩や胸の強化が進んだ。
「脇がキツい」という感覚は、たしかに最近になってからのもの。
それこそ、今年に入ったあたりから顕著になってきた気がする。

無沙汰な手は半ば無意識的に腰の辺りのベルトやポケットに置かれる。
漫画で描かれる「いかにも筋肉質の男」のような仕種に我ながら苦笑。
筋肉がつくコト自体は、そう悪いコトじゃないと思うだけれども、
昔からずっと軽量級の身体に慣れていたもんだから違和感を覚える。

なにせ以前は狭い隙間にも容易に入り込める身体だったのが、今では
普通のヒトの如くに身体寸法を推し量って行動せねばならないのだ。
しかし周囲の人たちも軽量級とは思ってないらしいから、まあいい。
ファンタジー世界の住民になぞらえて、古くからの友人はこう評す。

「昔ホビット、今ドワーフ」

そうか。
背が低いコトは一貫してるのだった。

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2008.09.28

自称逸般塵の不通の日記(36) 一瞬の幻影、軽んずべきや否や

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ある夕方、丸の内での定例会議に出席するため
中央線に乗っていたときのこと。
こんなイメージが脳裏に浮かんだ。

万世橋駅跡を通るあたりで見える秋葉原のビル群が
突如大きく揺れてヒビ割れて傾いてぶつかり合って
倒れて崩れて灰色の瓦礫になっていく――

破壊妄想も、ないとはいわないけれど、
こんな妙なタイミングで出てくるなんて
思っていなかったもんだから驚いた。

おそらく疲労や睡眠不足やストレスなどが蓄積し、
たまたま無意識下の何かのスイッチが眼前に見えた
景色へと接続して、脳裏に描き出されたのだろう。

しかしまあどうせいずれいつかきっとかならず、
今そこにある建造物も消えてなくなるものだし、
その存在を記憶するヒトも消え去るのではある。

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2008.09.27

自称逸般塵の不通の日記(35) 高感度地震観測個体

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ある朝、不意と目が覚めた。
しかも単に覚醒しただけではない。
半自動的に身体を起こしていた。

理由を考え始める暇もなく、
木造二階建ての安アパートが軋み、
数秒の鋭い揺れがあって、止んだ。

寝ぼけていた頭には、近所で
土木工事が行われていて、重機が
激しく地面を揺らしたかに思えた。

時計は7時を少し回ったトコロ。
徹夜作業に疲れて夜明け頃に仮眠
したのが、6時前くらいだったはず。

1時間少々で目覚めるつもりなど
なかったから、揺れが収まったのを
確認したところで、再び横になる。

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昼頃、ようやく起き出して
用事があって出掛ける途中、
ケータイのニュースを見てたら
「関東地方で震度3」とあり、
午前7時過ぎだったとかいう。

そこでようやく改めて
「地震だったんだ」などと思いつつ、
初期微動を捉えて起床しようとしていた
動物的本能の為せる技に気付いて、
今更ながら驚き呆れたりしていた。

こんなふうにして世の中の変化をも
素早く捉えて反応できればいいのに。

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2008.09.26

理系用語で読み解く社会(30) コヒーレントなヒトが礎石となった国家

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組織に対する帰属意識が高いと、
ときに沈みかけた船を立て直したりすることもある。
逆にそれがないと、人々は沈みかけた船を見捨てて
我先にと逃げ出していってしまうことだろう。

高い報酬も、あればあるに越したことはないが、
企業ではずいぶん前から人件費を削っていて、
自治体や官公庁も同様の措置を迫られている。
今の時代、少なくとも報酬という点においては
強い帰属意識を職員に求めることが難しい。

組織はどのようにすれば職員の帰属意識を高められるのか。
その課題を考える前に、少し違った観点で見てみたい。

組織が構成員の高い帰属意識に支えられた状態は、
しかし長続きしないような気がしてならぬ。
何といっても人材の育成が難しい。
その組織に対する評価が高まるにつれて、
入ったあとの活躍を目的とするのでなく、
その組織に入ること自体が目的となってしまう。

言うまでもなく、
入るだけが目的だったような人材ばかりになれば
帰属意識もネガティブな特権意識となってしまい、
組織は全体として内向的になり衰退へ向かう。

それを社会全体でやっていたのが、
たとえば戦後の日本社会ではないだろうか。
すなわち組織の人材獲得手法が
教育全般に大きな影響をもたらし、
それが各組織にフィードバックされるような……。

世界の一部分には、それぞれ固有の時間の流れがある。
空気というのは、その時間の流れのコトでもある。
だが、ときに社会の各階層の時間の流れが揃うと、
特に個々人の成長と社会全体の変化とが同期したとき、
興味深い現象が発生するのではないかと考えた次第。

ここ100年ちょい、日本の社会というのは、
たまたま位相が揃っている時代が多かったようだ。
たとえば維新後の近代化。
たとえば関東大震災後の復興。
たとえば敗戦後の高度経済成長。
おかげで世代ごとの性格付けも容易だったりする。

もちろん他の国も似たようなトコロはあると思うが、
特に近代日本の場合は、
組織への帰属意識の高まりであったり、
世代ごとの時代への適応の強さであったり、
いろいろな面で時代と世代とが
強く共鳴をしていたのではないだろうか。
そしてコヒーレントな光は強烈な影響を世界に及ぼした。

