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2008年10月

2008.10.27

自称逸般塵の不通の日記(43) バスバス走るオムニバス・4

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ただね、雑然としてる世の中も好きなのよ。
ここ10年ほど暮らしているこの街なども、
混沌とした街並みなのが実は気に入っている。

出張で日本各地を歩いているが、直線的な街路で
誰にでも分かりやすく効率的な都市も少なくない。
けど、秩序が整いすぎていたら先が読めて飽きる。

かつて計画的に作られた都市でも、長い歳月の中で
すっかり複雑な姿になっていたりして、それも楽しい。
ヒトやヒトビトや社会というのは、複雑系だから面白い。

でもヒトには、複雑性を抑える方向の動きもある。
というのも、ヒトという種には基本的に社会という
仕組みを通じて自己家畜化を進める性質があるものだ。

だからそれぞれの時代や地域を微分すれば、おおむね
“山羊”より“羊”の方が増えるような傾向がみられる。
ときたま逆行するときもあるが、その例は多くない。

種全体でみれば、ある環境の中での生息密度が増えて
いくにつれ、山羊の存在は弊害が大きくなっていく。
羊が増えていく傾向は、種としての適応なのかも。

限られた器の中でヒトが増え続けるとなれば
ヒト密度が上昇して圧力と温度が高まっていく。
ミクロにみれば衝突ばかりが増えていく。

活性の低い分子が多ければ、それも少しは抑制されよう。
あるいは単独のヒト分子ではなくなって、
分子クラスタ状態が主流になってくるのかもしれない。

そうなればヒト雰囲気中の状態は相変化を生じて
新たな物性を示すようになってくる可能性もあるな。
だがそうなれば古い姿のヒト個体では生存も難しかろう。

いずれにせよ環境に比して人口が大きくなりすぎれば
どうしても危ない綱渡りをせねばならぬのだと思う。
ヒト社会全体の緊密度と同時に脆弱性も高まっていく。

世界経済なども複雑系だが、超大国の経済不安から
「世界同時」「実体経済への波及」なんて現状も、
少し前の情勢から行き着く可能性のあったトコロ。

そういえば日本は欧米より証券汚染の度合いが低かった。
もともとオクテな事業スタイルが多くて
チャンスを逃しがちな反面、リスクも低め。

しかも近年は構造的な問題があったりして
企業と家庭の両方が同時に好況を蒙れず、
積極的な投資があまり行われていない。

だので弾けた泡沫に慌てた欧米から資金が集中して
円だけ高くなってしまったりしたワケだけれども、
もしかしたら「貴様も一蓮托生」といわれてるのかも?

やっぱり、ここも乗合自動車な印象を受ける。
乗客が増えて座席が埋まって、通路に立ったままの
客が増えてくれば、荒っぽい運転では危険が増す。

他の車両に分乗できれば、それに越したことはない。
だけどバスは今や1台だけ。ひたすら巨大ではあるけれど。
せめて安全運転を心掛けてもらいたいトコロ。

いずれ一部のヒトたちが新天地あるいは新しいニッチへと
進出していくような時代が訪れるかもしれないが、
それはきっと、まだ先のハナシ。

ヒト社会のエントロピー増大則による無秩序化を
ヒト種が持つ自己家畜化傾向でどれだけ抑制できるかが、
今後しばらくのヒトの世を考えるときに鍵となるかもしれない。

さて、雑然とした街を眺めつつ、世の中を歩いていこうか。

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2008.10.26

自称逸般塵の不通の日記(42) バスバス走るオムニバス・3

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ある盛夏の日のことだった。
直射日光を避けるためバス停で待つのを諦めて
民家の軒先を借りていたところに、
話しかけてきた人がいた。
バス会社の夏の制服を着た中年男性だ。
交代するバスを待っている乗務員らしい。

この夏も、「暑いですね」は誰にでも通じる挨拶である。
「日陰がないバス停だと、交代待ちも大変ですよね」
「このバス停も、以前は木陰があったんですが、
道路拡幅のために後ろの家が建て替えたせいで、
こんな日当たりの良い場所になってしまったんです」

この近所で暮らすようになって10年近いが、
数年前には、たしかに幅の狭い道だった。
片側1車線ずつの車道と、ぎりぎり1人分の狭い歩道で、
ときたま自転車が置かれていたりすれば、
誰でも否応なしに車道を歩かざるを得なかった。

バス路線でもあるし、大型トラックも頻繁に通る道だし、
おまけに近所は古い住宅街で高齢者や子供も多い。
危険な道路をそのままにしてはいけないというワケで、
最近になって拡幅が進められている。

しかしその拡幅も、遅々として進まない。
この道路は3つの区を通っているのだが、特に真ん中の区で、
ほとんど用地確保が進んでいないのだと運転手は言う。

「ほら、あそこから先、前と変わらないでしょ」
と、100メートルほど向こうに見える区境の交差点を指さした。
交差点の手前は、すでに多くの建物がセットバックしていて
まだ道路に使われていない用地が広い歩道となっているのに、
向こう側は旧態依然、というか10年前から変わってない。

「中の区だけは全然進んでない。予算がないからかも。
さらに向こうの区まで行ってみれば、そっちもまた
それなりに用地確保が進んでいるのです。
ただ、他の区でも、拡幅に合わせて建て替えたところと、
そうでない建物とが混在しているので、まだまだですね」

手前側の区でも、いくつかの建物は以前のまま。
この路線で毎日のようにバスを運転しているのだろう、
さすがに運転手はしっかり観察している。

(考えてみれば、区をまたいでいるのだから都道のはず。
予算の都合というより、都の予算配分を受けた区役所の
中の人の仕事振りの違いというコトなのだろう)

