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2008.10.10

たまには時事ネタ(33) 何人もの日本人研究者が選ばれた件

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日本の物理学の伝統は、太平洋戦争よりも前から。
当時、すでに世界トップレベルの科学者がいた。
理論上、実現できるとされていた原爆を作ろうと、
物理学先進諸国が鎬を削っていた時代でもあった。

大統領命令の下で、国を挙げての超巨大かつ極秘
プロジェクトを遂行した米国が先んじたものの、
日独なども技術の上では相当に進んでいたようだ。
物資欠乏などで、ほぼ実現不能だったとは思うが。

いずれにせよ、計数管を携えて広島のグラウンド
ゼロに踏み込み、原爆が使われたと確認したのは
日本の物理学者たちである。最先端の一歩手前まで
科学的知見と技術を持っていたのが彼らであった。

思えば、国益のためなら戦争を厭わぬ国家が強力な
兵器を手に入れようとしていたワケだから、今の時代
になぞらるならば、どっかの国が名指しで非難する
「ならず者国家」的なものだったとは言えなくもない。

たまたま時代が、最先端の科学を応用してでも軍事力
強化を求めるような趨勢だったとも、あるいは逆に、
最先端の科学そのものが兵器に応用しやすい段階で
あったのだとも、どちらにも思えるのではあるが。

翻って戦後は素粒子の研究がさらに進み、日本の
研究者も世界的な研究活動の中で活躍していった。
その中の何人かはノーベル賞の栄誉にも輝いている。
戦前から戦中にかけての蓄積も功を奏しただろう。

原子よりさらに小さな素粒子の世界を研究対象にする
ようになり、今のところは兵器としての研究対象に
ならない分野が、その最先端のトコロになってきて、
戦争とリンクしない研究を進められるようになった。

一方、戦後には人々の生活の中への科学技術の応用
も大きく進んだ。かつて多くの日本人は、先進国の
うちでは科学技術の恩恵をあまり受けない生活で
あったのが、今では逆に、どっぷり漬かっている。

最先端の科学技術は、ずっと進歩を続けているが、
むしろ日本においては裾野が大きく広がっていった。
日常に近いモノになるにつれ、しかし人々にとって
憧れのような感覚は薄れていったのではないか。

今回の受賞者も、ずいぶんと昔の研究成果が評価
されたものだった。あの賞は、往々にしてそういう
性質を持っているのではあるけれど、今になって
認められた過去の実力を、手放しで喜ぶべきか。

当時は世界的な発見を行う力があったというだけで、
今もそれが続いているとは限らないのだからして。

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