これこそミステリアスなまでの力を持った
国だった所以ではないか。

しかし、さすがに最近はノイズ成分が増えてきた。
いよいよ音程が狂い始めたような印象だ。
これは経済環境の変化などの影響なのか。

巨視的には均一な素材だった基質が不均質になり、
これまでは完全に溶け込んでいたものが
徐々に分離して凝固したり析出したりして、
教育という触媒を経た反応生成物の段階では
大きく異なる物質が混在するようになったりする。

あるいは社会全体を固体だとすれば、
不純物が析出しやすい結晶粒界に
いつしか大きなバンドギャップが生じてしまい、
抵抗値が急激に増大したようなものだろう。
終いには粒界に出てきた不純物が増えすぎて
結晶どうしの接合さえも覚束なくなり、
いつしか固体は一つの固体でなくなりそうなほど。

そして今や、出力される光も、
位相どころか波長さえバラバラになってしまった。

今後の日本において、波長や位相を揃えるほどの
大きな影響を及ぼす事件は、簡単には起きないだろう。
そもそもそれは揃わぬ部分を切り捨てるコトでもあって
ヒト社会においては常に大きな悲劇も伴うものであるから、
避けることが可能ならばそれに越したことはない。

とはいえホワイトノイズになってしまっては
無駄が多すぎて多くのデメリットが考えられる。
分散した波長を、位相を、再び揃えるには
果たしてどのような方法が考えられるだろうか。
それも、できれば可能な限りソフトな方法で。

そのあたりが今後の時代の日本列島に棲息する
ヒトビトの大きな課題になるかもしれんよ。

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2008.09.25

たまには時事ネタ(30) 排水の陣

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古来よりマツリゴトの重要課題の一つであった水になぞらえて描いてみれば、
水は高きより低きに流れるものでしかないので、その原則に沿った仕掛けを
作り上げて無理なく無駄なく利用されるよう仕向けるのが上手の政治となる。

水源から、どのような経路で導けば安全で効率的で低コストな手段となるか。
低湿地から水を抜く排水路はどのように穿っていけば効果的で持続的なのか。
その基本的な青写真を改めて描き直すべき時期だと、多くが思っているはず。

大切なコトは、経年劣化が目立つ統治機構をどう修正するか。
ボンボンでも一兵卒でも構わぬ。鼠を捕ってくれさえすれば。
相手をこき下ろす能力などを誇示されても、むしろ困るのさ。

しかしそれにしても政治家よ、頼むから世に求められている如く働いてくれ。
雨降れど地固まらず水溜まりだらけになるような土地ではヒトの棲息に不適。
そんな永田町の水捌けを良くするのが、まず先決ってコトかもしれんけどね。

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2008.09.24

所持品紹介(16) 傘がないワケじゃないけれど、めんどくさいのよね。出すのが。

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雨が嫌いじゃないとはいっても、
あんまり濡れてしまっては困るから
仕事の道具を持ち歩くときなどは
ほぼ確実に傘を鞄に忍ばせている。

けど、あんまり出して使ったコトはないんだよな。
出る前から降っているなら頑丈な傘を持って出るし、
そうでなければ降らず仕舞いになるコトも多いし、
小雨がパラつく程度なら出さずに歩いてしまう。

晴れ男ではないが、雨男でもないってトコロか。

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2008.09.23

自称逸般塵の不通の日記(34) 降られるさ雨々

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雨は嫌いじゃない。むしろ好きな方かもしれない。
おかげで晴れ男ではないような気がしている。
まあ、それはともかく。

自宅で缶詰になったりしているときに、
外で雨が降ったりしているという状況も、悪くない。
まあ、それはそれで。

ひょっとしたら、雨音が近所の音を掻き消したり、
あるいは雨滴が音を吸収してくれたりするはずなので、
静けさを感じているのかもしれない。

台風にワクワクする心理にも、似てるかもしれない。
外は生存に危険な状況となっているのだけど、
本人は安全な場所にいるという本能的な安堵感。

しかし自宅にいるのは一人だけなので、
単に個体生存が安堵されたに過ぎないのではあるが、
まあ、そんなもんさ。

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2008.09.22

自称逸般塵の不通の日記(33) 裏目ん

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最近どうも裏目に出るコトが多くてね、
それはそれで意外性があって興味深い。
けどね、もうちょっと想定した通りに
動いてくれてもいいと思うのだけどな。
特にパソコン関連とか。あと仕事とか。

--

一晩、早寝遅起きをしてやったりすると、
これが案外、気楽になれるものだったり
するのだけれど、そもそも早寝するコト
自体が、こういうときには難しいのよね。

だから基本的に“期待しない”ようにして、
その裏目に出るコトを、密かに期待してる。

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2008.09.21

自称逸般塵の不通の日記(32) 重てぇ面

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ここしばらく仕事が滞りがちで自宅缶詰生活が続いてる。
PCの不調などが尾を引いており、その影響を受けて
仕事への気持ちが前向きになってないような感じだ。
だから、ちょっと鬱っぽくなってるような気もする。

でも残念ながら甘えられる相手などいるはずもないし、
落ち込んでいても仕事が片付くワケでもないので、
地道に淡々と目の前の課題を潰していきながら、
地味に気力回復を図っているというのが現状。

どこぞの短命首相を嘲笑うコトなどできやしないね。
引き受けた仕事を誰かに押しつけたりできないから
仕方なく逃げ出さずにいる、というだけに過ぎないので。
まあしかし、なんとかしようと思えば、なんとかなるだろうさ。

それは、半ば諦めに近い感覚もあるのだけれど、
幸か不幸か母親譲りの楽天家なもんだから、
“死ぬまで生きてりゃええじゃないか”
てな具合に考えて、やっているトコロもある。