用地確保が進まなければ、道路の拡幅も進むはずがない。
区境の反対側を見れば、幹線道路の交差点の近くだけ
車線が増やしてあるので混雑緩和には役立つだろうが、
より安全な道路にするという目的は果たせていない。

「セットバックしてない建物の中には、
それほど古くない建物もあるでしょう。
ああいうのを、今から引っ込めろというのも
難しい問題ではないですかね」

そういえば、このあたりでは住宅街の中の路地も
細く曲がりくねって、ところどころ行き止まりもある。
古い住宅街が残っているせいもあって、
区画整理がほとんど行われていないのだろう。

もし震災火災が生じれば消火活動が難しいし
避難も困難になるなど、不安が大きいので、
安全のためには改善してもらいたい気もするが、
一気に整理して街を作り直すなど、まず無理だろう。

それこそ大災害でも生じないことには……?

はてさて、どっちが先なのやら。

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2008.10.25

自称逸般塵の不通の日記(41) バスバス走るオムニバス・2

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先日、区営のミニバスに乗った。
普段使うルートではないが、
目的地によって使うコトがある。

バス停の待ち行列の最後尾らしき位置に立つ。
目の前には、イヤホンでラジオを聞いている男性。
ざっと見て、列は合計10人ほどだろうか。

列は2つのベンチをまたいで並んでいる上に、
後からやってきた熟年女性が列の途中にいた知り合いを
捕まえて立ち話をしてたりするので、総数が分かりにくい。

バス停の屋根はベンチ列までしかなく、
立って待つのは露天下を意味するワケだが、
小雨模様の中、それを気にする人も特におらず。

むしろ気になったのは、列の後方のベンチで
談笑している、「あらふぉー」くらいのカップル。
列の後ろで雨を気にする人がいてもお構いなし。

周囲を意識しないほどの仲良しというのは
必ずしも悪いコトじゃないが、とはいえ近くに
いられると、迷惑を蒙るコトもあるので要注意。

今回も、まさにその一例であることが、
すぐ後に明らかとなったのを思い知らされた。
こんなときは嫌な予感が当たったのを喜ぶべきかな?

バスが来たとき、2人は慌てて立ち上がった。
先刻まで単なるベンチだと思っていたのが、
実はバス停であることに、急に気付いたような感じだ。

バスの前扉が開いて客の列が前方から吸い込まれていく。
立ち話していた熟年女性たちも、ベンチを立って足早に
立ち去っていったカポの抜けたトコロに入り込んでいた。

ベンチよりさらに後ろに並んで、小雨に打たれつつ
バスを待っていた熟年男性や中年男性は最後の最後に、
ようやく乗り込むコトができたのである。

しかし待てよ、たしか最後に来たのは、
友達と立ち話をしていた熟年女性だったはず……。
いろいろな意味で、やられた気がした。

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2008.10.24

自称逸般塵の不通の日記(40) バスバス走るオムニバス・1

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この世は巨大な乗合自動車のようなものかもしれん。
ただし路線バスじゃないよな。
特に行き先は決まっていないし、
それぞれ勝手に乗り込んでは降りていくものだから、
今ここに乗ってる連中は誰もみな
どこから来たのか知る由もない。

そもそもハンドルとアクセルとブレーキを
それぞれが奪い合いつつ操作するもんだから、
いつ道を踏み外して谷底に転落するかも分からない。
ガードレールに接触して客が振り落とされたりしたコトも、
ひょっとしたら、あったかもしれない。

まあそんな感じの世の中だけれども、
車窓の景色だけは飽きず眺めていられそうだ。
ていうか、飽きないと思ってないと、
いいかげん酔ってしまいそうでもある。
このところハンドルの奪い合いが激しくて、
おかげで右に左に揺れてかなわぬ。

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2008.10.23

自称逸般塵の不通の日記(39) 「いらっしゃぃ」「いつもの」

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先日、少し早めの夕食に定食屋へ入ったら、
レジの上のTVで民放のニュース風バラエティが流れていた。
どこの局かは分からないが、そもそも区別ついてないので。

普段、自宅では、この手の番組を見ていないからな。
少しばかり興味を覚えて聞き流していたのだけども、
あんまり気分の良いものではなかったよ。残念だ。

ニュースをネタにお笑い芸人(?)の集団が喋りまくるコーナーなどは
渋谷あたりでコンパの勢いのままにバカ騒ぎをする三流大学生の方が
まだよっぽどマシだと思えてしまったほどである。

某大物議員の孫のミュージシャンが地元ツアーをした云々、
といったニュースを大々的に取り上げるあたりも、
芸能界による侵食が著しいと改めて実感。

そういえば民放でも、今秋の番組改編で
ニュースやらドキュメンタリーをゴールデンタイムに
投入してきているとか聞いた。

現実の事件てのは下手なドラマなどよりずっと
複雑怪奇であるから人を惹きつけるのだろう。
視聴率稼ぎのためには、そういう施策も大事だ。

いうまでもなく、電波塔の下の人たちも食わねば生きていけぬ。
そのカネを払うのは、民放ならスポンサー様である。
スポンサー様は視聴率の出ない番組にカネを出さない。

放送局にカネを払うのは宣伝の一環であるのだから、
視聴率が上がらないと経費の無駄遣いだとなって、
今度は株主様に怒られてしまうので、そうするしかない。

要するに、カネを払う側が過剰に偉いのが今の世の中。
そういう風潮が米国を発祥として世界的に推奨されてきたから。
世界で最大の勢力を持つゼニアスター(拝金)教。

カネが集まるトコロといえば芸能事務所とか政治団体とか。
だから似たもの同士で、最近は人材交流も活発なんだよね。
それが良いか悪いか、しっかり考えないといけないと思うんだけど。

