« 自称逸般塵の不通の日記(45) 未来官僚形 | トップページ | たまには時事ネタ(36) あとは流すだけ、では済まされない »

2008/12/13

半生紀(21) コントロールされた失敗についての考察

20081213_20081030697s


幼い頃の記憶で、たぶん小学校低学年だったはずだが、
「失敗」は「しゅっぱい」と読むものだと思い込んでおり、
しばらく後になってから、それは違うぞと指摘されたコトがある。
たぶん、指摘してくれたのは兄だったと思う。

そんなふうに、間違いを指摘される経験は、
幸いにして小さい頃には多かったようだ。
三人兄弟の末っ子だったせいもあり、特に幼少時は、
両親だけでなく兄たちからも、かなり教えられた。

そして、注意深く思慮深く、かつ忍耐強くあった方が
どちらかというと心理的損害を小さくできるものだと
体験的に学んできたので、できるだけそうしている。
もちろん能力的に及ばぬ部分は少なくないのだけれども。

そりゃあ、生きていく上で心労は常につきまとうもんさ。
だけんど、「誰をも恨まずに済むような論理の道筋」とか
「苦労や心痛を少しでも良い方向に転ずるコトができたときの嬉しさ」
なんかを知ってしまうと、もっともっとそれに長じたくなるってもんだ。

ああ、それで「若い頃の苦労は買ってでも」となるのか。

|

« 自称逸般塵の不通の日記(45) 未来官僚形 | トップページ | たまには時事ネタ(36) あとは流すだけ、では済まされない »