周囲に迷惑をかけているコトは間違いないけれど、
迷惑かけずにやってくコトは、きっと難しい。
それを許容してもらっているコトに感謝しなければ。
いずれ何かで埋め合わせをするぞと思いつつ。

そんな感じでやってると、「重たい」と言われたりもする。

けどね、そんなに重たいワケじゃないんだよ。
そりゃあたしかに重たい話題は多いんだけど、
なにしろこの身がもともととっても軽いから、
何を以てしても重くなるコトなんてないのさ。

それこそ中身なんて、そんな詰まってないもんだからして。

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2008.09.20

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(4) 他山の石見て我がフリ直せるか

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ところで自分自身を客観的に見ることは、
必ずしも不可能なコトではないけれど、
観察対象=観察主体が持つ方向性そのものについては
適切な比較対象がないので見落としがちであるし、
また、人によっては、あるいは心理状態によっては、
「悪い部分だけ」とか「良い部分だけ」とか、
かなりのバイアスが掛かった観察になるものなので、
あまりお勧めできる方法ではないと思う。
まあしかし、「見られる」というくらいだから、
少なくとも見えているのだろう、彼の中の姿は。

……とか、そんな具合に外に立って観察してみると、
観察主体が観察対象より大きい(偉い)ような気がして
しまったりして、何を目にしても先づ見下したりする
ような、あまり宜しくない癖がついて仕舞いかねない
のではないかと思えるようになったので、控えよう。

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2008.09.19

自称逸般塵の不通の日記(31) in-vitroな観察

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多様化が進む人々の生活、そして専門化する社会。
どうしたって最近は見通しが悪くなる一方である。
社会構成が均質でなくなってくると、観察すべく
光を当てても明瞭な像を結ぶコトはなくなるのだ。

いよいよ断熱膨張により生じた霧が、視界を遮る。
あるいは、不純物が増えすぎて飽和してしまい、
溶液中に突如、無数の結晶が析出し始めたような。
いずれにせよ変化は、見た目の上では急激である。

世の中が変わってしまったコトに困惑したり不満を抱くのであれば、
自らが困惑せず不満を抱かぬような世の中に変えるという手はある。

けれども他の誰かがきっと困惑したり不満を抱いてまた別のカタチ
へと世の中を変えていこうとするだろうから長くは続かぬだろうね。

それより今は、今後もひたすら変化を眺め続けていたい、と考える。
無数のヒトによるブラウン運動は、きっと見てて飽きることがない。

世の、中にいてそれを観察するというのは、観察主体自体の状態に
依存するトコロも大きいので困難ではあるが、まあ今後も続けたい。

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2008.09.18

たまには時事ネタ(29) 隣の客を観て何する人ぞと思ふ秋

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角界というか各界における人格教育の必要性が云々されているけれど、
実は日本という人材プールにおける均質性の破れこそ気になるトコロ。

それは、かつてその大きな特徴であったはずなのだが、今はもうない。
不文律で信用できた相手が、もはや信用できない状態にあるのである。

これだけ多様化してしまえば、貧富の差が拡大するのも当然の帰結か。

立場が異なる者どうし互いの立場を承知した上で対話するなんてのも、
これから一層、多様化が進むにつれて難しくなってくることであろう。

まあしかし、村社会的レベルの些細な不文律でさえ億余人で共有する、
なんていう社会構造なども、ある意味で特異な状態でもあったと思う。

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2008.09.17

自称逸般塵の不通の日記(30) 非対照的外道耳の考察

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バスの中、斜め後方の席から音漏れインナイヤホン特有の
シャリシャリ音が耳についたので振り向いて見てやったら、
メタボリ的な腹の下からダラリと伸びた足が目についた。
そのヌシは鳥の巣アタマというか獅子髪くずれとでもいうか、
まあ団塊ちょい下くらいの年格好のオッサンだった。
耳に付けていたのは案の定、灰色のワンポイントのついた白いヤツ。

あの某林檎屋の音楽プレーヤーに付属している白いヘッドホン
というヤツは、それを着けてジョギングするとか、散歩するとか、
そいう用途を想定したものであって、まさか通勤電車やバスの
混雑した車内で大音量で聴くために作ったワケではあるまい。

でも、付属品として本体と一緒に販売されている時点で
そこの文脈が失われてしまうのであるからして、
「どこでもそれを使え」という暗黙の指示となってしまう。
だから、いささか乱暴な言い方をするならば、
「そんなモノを無神経に日本で販売するのが間違いだ」
なんて言い方をしてしまうコトもできるだろう。

それはともかく、最近は白いインナイヤホンが流行ってる様子。
専門メーカーのイヤープラグ式のものが安く売られていたので
買ってみたところ、これは遮音性が高くて気に入った。
装着者にとって遮音性が高いなら、音漏れも小さく済む道理。

それゆえか、最近はプラグ式を使う人も見掛けるようになった。
廉価な商品も増えて、手軽に買えるようになってきている。
ただし色の選択肢としては流行のポップなものが多いらしく、
いかにもな中年男には、いささか似合わない気もするのだけども。

ちなみに今回買ったヤツには寸法違いで2種類のイヤープラグが
付属していて、適合する方を使うようになっている。
いろいろ試してみたら、大小それぞれを片方ずつ使うのが
どうも良いらしいと分かる。非対称になっているのは、
一方の外耳道に出来物があったのを手術で摘出したせいだろう。

プラグの素材は低反発の発泡樹脂で、耐久性は低そうだ。
しかし、大小それぞれのプラグが使われないまま余るので、
交換用の予備ができたことになる。
左右アンバランスでも、たまには得するコトがあるらしい。

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2008.09.16

サーバのキモチ? 426 Upgrade Required

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新たな社会サービスに適合させるためには、
あなたをアップグレードする必要があります。

現在のバージョンは1.414、必要なバージョンは2.0です。
新たなアップグレードを適用しますか?