芸能事務所は若手芸人への投資としてバラエティへの出演をゴリ押し、
政治屋稼業の連中は芸能ニュースの場を借りてでも露出機会を増やそうとする、
そういうのが、少しずつエスカレートしてきたワケだ。

チャンネルという選択の自由は擬似的なものであるけれど、
人々の多くは与えられた選択肢以外の自由があるということを
認識する必要もなく、そのうちに他の選択を意識しなくなっていく。

誰かがブログに書いていたような気がするけど、
要するに飼育されるのに馴らされているのだな。
……とか、定食メニューを食ひながら思ふ夕辺。

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2008.10.22

自称逸般塵の不通の日記(38) きっと何度でも通る道筋

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最近どうも堅苦しいネタばかり書いていると思ったら、
活字が著しく不足していたコトに気付いた。

これは、過去にも何度となくあった現象だ。
消化するのに時間が掛かるような本の場合、
どうしても一気に読み終えるのが難しい。
ところが続きを読み始めるにも気が重くなり、
かといって他の本に手を出す気にもならず、
結果として読まずに溜め込んでしまったのだ。

仕事の遅れなど精神疲労を強く感じていたので
まあ致し方のないハナシではあるのだけれども、
読書不足をそのまま放置していては悪循環。
最近は少しばかりキモチが上向きになったのと、
仕事の合間が見つかったので、その機会を捉え
途中だった本を一気に読み解いたというワケ。

で、今回、読みかけだった本。

「昭和の軍閥」(高橋正衛著/中公新書)

ちょうど続きを読み始めたあたりのトコロに、
引用されていた文書が目に留まったので、
いささか長いが、以下に孫引きしておく。

--
現今の社会層を見るに高級為政者の悖徳行為、政党の腐敗、大衆に無理解なる資本家、華族、国家の将来を思はず国民思想の頽廃を誘導する言論機関、農村の荒廃、失業、不景気、各種思想団体の進出、靡爛文化の躍進的擡頭、学生の愛国心の欠如、官公吏の自己保全主義等々邦家の為の寔に寒心に堪へざる事象の堆積なり。然るにこれを正道に導くべき重責を負ふ政権に何等之を解決すべき政策の見るべきものなく又一片誠意の認むるべきものなし。従て政権の威信は益々地に墜ち経済思想政治上国民は実に不安なる状態に置かれ国民精神は逐次弛緩し明治維新以来の元気は消磨し去らんとして国勢は日に下降の道程にあり。
更らにこれを外務方面に見るに為政者は国家百年の長計を忘却し列国の鼻息を窺ふことにのみ之汲々として何等対外発展の熱を有せず維新以来の積極進取の気魄は全く消磨し去り為めに人口食糧の解決の混迷は刻々として国民を脅威しつゝあり。此の情勢は帝国の前途に一大暗礁を横ふるものにして之が排除に向ひ絶叫する吾人の主張が為政者により笑殺し去られつゝある現状は此邦家の前途を思ひ寔に痛憤に堪へざる処なり。

(「桜会趣意書」)
--

とある軍部内の小集団によるものだという。
彼らは政界や外務省など他省庁に満足できず、
軍政を目指しクーデターを図ったとのこと。

しかしそれにしても、この内容に類似する感覚を、
どうも妙なくらいに感じてしまう平成の日本。

まあ歴史は繰り返すってトコロなんだろうけどさ。

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2008.10.20

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(8) 慌てる投資は藁をも掴んで貰いが少ない

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乱高下する株価に一喜一憂する人生ってのも、
それはそれでひょっとしたら楽しいのかもしれんが、
しかし何とも落ち着かぬ生活であろうよ。

とはいえ、もし万が一投資したかったとしても
元手なんぞ持ち合わせていないものだから
その意味では負け犬の遠吠えみたいなもんだけれども。

しかし神経質なまでに相場が暴れる様子を見れば、
それが投資家たちの集団心理そのものであると知っている
からなおのこと、やらなくて良かったとも思える。

この集団心理の権化が資本とやらを動かしていて、
調子づいたときには実体経済の中で“ふくらし粉”となり、
落ち込んだ瞬間には一斉に収縮させるから、やりづらい。

しかも主に北米大陸で言われる“グローバルな”競争には、
それこそベーキングパウダーでも使って嵩を上げないと
なかなか勝ち残れないものだから、困ったもんである。

あまつさえ、そんな競争をしなければ潰されるだけ、
というのが今の資本主義経済の世界構造だったりするので、
どこが自由経済なのだろうかと首を傾げてしまう次第。

押しつけられた自由ほど、邪魔なものはないからな。

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2008.10.18

仮想化が流行りの時代らしいので乗ってみた件

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いずれにせよ規制強化が流行りの昨今だ。
一時期の規制緩和の流れは完全に消えて、
今は弊害が指摘されたトコロを虱潰しに
規制強化と厳罰化と見せしめと判例作り
云々、とにかく世論の溜飲を下げようと
三権いずれも近視眼的な対処に終始する。

しかしまだ今の日本人の性質においては、
統制強化に対して反発するよりもむしろ
表面的に従順な無気力状態に陥るだろう。
ただし内部応力は蓄積し続けていくので、
ときたま結晶欠陥などから弾けてこよう。

行き過ぎた個人主義は秩序の混乱を招き、
行き過ぎた全体主義は組織の暴走を招き、
いずれにせよヒト個人は幸せになれない。

全体最適化にはパーティショニングされた
仮想的正義が望ましいと思うのだが如何か。

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2008.10.16

ゴカイ類は環形動物門多毛綱、ミミズ類は環形動物門貧毛綱

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「隣は何をする人ぞ」
秋が深くなってくるとつい口をついて出るこの言葉
今の世の中では疑念や不安の文脈に置かれてしまう

何をするか分からないから怖い
怖いからコミュニケーションしたくない
コミュニケーションしないから余計に分からない
分からないから怖い

時間を切り売りして稼がねばならぬ世知辛い今の世
独り者はもちろん家族もそれぞれ多忙だったりする

「忙しいからコミュニケーションしない」
なんてのが最初だったのかもしれないが
いずれにせよ正のフィードバックで悪循環
まさによくあるコトだがよくないコトで

一人ひとりにとっては少しずつの変化であったろうけど
それが社会全体でみれば巨大な量的変化となっている

「誰に見られても後ろめたくないように」
という考え方が死に絶えた今の時代だからこそ
「誰が何をしているのか分からなくて怖い」
となったりして不安が募って疑心暗鬼となる

そこに思考停止が加われば対症療法しか目に入らず
短絡的に「誰かが監視してくれていれば」と願う

治安の維持向上を主務とする官僚組織はもちろん
民間人や企業も「とりあえず作ってみた」的に
監視ニーズを気軽に満たしてくれるものだから
今となっては網の目の如くに監視カメラだらけ

でも同じく他動詞の「見られる」とはいえ顔見知りの
隣人でなく見ず知らずの何者かでは別の不安も生じる

社会が誰かに監視の権限を与えるのであれば
その権限の乱用を避けるためにも他の誰かが
監視者を監視するような仕組みが欲しいトコロ
さらにその監視者監視人も誰かが監視して……

どうも違う方向の悪循環が回り始めてしまったようだ
やっぱり不信の連鎖は容易に断ち切れぬものなのか

さらに加えて逆方向の不信感連鎖まで生じる
自分を信用してくれないような相手など
誰が信用しようとするものかなんて感情は
ヒトの心理としてごく普通にみられるもの

何らかの行為に際しての意図は常に誤解されるものと
思っておくというくらいの対策しか今は思いつかない

理解されないのではなく誤解を避けられないので
そんな嫌な誤解を見ずにいたいなら関係者意識を
持たぬか薄めてしまって「どう思われようと
知ったこっちゃない」とでも思っていればよかろう

もちろんそれは隠れた善意の方向性を持ってやられねば
今の悪循環をさらに加速するだけに過ぎないのだけれども

ともあれ大義名分に関しては反対のしようがない
たいたいにしてそういう性質のモノゴトだからこそ
大義名分という扱いになるものなのだけれども
しかし諸手を挙げて各論賛成しているワケでもない

それこそ正義の刃なんてのは諸刃の剣なのであろう
振り翳す際には必ずリスクが伴うものと認識すべし

ヒトは善悪を知る木の実を口にしたとか言われてるが
要するに善悪の認識はヒトの脳内にあるのであって
それに由来するものが「正義」の刃なのだから
なんともアテにならぬものだと思うね

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2008.10.15

どっかで聞いたような面白くもない規制反対論ダガ一応書いておく

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凶器になり得る刃物の販売時に住所氏名などの情報を
取らない店が大半、との警察庁発表が以前あった。
そんなルールは存在しなかったのだから当然だろう。
(そもそも個人情報保護法の方が店にとって懸案だったのでは?)

では、今から刃物の販売規制を実施したとして、
果たして犯罪抑止効果がどれだけあるか。
後先を考えない犯行に対しては大した抑止力になるまいし、
計画的に犯罪をもくろむ人にとってみれば他の手段もある。
ヒトを苦しめたり生命を絶つ方法など枚挙に暇がないのだ。
刃物による犯罪だけは減るかもしれんが全体としては大差あるまい。
官僚たちが刃物を使った犯罪のみに着目した数字を使って
業績をアピールするには最適な手法といえるだろうけれど。

それなりに犯罪抑止効果のある刃物販売規制を考えるとすれば、
包丁や果物ナイフ、鉈や鎌まで含めた刃物全般を対象として
刃物専門店やアウトドアショップ、工具屋はもちろん
スーパーやコンビニ、百均などでも実施しないと。
そこまで緻密な網をかけられるか、大いに疑問であるけれども、
いろいろな種類の刃物の中ではダガーナイフ(冷笑)による事件よりも
包丁など台所刃物による事件の方が圧倒的に多いはずなのだから。

業界が自主規制をしてこなかったから法制化して取り締まる、
という文章だけをみれば間違いじゃないと思えるんだけど、
実態は大義名分を通しただけのコトに過ぎないんじゃないか。
過去にどれだけ自主規制を促してきたのか。
なにしろ新規参入がとても容易な商売であるのだから。
業界団体は存在するが一部の企業しか参加してないし、
そもそもロクに力も持ってない。
その団体には何度も声をかけました、では思考努力が足りまい。
(これまた官僚たちの業績偽装手段なのかもしれんが)

あるいは新規参入の業者で目立つトコロには目を光らせて、
ときには助言(実態は指導かもしれんが)も行ってきたのだろうけど、
そんなのは警察側として当然の業務の範囲であって最低限のレベルだ。
違法性がなければ取り締まらないのは当然ではあるけれど、
業者がどのような認識でいるのかを把握し続けていたのかねえ。