なお、アップグレードを適用すると、
予期せぬ新たな問題が発生する可能性もあります。

添付のドキュメント(1023kbytes)をよく読んで理解し、
自己責任の下でアップグレードを実行してください。

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2008.09.15

自称逸般塵の不通の日記(29) 新たなExperienceと得られた知見

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新しい経験というのは、詰まるトコロ以前とは違ったコトをするというワケで、
要するに以前できたコトができなくなっていても構わない、
という意味なのだと思うようになった。
ていうか、そんなふうに思わせる新たな経験を、つい最近したというだけなのだが。

以下、その経緯やら感想やらを、駄文にて
ダラダラと解説してるので読み飛ばしを推奨。

--
8月は不調になったデスクトップPCの復旧作業に多くの時間を費やした。
その兆候は春先くらいからあったのだけど、なかなか着手できず騙し騙し
使っていたトコロ、いよいよ深刻な事態に陥ったという経緯だので、
まあ要するに自業自得ではある。

たまたま同型機を余らせていたU君に助けられ、幸いにも暫定復旧は迅速にできた。
その後、データ復旧を試みると同時に、複数の作業環境を用意しておこうと、
月末になって最新のモバイルPCを調達し、環境構築に悪戦苦闘しつつ
また併用する運用形態についても試行錯誤しつつ検討を進めてきた。

しかしそれにしてもPCのセットアップ作業は面倒なものである。
昔から、ずいぶんと手間をかけ時間をかけ、苦労してきたものだ。
今回のモバイルもGPUやHDDなどがプアなので苦戦は予想していた。
しかし最も苦戦したのは、新バージョンのOSやオフィススイートであった。

新たなExperienceを提供するという触れ込みで売り出されたものの
多くの批判が寄せられているコトは承知の上だ。今までずっと
旧バージョンを使っていたので、そろそろ新しいExperienceを得てみるのも
悪くなかろうと判断したのだが、まあやはり使いにくいものではあった。

結論から先に言うと、従来バージョンと同じモノのように思わせつつ、
実は全然同じコトができないように作られているので、非常にもどかしい。
それこそが嫌われている原因なのだろう。
特にオフィススイートは、相当なクセモノだ。

OSに関しては、かなり従来バージョンに近い雰囲気にできるのだが、
こちらは従来のような操作感が得られない仕様であるらしい。
そのコトについて、「10年来のユーザーを初心者にしてしまう」
との表現で批判している人がいた。全く同感である。

一応、従来通りのメニューを出すためのアドインがあるらしい。
調べてみたらサードパーティ製で有料というのがあった。
金を払うのは面倒だし便乗商法のようで好きになれない。
なので操作については新しいバージョンのものに慣れるコトに決めた。

それよりも問題なのは、この「リボン」てヤツが妙に邪魔だという点。
モバイルPCの画面は狭い。特に最近はワイド画面が流行してしまったため
どうしても上下が狭く、縦長のドキュメントには非常に使いづらい。
その狭い枠の中で、ひときわ大きなリボンが貴重な作業領域を奪っていく。

なんとも迷惑である。作ってる連中はモバイルを知らないのかと思うくらいに。
まあしかし、できるだけ使わないようにしてしまえば、気にする必要もないのだ。
どうせオフィススイートなど、基本的には貰ったデータを閲覧・編集するために
必要なのであって、最初から自分で作るドキュメントなど僅かなものだから。

一人の中で完結できる思考サイクルに関しならば
じっくりと長い時間をかけて改善策に取り組む気にもなるが、
この件に関しては、そうもいかないし、そもそも利用頻度も低い。
だから思考エネルギー消費を低減した方がマシ。

不満点を挙げれば、たしかにキリがないくらい出てくる。
このOSやオフィススイートを作ってる連中の言い分としては
「新しいExperience」を提供するのが目的なのだから、
そもそも過去の経験などに立脚する必要がないというコトか。

ちなみに、Experienceの本義は「試みて得た知識」だそうな。
この試みから、ユーザーはどのような知識を得ただろうか。
「新しいバージョンは使えない」という知識だったりするんじゃないか。
一方、作ってる連中は、何を得たのか。

かつて、オフィススイートが乱立していた時代には、他社ユーザーを
取り込むために必死になって互換メニューを作ってたものだった。
ほぼ1社が勝ち残ったゆえに競争がなくなり、過去の自社製品さえ
取り込む対象にはならなくなったというコトなのかもしれない。

むしろ今では。競合は無料or低価格スイートという現状。
「安かろう悪かろう」との勝負だから、やりにくいとは思う。
そんな難しい舵取りが強いられる状況だからこそ、
「10年来のユーザー」も重要顧客として捉えるべきではないかなあ。

どこかの掲示板で、「参政権」ならぬ「賛成権」という言葉を見掛けた。
ベンダーが提供した製品を使わねばならないのはユーザーだ。
反対する権利はなく、賛成しかねるなら他を使うまでのことだろう。
しかし、ほぼ独占である以上、過去の自社製品が競合と考えるべきでは?