行き過ぎた所持規制は人権侵害の懸念とて人々を萎縮させる。
単に、言動そのものを縛られる直接の規制効果もあるけれど、
心理的に縛り付けてしまうという間接的な悪影響のほうが、
むしろ恐ろしいトコロ。
心理的に縛られれば部分的にでも思考停止に陥る。
思考停止の範囲は拡大しやすいもので、これが大きくなりすぎると、
他のコトに関しても同様に思考停止で済ませてしまいかねない。
思考停止ってのは、短絡的に目先の結果を求めたりするんでね、
長期的に見れば、ずいぶんと危なっかしいハナシじゃないかな。

昔々の日本の秩序であれば、
犯罪者を出してしまった家が責任を負ったワケだよな。
部下の不行跡によって大名が責を負ったりするコトもあった。
とすれば、従業員の中から犯罪者を出してしまった企業は、
その責任を果たして負うのだろうか。
またその企業が所属している業界としては、
どのような責任の負い方があるのか。
さらには、そういう業界の監督官庁、主務大臣等、
ひいては主権者たる国民、社会全体、ヒトという種……。
対象はいくらでも広げるコトができるけど、
その分、責任感というのは反比例して薄まる。

毒素が混入した食品は複雑な流通経路を通じて拡散したし、
破綻リスクの混入した金融商品も取引の網目を伝って広まった。
結果として直接間接に世界中の人々へと影響を与えている。
責任感からも同様に、世界中の人々が逃れられぬものと思う。

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2008.10.14

落胆した方が楽なん?

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公開密告システムに関連して、安んじて暮らせないとされる
最近の世情とその影響について、もうちょっと考えてみたい。
そりゃあもちろん、「安心して生活できる安全な社会」であって
くれればそれに越したことはないと、誰もが思うはずだけども。

でも「○○を守れ」なんてキーワードを安易に濫用するのは
それ自体が非常に危険なものなのだ。そんなのを連呼されたら、
他のモノゴトは重要でないかのようにも思えてしまうものだ。
いうまでもなく、リスクなんて一つじゃないというのに。

「ダガーナイフ」を使った通り魔が出たら全面禁止で没収だ。
喉に詰まらせた事件が続いたから蒟蒻ゼリー生産停止やむなし。
何れにせよ対症療法に過ぎぬ。果たして不安は解消されるのかね?
BSE対策の特定危険部位規制も他の病害には無関係だったのだし。

最近は被害者の意識に気を配るような風潮になってきた気がする。
いうまでもなくソレ自体は悪いハナシじゃない。……んだけど、
あまりに安直すぎる対策ばかりが目立つ現状は、その弊害だろう。
被害者への慰めを別にすれば、社会的メリットは少ないのでは?

むしろ、次はどこにどれだけ規制強化が進むのか、気になる。
世間という、実体が曖昧な存在の圧力の矛先が、どこへ向くのか。
そういえば児ポ関連なんかも、その矛先の一つではないかと思う。
(その方面の趣味の知り合いも少なくないが、たいてい人畜無害だ)

だいたいにして、どれだけ法令の規制が厳しくなったとしても、
実効性がなければ意味がなく、むしろ「割れ窓」で悪影響が出る。
今の司法機関に信頼を置いた上で規制強化を唱えているのかね?
期待半分以下不安半分以上、期待過剰で実力過小な印象は拭えぬ。

さらには立法機関に至っても、やはり同じように信頼し難い。
日本において本格的に民主主義が定着することは遂になくて、
せいぜい「民主主義ごっこ」の衆愚政治に終始している。
目先の課題に反射的な対策をして支持率を稼ぐばかりだ。

こんな日本を諦めた方が、むしろ気楽なのかもしれないな。
もしかしたら、いったん厳しい統制国家に成り下がった上で、
民衆からの自発的な民主主義革命を期待するなんて考えも、
まあできなくはないけれど、それはきっと夢を見すぎだろう。

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2008.10.13

たまには時事ネタ(34) カリカリに駆りつ借りられつ、の心理とか(仮)

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なんだか最近、狩りが流行りらしいじゃないか。
秋だから果物やらキノコなんかが多いのは当然だけど、
街中だって、いろいろ狩りの対象はある。

経営が傾いた会社は社員の首を。今だったら某外資系証券とか。
ゲーム機を携えた連中はモンスターを。これは楽しくやってる。
政治家なんかだと言葉とか。中には自業自得の輩もいるようだが。

そういえば言葉狩りは、ネットの上でも流行っているよな。
公開密告システムが作られたりして何人も逮捕者が出てる。
皆が野次馬根性剥き出しに、雁首揃えて傍観者のつもりでいる。

そりゃあね、一時的にはストレス発散になるかもしれない。
でもそれは自分たちの周囲の叢を刈り込んで火を放つようなもの
ではないかな。燃え上がる炎に皆が包まれてしまいそうで不安だ。

彼らが、そんな行動に駆り立てられているのは何故なんだろう。
社会全体を覆う漠たる不安感に、カリカリしているのかもしれない。
カラカラに乾いたキモチは、焦燥から発火炎上しやすいものだし。

それでも、思い余って自らの周囲に火を点けるような人は、
先日いたようだけど、まださほど多くないはず。
……まだ、今のトコロは。

けど、今後さらに身を隠せる叢が刈られ、空気がカラカラに乾き、
どこに行っても焦燥しきった雰囲気が漂うばかりになれば、
自ら炎上を選ぶ者も出てこようし、その炎も瞬く間に広がろう。

残念ながら、今の社会のカラクリは、まさにそっちの方へ向けて
カラカラと回り続けているような気がしてならないのである。
もし仮にそうならなかったとすれば、そのコトをこそ喜ぼう。

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2008.10.12

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(7) 急がば回れ、未知なる道を

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拒否するよりも許容する方が心理的には安定するもの。
だけども拒否から許容へと状態を遷移させる際には、
しばしば相応のバンドギャップを乗り越える必要がある。

ヒトの脳は、過去にも何度か触れてきたコトではあるが、
基本的にエネルギー準位の低い状態を求める性質を持つ。
でも、障壁を乗り越える力がなければ状態遷移は生じない。

より低い準位が壁の向こうに見えるのだけれど、行けない。
そして壁を乗り越えられずに拒否を続けるしかない自分を、
むしろ拒否しようとするのが多くのヒトに見られる心理。

そんな自分自身を拒否するトコロもまた拒否したいのが人情だけど、
拒否する自分を拒否するようなキモチを切り崩していくような、
そんなトコロから着手していくのが必要なのかなとも思う。

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2008.10.11

理系用語で読み解く社会(33) 増大する法則

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だいたい、みんなアタマでは分かってきたはず。
今までやらなかったコトをやらねばならない。
政治家も役人も、企業も国民も……。
しかもそのコトは必ずしも特効薬ではないし、
即効性もほとんどないものだったりする。
けど、やらないといけないのだろう。

今のままでは、どげんもならん。
分かっちゃいるけど、なかなか慣性力に勝てない。
だからズルズルと旧態依然のコトをし続けてしまい、
それが故に余計に現状を悪化させていると知りつつも。

調子の良くないとき、何か別のもので補うのは、
ヒトが生きる上でよく使われる便法だったりする。
けど、補うべきものさえ持ち合わせていなければ、
他のトコロに不足が生じるのを承知の上ででも
致命的な部分を補ってやらねばならないワケで。
それが今の社会情勢なのではないかと思う。

致命的な部分を補うために生じた別の部分の不足
に関しては、致し方なく我慢するコトになる。
この、どこを我慢するかという配分が、
しかし非常に大きな課題となっている。

誰もが納得するような均等性だとか平等性だとか、
そんなのは到底実現できるモノではなくって、
たいてい誰かが他より多く損したと感じるもので、
それゆえにせめて部分最適を諦めて全体最適を
採る、いわゆる「最大多数の最大幸福」を
否応なしに作り上げていかねばならぬらしい。

対称性なんてのは勝手なもので、自発的に破れる。
均質な場は、いつしか勝手に揺らぎ、不均質に。
乱雑さは時間の経過とともに増大を続けていき、
秩序は自発的に、乱れようとし続けている。

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2008.10.10

たまには時事ネタ(33) 何人もの日本人研究者が選ばれた件

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日本の物理学の伝統は、太平洋戦争よりも前から。
当時、すでに世界トップレベルの科学者がいた。
理論上、実現できるとされていた原爆を作ろうと、
物理学先進諸国が鎬を削っていた時代でもあった。

大統領命令の下で、国を挙げての超巨大かつ極秘
プロジェクトを遂行した米国が先んじたものの、
日独なども技術の上では相当に進んでいたようだ。
物資欠乏などで、ほぼ実現不能だったとは思うが。

いずれにせよ、計数管を携えて広島のグラウンド
ゼロに踏み込み、原爆が使われたと確認したのは
日本の物理学者たちである。最先端の一歩手前まで
科学的知見と技術を持っていたのが彼らであった。

思えば、国益のためなら戦争を厭わぬ国家が強力な
兵器を手に入れようとしていたワケだから、今の時代
になぞらるならば、どっかの国が名指しで非難する
「ならず者国家」的なものだったとは言えなくもない。

たまたま時代が、最先端の科学を応用してでも軍事力
強化を求めるような趨勢だったとも、あるいは逆に、
最先端の科学そのものが兵器に応用しやすい段階で
あったのだとも、どちらにも思えるのではあるが。

翻って戦後は素粒子の研究がさらに進み、日本の
研究者も世界的な研究活動の中で活躍していった。
その中の何人かはノーベル賞の栄誉にも輝いている。
戦前から戦中にかけての蓄積も功を奏しただろう。

原子よりさらに小さな素粒子の世界を研究対象にする
ようになり、今のところは兵器としての研究対象に
ならない分野が、その最先端のトコロになってきて、
戦争とリンクしない研究を進められるようになった。

一方、戦後には人々の生活の中への科学技術の応用
も大きく進んだ。かつて多くの日本人は、先進国の
うちでは科学技術の恩恵をあまり受けない生活で
あったのが、今では逆に、どっぷり漬かっている。

最先端の科学技術は、ずっと進歩を続けているが、
むしろ日本においては裾野が大きく広がっていった。
日常に近いモノになるにつれ、しかし人々にとって
憧れのような感覚は薄れていったのではないか。

今回の受賞者も、ずいぶんと昔の研究成果が評価
されたものだった。あの賞は、往々にしてそういう
性質を持っているのではあるけれど、今になって
認められた過去の実力を、手放しで喜ぶべきか。

当時は世界的な発見を行う力があったというだけで、
今もそれが続いているとは限らないのだからして。

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2008.10.09

出張旅行記(22) バイパス工事が繰り返される本州の大動脈

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先日の出張では、東海道新幹線三島駅を使った。

これで、同線で利用経験のない駅は熱海と掛川を残すのみ。
熱海はともかく掛川は厳しいだろうと、噂されているが、
まあいつか出張の機会もあろうと、長い目で待っている。