それでもまだ、PCに入れて使うソフトなら、旧バージョンのユーザーは
そのまま使い続ける自由があるので、マシな方だと言わざるを得ない。
Web上のアプリケーションでは、その自由さえ与えられないのだから。
新しい製品を使うコトを強制され、しかも基本的に全世界への公開だ。

特に某g社などは、その規模ゆえ大きな弊害が出ているように思う。
あまりに影響範囲が大きくなりすぎたか、新機能に対する苦言も目立つ。
ユーザー規模拡大で、異なる価値観の人がより多くなるものだから、
相対的に批判の声も増えてきているというワケだろう。

「便利and/or楽しさの押し売り」と受け取る人も増えた可能性がある。
それが便利and/or楽しいか否かはgの中の人の価値観でしかないのだ。
だが中の人の数など全世界からみれば無視できるほどに少ないし、
その視点についても、特定のスタンスに大きく偏っているのである。

だいたいにしてヒトというのは須く、不満に対して活動するもので、
まずは現状に不満を持つ人が世の中を変えようとし、
それに対し変化に不満を持つ人が戻そうとする、というようなものだ。
当然、「もっと便利に」というのも、現状への不満の一種と言えるだろう。

現状の、あるいは現状未満の便利さで妥協できるようでなければ
いつかヒトは不満を募らせて現状に対して働きかけを行って
そして他のヒトのうち誰かの満足感を損ねて不満を募らせ
また別の方向から新たな現状への働きかけを促すというワケだ。

いやもうホント、キリがないね。

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2008.09.14

出張旅行記裏話 アウトサイド人の身分不証明

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最近、旅行や出張に関連したサービスの利便性向上が著しい。
それこそ、出張に出るたびに新しいサービスを目にしている
のではないかと思うくらい、急激に発展している。

たとえば航空券のオンライン購入手続きなどは、マイレージカードに
加えてクレジットカードを持っていれば非常に簡単に済んでしまう。
電子マネー搭載携帯電話でも、クレジットカードとの連携によって
その場で特急券やグリーン券を購入できたりする。

こういったサービスが登場するたびに、
クレジットカードを持っていないことを残念に思う。
自営業だからというよりは過去の失敗によるものなので、
言わば自業自得だったりはするのだけれども。

しかし、例えば某レンタカー会社の規定では、運転免許証の
他に身分を証明するモノを求めるようになったらしく、
提携クレジットカードを持っていない場合には、住民票だの
パスポートだの、他の身分証明手段が必要だとされた。

これは、持っている者が便利になるというより、
持たざる者はむしろ不便を被るというワケである。
かつて2㌧トラックを人殺しに使った男がいたので、
そのような犯行への牽制策なのだと推測される。

クレジットカードを持たない(持てない)人というのは
社会のメインストリームに属していない人にも重なる。
ゆえに大勢には影響ない、という考えもあるのだろう。
影響が及ぶのは一部の“例外”に過ぎないのだと――。

だが、いったん非主流派になってしまえば元に戻るコトは難しい。
だいたいそれぞれ固有の事情があったりするものであり、
その個々の事情を完全に排除しなければ「普通」になれない。

逆に言えば、枠に収まる者でなければ身分保障しづらいってコトか。
社会の全体最適化が急ピッチで進められていく今の時代において、
まず型に填る者たちが優先されるのは致し方ないコトなのかもしれない。

とはいえ、埒外に身を置くようになって久しい者として思うのだが、
持ってない場合の利便性が低下するコトがあるという可能性を
過去に見通していなかった点について反省すべきなのだろうか。

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2008.09.13

出張旅行記余話 果菜列島つまみ食い

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天気図を見ていたら、日本列島に沿って長く伸びた前線が
まるでユーラシア大陸東岸の縁取りのように思えた。

それにしても細長い列島である。
それゆえに狭いながらも楽しめる。

出張では稚内から石垣島、だからほぼ列島の北端や南西端まで
巡るコトができ、緯度の隔たりを肌で実感した。

気候の違い、地質の違い、植生の違い、
これで同じ日本の国内だと考えると興深い。

農産品や魚介類、およびそれらの加工品など特産品も多彩だ。
だから土産は、だいたいそういうのを中心に選んでいる。

また、御当地マーブルチョコなどは手軽な土産で、たまに買う。
おそらく7~8種類あって飽きないけど、柑橘系が多い気もする。

出張は今の仕事を続けている限り、まだまだ機会があるから、
“現地にクチを運んで”食ったり、土産を買ったりしたい。

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2008.09.12

出張旅行記(21.5) 今、バリバリ造ってます、船とか

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翌朝、うっかり二度寝してチェックアウト時間ギリギリに
ロビーへ出てきたら、他の2人が午前中のプランを立てていた。
「しまなみ海道」の自転車道を走ってみようという。