アポイント先は、そこから東海道本線に少し乗ったトコロ。
列車の本数が少ない上に、在来特急との接続などを待って
いるもんだから、距離の割には時間を要した気がする。

もと東海地方在住者によれば、JR東海は新幹線に比べると
在来線を非常に冷遇しているとの由。まあ実際、旅客量も
収益も、在来線旅客の占める比率は小さなものであろう。

さらに近年ではモーダルシフトの流れが加速しており、
貨物路線として在来線の重要性が高まっている様子だ。
以前、寝台特急に乗ったときも、すれ違う貨物をよく見た。

加えて今度は、リニア実用線の計画も持ち上がっている。
時間をカネで買いたい旅客は多いから、収益も期待できよう。
幾重にもバイパスされた日本の大動脈は、さらに太くなる。

一方で在来線旅客の冷遇は、さらに進むのだろうか。

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2008.10.08

理系用語で読み解く社会(32) 感性の法則・組織片

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たとえば法人組織や官僚組織などが、
しばしば世論の激しい非難を受けてようやく
重い腰を上げて遅きに失した対処に乗り出す
などという構図は古今東西尽きぬもの。

いったん動き出すと方向転換が難しく、
本当にダメになるまで諦めるコトをしない。
これは、組織が持つ性質だ。

そもヒトには各自の感性質量に由来する慣性力があり、
理性が加減速や方向転換の必要ありと判断したときも、
なかなか容易にそれをできなかったりするものである。

すなわち組織の慣性力とは、
組織を構成するヒトビトの慣性力の集合であるのか。
否、のみならずヒトヒト間の情報伝達意思疎通に要する
時間が加わり、さらに遅延して作用する性質を持つ。

ある組織の活動の一部に問題があって
それを止めようとするような場合、
中のヒトビトがそれぞれ個別に判断して停止されるなら
それは個人と同レベルの素早い動きとなるが、
ヒトビトそれぞれの判断が行われない組織であれば
指揮命令系統を通じた伝言ゲームとなるのだから、
そりゃ時間がかかって当然といえる。

下手すればピラミッドの頂点でなければ
判断を下せないような組織体制でありながら、
その頂点の席に座ってるのが判断を先送りして、
さらに手遅れの度合いを高めたりするケースもある。

ひっくるめて言おう。

この組織というのは、言うまでもないコトと思うが
企業や各種団体や官公庁などの「働くヒトの集団」
に限るハナシではなくて、たとえば自治体のような
「生きるヒトの集団」やら、教育機関の「教える/
教えられるヒト集団」も含まれるし、さらには国家
までも含めて、基本的に当てはまるものである。

それこそ、明確な指揮命令系統さえ確認できない
(しばしばインターネット上に出現する)烏合の衆
なんてのだっても、この慣性力だけは持っている。

つまりもともとヒト集団が持つ特性としてあるのが
この強力な慣性力というワケであり、組織として
指揮命令系統を整備するのは、慣性力を制御し、
必要なときに迅速な方向転換を可能にしようとする
ヒトの工夫だったというワケだ。

まだまだ工夫が足りないのね、ヒトて。

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2008.10.07

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(6) 詐上の楼閣

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ヒト集団は砂の山のようなものか
巨大な砂山になれば砂粒一つひとつは大差ない
放っておけばどんどん崩れていくけど
それより速い勢いで積んでいくなら巨大化ができる
けど地盤を波に浚われて一瞬で崩れたりもする

その砂山の安定した姿といえば
いわゆる「ピラミッドの角度」になるのだろうけど
効率を最大限にすべく急角度にする組織ばかり
だから余計に脆い

もっと酷いことには
砂粒一つひとつを支える力が心理状態に依存するコト
だからいったん崩れ始めると
落ち始めた砂粒の慣性力が一気に下の層に加わるために
ものすごい勢いで崩壊していくのが常である
それこそ安定姿勢以下にまで

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2008.10.06

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(5) 驕れる者よ、久し振り

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ひたすら過去から未来へと自由落下を続け
時間というエネルギーを解放し続ける世界
その中でヒトは時間を惜しみカネに変換し
拡大し続ける欲望を満たそうと必死になる
こんな欲望ドリブンな構造なのがヒト社会

ヒトを動かす欲求の中には恐怖感に由来する衝動なども
しばしば含まれていて、それは生存本能に直結したもの
なのだけど、たいてい脅威よりも過剰になりがちであり、
却って周囲に同種の衝動を抱かせるコトも少なくない。

世の中ってのは上しか見ない人間が上に行くものだから、
欲望や欲求やそれに類似する強い動機付けのある人間が
社会の方向付けをする立場に向かっていくものだから、
そりゃあ社会全体が暴走したって致し方ないだろうよ。

いずれにせよ欲望欲求の制御は難しいものだ。
満足した途端に欲望は他より劣るコトとなり、
驕れる立場は誰もが狙うものであるのだから、
よりギラギラした欲望の持ち主に奪われよう。
まあそれこそ「盛者必衰の理」ってワケだね。

それにしても、強い欲望の持ち主が求める座だけは、
この世の中にずっと変わらずあり続けるのだろうか。

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2008.10.05

たまには時事ネタ(32) 「そして彼らはカメを選んだ」

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党派争いをしない政治家は、いませんか?
政治屋の罵り合いなど見たいワケではない。
そんなの、もうウンザリだ。

自由な選択肢を提供しますと雁首並べられてもな。
どの首を据えても結果に大きな違いが想定できず
消去法でしか選びようがない候補が並んでいたり、
選挙といいつつ実態は完全に出来レースだったり、
あるいは「究極の選択」的選択肢だったりしては、
選ぶ自由など感じられようか。

しかもただでさえ選択を「迫られている」のだ。
選択しない自由は実質的に存在しないようなもの。
選択したくない人がいても、それは自らの選択する
権利を放棄しているだけに過ぎず、他の人たちが
決定した内容を受け入れる以外にないのが社会だ。

いろいろと難しい課題があるコトくらい知ってる。
だからこそ先送りをしないでほしいと思っている。
それこそ勢力争いより先に、やることがあろうと。

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2008.10.04

理系用語で読み解く社会(31) 沸き立って泡と弾ける世界

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それにしてもバブルなんて、すっかり過去の話題と思っていたのだけど、
今は新たに米国から欧州へと波及して世界規模の金融不安になってきて、
かつての日本における失敗から果たして何を学んだのかと疑問に感じる。

もちろん、言葉の上では同じものながら構造そのものは違うであろうと
思っているのだけれども、さらに根本を探ってみれば、資本主義が持つ
「カネがカネを生み出す」的な共同幻想の行き着くトコロは一緒だろう。

夢を膨らませるのはヒトの知性あってこそ。
その夢を現実にするのもまたヒトの知性の為すトコロ。
ヒトは現実をさらに超えた夢を抱き現実のモノとしていって、
来し方を振り返る暇も惜しんで先へ先へと夢の梯子を登っていく。

世界が拡大し続ける中で気圧は下がり続け
液体の沸点は下がって沸騰しやすくなる。
ちょっとした熱量でも突沸してしまい
器の外にまで飛散させたりもする。

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2008.10.03

たまには時事ネタ(31) 混ぜるな危険。だって世界は繋がっているから

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カネが融けて流動性を持つと、他のカネを取り込んで混ざり合い、
リターンとリスクを伴って戻ってくる。これぞ天下の回し者、と。

まあそんな錬金術は天の下、人の間でのみ通用するのだろうけど、
このカネってのはモノの代替品なワケで、モノと同様にヒトの間や
ヒト集団の間を行き来していくのだから、そんな流通網に汚染が
入り込んでしまえば、どこまでも広がっていくというワケだな。

要するにリスク汚染された金融商品は、まさに食品汚染と変わらず、
また新種の感染症などと同じく、全世界へGOしてしまうのであった。

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2008.10.02

吹出物は、処限る

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自営業だし、一人で作業する時間が長いものだから、
どうしても生活が不規則になってしまいがちである。
食事や睡眠の時間など、非常に変則的で一定しない。
疲労が溜まるときもあるし、ときには深酒もする。

このような生活が続いたときなどは吹出物が出やすい。
主に肩や上腕、大腿部などで多いのだが、それに限らず
毛穴があるところ、ほとんどいたるトコロに出てくる。
頭皮や眉、髭などにも出たりすると、ちょっと痛痒い。

場所によっては、他の理由で困ってしまうコトもある。

鼻腔に出たときにも、いろいろと不便を感じたものだが、
先週など、ほぼ同時に両方の膝に出てしまったもんで、
なにげなく座ろうとした瞬間、あの微妙な痛みを避ける
ことができないという状況に陥って、嫌な感じだった。

こんなのが、少し多めに出てきたとき、ふと思った。
もしこれが身体内部に出来てしまったら困るな、と。
消化器系だったらどうなるだろうか、循環器系なんか
どうなるだろうか、神経系ではどうなってしまうか。

でも、それこそ杞憂の如きものであるなと、考えた。

膿は、雑菌が免疫系に駆逐された結果として出るもの。
特に毛穴は、身体の外と繋がっているけれども深部にも
近いし、構造的にみても、ちょっとした体調変化などで
雑菌の勢力が強まったとき膿が溜まって吹き出やすい。

毛穴であれば何処であろうと出る可能性があるけれど、
逆に毛穴でないトコロに出る可能性は、おそらくない。
だから安心だ。何の心配もないじゃないか。なにしろ、
この胸にある心臓には毛が生えてるワケでもないから。

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2008.10.01

自称逸般塵の不通の日記(37) 醜聞の日は過ぎたけど

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季節の変わり目だからかもしれないが、ここ2週間ほど
24時間に2度の睡眠をしてたりする日々が続いている。
こりゃ「ネズミの時間」? てコトは寿命縮めてる?
それは嬉しくないね。と考えて生活サイクル再構築中。

時間の感覚というのは生活サイクルで変わってくる
ものなのだというのを今まさに実感しているトコロ。
2度寝といっても合計すれば7時間前後なので一般的な
睡眠時間ではあるんだけど、24時間を長く感じたのだ。

2日分というトコロまでは至らぬにしても1.5日くらい
になるのではないかという時間の密度は、ちと重たい。
寿命にも影響するかもしれんと感じたのは、そのせい。
少なくとも疲労感がなかなか消えないのは間違いない。

しかしいくらなんでも、5日天下ってのは短すぎだろう。
ここんとこ毎回のように繰り返される組閣直後の辞任劇。
実動1週間などというのは仕事してないも同然なワケで。
むしろ世の中を騒がせた分、マイナスだと思うくらい。

いつまでもこんなのを排除できない政治屋の世界というのは
自浄能力が欠如しているのではないかと疑わざるを得ない。
どこの党派が、というのではなく、もう主要党派全般どれも
信用できない時代に、なってしまったような気がするなあ。

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