橋の袂にある施設で自転車を借りて走り出してすぐに、
発案した同行者の一人は後悔していた。厳しい残暑の最中、
しかも今日の空は見事に晴れ渡っていて陽射しも眩しい。

自転車道はループを描いて端に接続している。
橋桁は見上げる高さ。高低差は相当なものだ。
久し振りに乗った自転車では、ちと足が疲れる。

しかし代わりに視点の高さが抜群の眺望ももたらす。
まさにこれこそが、運動エネルギーと引き替えに
得られた位置エネルギーというヤツだ(違う)。

上がっていく途中では造船所が見下ろせる。
数年前に今治を訪れたときには厳しかった業界だが、
最近は需要が戻ってきて活況を呈している様子。

船台の上では撒積船の形がおおよそ出来上がっている。
小さな入江を挟んで対岸には進水を済ませた船が係留され
そちらは間もなく艤装も終わろうとしている様子だ。

たしかに、ひっきりなしに船を造っているようである。
クレーンの塗色なども、前に通りがかった際に目にしたより
鮮明に見える気がするのは、単なる気のせいかどうか。

続いてループをさらに半周すると、同じく鋼鉄でできた
構造物である橋梁に差し掛かり、すぐ海の上に出る。
波静かな海面は遠く数十メートルほども下に見える。

この最初の橋、来島大橋はルート中の最高地点でもあるとか。
そこまで一気に上がってきたもんだから息も上がったし
体温も上がった。しかし橋の上に日陰はほとんどない。

橋脚の立ち上がっているトコロに、わずかな日陰がある。
各自バラバラに写真を撮ったりしつつ走っているので
先に進んでしまった者は、そこで休んだりする。

ふと見れば橋桁の隙間から下の海面まで見える。
石ころでも落とせば、そこまで落ちていくはず。
高所恐怖症なら立ちすくんでしまいそうだ。

大橋は3連になっていて、それぞれの橋の間に島がある。
最初の馬島には、エレベータが設けられていた。
自動車では、島民か公用車などに限られているという。

見下ろしてみれば、小さな入江に小さな砂浜があり、
鮮やかなエメラルドグリーンの海から小さな波が寄せている。
浜辺の砂は周囲の岩と同じく色が薄く、ほとんど白い。

次の島には降りる場所が設けられておらず、
その先の大島へと橋は続いていく。
ここでようやく、あの白い砂浜に降りるコトができた。

上から眺めて想定していたより、粗い砂。
だが浜にはゴミもなく、人もほとんどおらず、
ただ静かに、些細波だけが打ち寄せていた。

これを見るだけでも、大量の汗をかいて
炎天下に自転車を漕いできた価値はあったな。
ただし帰りもまた多大な運動エネルギーを消費したのだけど。

今回のルートは、かなりの暴挙であったとは思う。
かつて盛夏の八郎潟を歩いてしまった件にも匹敵する。
少なくとも、仕事の前に一汗、という程度ではなかったね。

ただ、大島の浜で拾った小石が一つ、土産になった。

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2008.09.11

出張旅行記(21) 待つやま、て……

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大阪出張の翌週、今治へ飛んだ。
当初は出張先として「松なんとか」と適当に言われていたが
「松山」だと説明され、さらに今治に訂正された。

個人的には愛媛県は3度目。その中で今治は2度目だったりする。
ただし今度は1人ではなく、同行者含め3人組である。
そして「せっかくなので」、自腹で前泊するコトにした。

出発時刻を間違えて羽田には2時間早く到着してしまう。
モバイル端末で仕事も可能だが人が多くて落ち着かない。
たまには展望台に出てボンヤリして過ごすコトにした。

滑走路では文字通り、ひきもきらず旅客機が離着陸している。
1機を見送ったと思えば、すぐ次の機体が走っていく。
それこそ最低限の間隔を開けて連続しているようだ。

この頻度なら周囲の親子連れも飽きるコトはないだろう。
もちろん、時間を余らせてしまった中年の「お一人様」も、
離陸の瞬間を撮影しようと試みたりして、暇を潰せる。

しかし、ようやく全員が出発ロビーに集合したところで、
呪うとする便の遅延情報に出くわした。
さらにまた暇を持て余すが、急ぐ旅ではないので問題ない。

予定より1時間ほど遅れて到着した松山空港からは
タクシーで直接、今治まで乗り付けるコトにした。
機材が多く乗り換える手間を省きたいというのが理由。

昼間は瀬戸内の景色が楽しめると運転手は言う。
本数は少ないが予讃線の線路も国道とほぼ並行しており
車窓の眺望は悪くなさそうだ。

夜、チェックインして身軽になって、3人で食事に出る。
しかし人通りは少なく、開いている店も多くはない。
飲食店の多い一角を歩き回って、焼鳥屋へ入る。

「山鳥」と書いて「さんちょう」と読むその店は
タクシーの運転手も名を挙げていた。
東京基準で考えてはアレだが、旨くて多くて安い。

ちなみに今治の焼鳥は鉄板で焼くのが基本だとか。
翌日に乗った地元のタクシーの運転手によれば、
「せっかちだから」早く火が通る鉄板を使うのだと。

食後、さらに少し街中を歩いてみると、もうほとんど暗い。
宿の近くにあった公園を歩けば、満天の星空が綺麗だ。
要するに、街明かりが少ないというワケである。

歴史も古いし、静かな街だし、食い物は旨い。悪くはない。
ただ、ここで暮らしていくには、仕事を見付けるのが
いささか難しいのが難点であろうとは思う。

ていうか、今の日本、大都市を除けばみんな
こんな感じなんじゃないかとは思うのだけれどもね。
幾つも地方都市を巡っていると、そう思わざるを得ない。

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2008.09.10

出張旅行記(20) 仕事より歩いている時間の方が長い件

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今年は、昨年と比べると出張が少ない。
景気低迷が身近に迫ってきたのかもしれない。
……と思っていたら、ようやく入ってきた。

出張そのものも1カ月以上なかった
しかも東海地方以外となれば約5カ月ぶり
個人的な旅行を含めても、
5月の連休で関西に行って以来である。

2週連続の出張。まずは、大阪へ。

往路は毎日運行ではない列車を選んだ。
それも、新大阪止まりの300系のぞみ。
要するに、混まないだろうってワケ。

席はE席、つまり向かって右端の2列並びの窓際。
東京駅では隣も後ろも斜め後ろも空席だった。
前の席にも1人だけ。左右後方の対人的余裕を
考えると、非常に贅沢な空間といえる。
(新横浜で後ろの席は埋まったが隣は空席のままだった)

今日のカツサンドは、「まい泉」にした。
ちょっとだけ贅沢をしてみようという程度。
例によって東京駅を出てすぐ、
都内の車窓を眺めつつ食う。

大井町のあたりだったか、低層ビルになってる
住宅の上に大きな窓のついた小さな物置があって、
その窓に、漫画化されて赤いシャツを着た黄色い熊、
のぬいぐるみが見えたりしたのは睡眠不足か。

そうそう、日頃の睡眠不足に加えて前夜も徹夜で
眠かったのだ。おかげで車中ほとんど寝ていた。
途中で覚えているのは、新横浜のホームくらいか。
まあ慣れた景色なので寝ていても構わないのだけど。

新大阪から、寝ぼけた状態のまま大阪駅へ。
時間的には余裕を持って動いているので、
大阪-梅田の駅周辺を少しばかり散策するが
どうも眠気が完全に抜けてくれない。

取材先には阪神に乗らねばならんトコロを
阪急の駅に入り込んでしまったり、
急行までしか停まらない駅で降りるはずなのに
特急に乗ってしまったりと、散々だった。

まあそれでもアポイントには間に合ったし、
仕事そのものも大きな問題はなく終わった。

さて、それじゃあもう少し、久し振りの関西を歩こう。
(会いたい人はいるんだけど、うまく連絡がつかなかった)
帰りの新幹線には500系のぞみ列車を指定してある。
そのせいもあって、ちょっと遅い時間になっている。

京都か神戸か、どっちに出るか少し考え、
今回は新神戸に決めた。久し振りに滝を見たい。
新神戸駅の裏山、すぐそこにある布引の滝。
案内では0.4kmとか、書いてある。

仕事で目が覚めたので、標高差が400mあっても
きっと歩けそうなくらいの気がしているトコロに
道程で400mは物足りない気もするが、まあいい。
のんびり撮影しながら歩けば、時間も潰せる。

まだまだ暑い、夏の平日の昼下がり。
滝への道には、ほとんど誰もいない。
濃い緑の下の道は風が通らないので、
爽やかなどころか、むしろ蒸し暑い。

さらに登っていくにつれて体温は上がる一方。
この夏は運動不足だった。身体も重く感じられる。

ときたま立ち止まっては汗を拭い、扇子で扇いで空冷する。
せめて少しは身体を冷まそうと撮影にも時間をかける。
というか、滝壺の周辺は暗くシャッターも低速になりがち。
身体を安定させなければブレてしまうので、時間がかかる。

とはいえ残暑の頃ゆえ日が傾くのは早い。
雄滝の滝壺を撮り終えて振り返れば、
暮れ始めた空をロープウェイが渡っていた。
秋の始まりを予感させる、深く澄んだ青色。

下っていくと、駅の手前で川縁に降りられる。
小さな谷間を跨ぐように駅が設置されているのが分かる。
繁華街の三宮から地下鉄で一駅でしかないトコロなのに、
これだけ山が近いのだから、このあたりは面白い。

帰りの列車は、のぞみ50号6号車19番A席。
またしても右端、ただし今回は3列シート側の席で。

前席背面のポケットを見れば、前の乗客が
立つ鳥・跡を濁す如く残していったと思しき
乱雑に折られた日経新聞(苦笑)とチューハイ空き缶(嘲笑)。
だが、もう面倒なので放置しておくコトにした。

そんな席に足を投げ出して座ってみると、
ちょっとだけダメリーマンになった気がしたりもする。

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2008.09.09

自称逸般塵の不通の日記(28) ラララ雷ライライラ

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駅前まで夕食がてら散歩に出たところ、
今年の流行語候補「ゲリラ豪雨」に見舞われた。
出る前から雷鳴や稲光があったけど空腹に勝てず
雨にも負けず傘を差して外へ出た次第。

食事を終えてロータリーを歩いていたら、
かなり近くに落雷があり、少し遅れて
商店街の一角が真っ暗になっていた。
外で停電の瞬間を目にするとは、珍しい。

停電そのものは地区単位だったらしく、
ロータリーの反対側では、そのままだった。
周囲の通行人たちも停電に気付きはじめ、
きょとんとした表情で立ち止まる。

ファストフード店やパチンコ店の店内が
真っ暗になっているので興味本位で覗き込むと、
客が停電直前と同じ姿勢で途方に暮れている様子が
ときおり外の稲光に浮かんで見える。

電力供給は、1分も経たぬうちに復旧した。
途方に暮れ焦燥に駆られていた人々の顔を、
一斉に起動したパチンコ機の電飾が照らす。
稲光よりも、ずっと明るく鮮明な光だった。

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2008.09.08

サーバのキモチ? 418 I'm a teapot

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コーヒーを注げと命令されても、
ティーポットは困ってしまいます。

インターネットの向こうにいるかもしれないイヌだって、
運転免許証を提示しろと言われても困るはずです。

(ひょっとしたらクレジットカードや
納税証明書なら出せるかもしれないけど)

匿名ではあるんだけど、いろいろな属性がある。
そんな感じなのですね。この世界ってのは。

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2008.09.07

自称逸般塵の不通の日記(27) よくトラブるけど風が吹くと新鮮な空気が。

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ずいぶんと長期にわたった工事を終えて地下鉄13号線が開通し、
開業直後はダイヤが乱れたりしたとかいうハナシを目にした。
今回、ちょっと遅ればせながらネタにしてみる。

ていうか、そんなに遠くないトコロで生活しているのに、
実はこれまで乗る機会がなかったりしたのだけど、
生活路線に直結しているワケでもないから致し方ないのかとも思う。

先日たまたま仕事の関係で乗るコトになったときにも、
東上線内で人身事故が発生したためにダイヤが乱れていた。
これは関係する路線の多さを考えると日常の範囲という気もする。

平日昼間の、さほど混雑しない時間帯でありながら、
有楽町線と一緒に走る区間などは本数が妙に多いのは、
やはり乗り入れ路線の多さに起因するものなのだろう。

この時間帯でこれだから、さらに本数の増える朝夕では、
ちょっとした遅れでも混乱してしまうというのも納得できる。
しかもそのボトルネック区間が、結構長いんじゃないかと。

帰りには、次のアポイントの都合で渋谷まで乗った。
ダンジョン化した地下のホームには、東急線乗り入れのために
使われるらしい線路も用意されていて、余計に複雑化している。

乗り換えのため、そんな渋谷駅の地下から地上へと歩く。
ここは地上まで吹き抜ける部分も用意されているとか。
たしかに、列車の出入りのたびに風が吹き抜ける気もする。

通路や階段、エスカレーターやエレベーターが入り組んだ
ダンジョンの構造を脳裏に描きつつ歩き回っているうちに、
空気の如く自由な移動が可能であればと思うに至った。

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2008.09.06

自称逸般塵の不通の日記(26) 和とは違う感覚

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別の丼飯屋でのコト。

カウンターに座って食っていたら、
隣の1席を開けた向こうに、若い男が座ってきた。
で、その男が、こっち側に面した空席に
どかと鞄を置いたのである。

この距離感からして、
空席は緩衝地帯なのだと思っているので、
特に疲れているときには侵入してほしくない領域だ。
が、侵入者は少なくない、特に「最近の若いの」。

彼らにしてみれば「無主地」なのだろう。
だから早い者勝ちで荷物を置いていいのだ。
そして、それに文句は言えない。
たぶん彼らは、緩衝地帯なぞ念頭にもないのだろう。

きっと価値観の違い。そう言ってしまえばそれまでではある。

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2008.09.05

自称逸般塵の不通の日記(25) 現代社会における「家庭的」についての仮定的考察

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ある日、丼飯屋でケータイを弄り続ける若い男を見掛けた。
ずいぶん長い時間、ケータイに熱中している様子。
昼下がりの時間帯なのでカウンターも混雑していない。
たしかに店内は涼しいし、邪魔も入らないだろう。

そういう意味では、落ち着ける場所と言えなくもない。
なにしろ、そこにいれば誰にも「構われない」のだから。
っていうか、それこそ「お構いなく」なのではないか。
ひょっとしたら、自宅でもまた同様なのかもしれない。

考えてみれば、その仮説を補強する材料には事欠かないのだ。
あの若い男がそうであるかどうかは別として、一般論で。

ヒトにとって、構われない方が気楽であるコトについては、
いつの時代も大きな違いはあるまいけれども、
しかしやはり現代は他人を構わない時代であればこそ、
他から構われる機会も減るし、それが好まれるのだと思う。

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2008.09.04

自称逸般塵の不通の日記(24) マアツマラナイ話ダガ

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ある日、U君から送られてきた携帯メール。
「ジャパン力 ウントダウン」
ネタにしろ、との由。

それで思い出したのは、
ある暑い日にバスで移動中
窓から見えた張り紙のコト。

路傍の電柱に張られていたのは、
どこかの町内の祭りの案内で、
たしか下記のような内容だった。

子供みこし・山車
がんばったら
おみやげもらえるよ!
     町内会

いまや、祭りをしたい人は、
子供たちではないってコトだね。
日本の明日はどっちだ、と。

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2008.09.03

たまには時事ネタ(28) そう、てぇへんなコトになるのよ

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組織の不祥事などの会見で、
「想定外の出来事だった」
と言い訳をしつつも
「今後このようなことがないように」
などと言うのを、よく聞く。

「今後、想定外のことがあっても
このようなことがないようにいたします」
と言ってるようにも思えるけれど、
それは難しいと思うんだな。
なにしろヒト集団の組織なのだから。

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2008.09.02

自称逸般塵の不通の日記(23) 諦観達観無常感、漠然とした不安感?

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死ぬときには生命さえおも持っていけないのだ。
しかも、その瞬間に何もかも失うとは限らない。
その前の段階でも、いろいろ失うモノがあるはず。

まあいずれにせよ、
どうせ生命が終わるときには全てを諦めなければならないのだから、
とかいう理屈をつけて、今日もまた一つ、諦めるコトを選んだのだった。

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2008.09.01

自称逸般塵の不通の日記(22) 惰眠にて暁を忘れたい

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まとまった睡眠をとらずにいるのは良くないね。
断続的な睡眠を主として生活することは困難だと知った。
目の前の作業でなく睡眠を選ぶコトも致し方なし。

実際、目の前の仕事は滞っているし、
PCは不調で再セットアップもしなきゃならないし、
他にもいろいろ、やるコトはあるのだけれども、今日は寝よう。

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