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2008.12.12

自称逸般塵の不通の日記(45) 未来官僚形

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ある日、部屋を片付ける上手な方法について、
整理整頓を得意とする友達にアドバイスしてもらおう
かなと思ったとき、ふと気付いた点がある。

当たり前のように成功しちゃってる人に聞くよりは
失敗しつつも考えに考えて成功させたような人の方が、
むしろ参考になるハナシが聞けるかもしれんな、と。

実際、ある事象が自然であることを説明するには、
それが不自然であることを示そうとする場合よりも、
より多くの言葉を費やさねばならなかったりする。

基礎的な単語を詳しく解説するつもりになれば、分かるはず。

だけれど、何の気なしに成功してしまった人であれば、
自然であるコトを説明するに足るだけの情報を
実は持ち合わせていなかったりするのである。

だから成功体験だけでモノゴトを語ったり、
あるいはこんなふうに開き直ってみたりする。
「当たり前のことを、アタリ前田と言って何が悪い」

一方、成功してない人では、その道筋も示せない。
だから失敗と成功の両方を体験した人にこそ、
ハナシは聞く価値があるというワケである。

このことは、非常に広い範囲に応用できるんじゃないかと思う。

たとえば、ある組織を作る場合、最初のうちは
試行錯誤しつつルールを決めて体制を整えていくので、
そこに関わった人たちの多くは全員が語れるだろう。

しかし組織が安定期に入ってくれば、後から人が
入ってくるから、すでに成功してる状態しか知らない
ような連中の比率が多くなっていく。

その彼らは、環境の変化や新しい挑戦などに際して、
「当たり前」を説明できぬまま取り組まねばならず、
ときに大きな失敗に突き当たってしまう危険がある。

それこそ、「とても考えられないような初歩的なミス」とかね。

どうにも、そこには近年の社会の動向なども、
影を落としているように思えてならない。
核家族化や少子化、地域社会の希薄化などなど。

「当たり前」を説明するだけの経験が得られないまま
組織に入らねばならないのだから、むしろ彼らは
社会の被害者だったりするのかもしれないが。

エリート集団の脆弱性というのも、根は同じだ。
旧軍の中枢なども、エリート中のエリートであって
ほとんど成功しか知らぬまま成人したのではないか。

おそらく官僚などというのは、古今東西そんなもんなんじゃないか。

何故か企業とは違って学業成績の優秀さを求められ、
試験の成績ばかりが評価されるもんだから、常に
成功を続けてきた希有な連中しか、そこに入れない。

小さな失敗を体験する機会が他の人より少なく育ち、
しかし組織に入ってしまえば大きな権限を与えられ、
あとは、組織内の当たり前を当たり前に実行するのみ。

その中でちょっとした失敗をしたとしたって、
組織そのものは非常に巨大だから気にも留められず、
結局そこでも小さな失敗体験を積むコトができない。

これは、まさに最後に巨大な失敗をしでかすための構造的欠陥。

だが大失敗があっても、組織的に隠蔽を試みたり、
あるいは個人の責任とて即座に懲戒してしまう。
組織の責任としては、やはり不問のままになる。

もっと巨大な、それこそ組織どころか国家そのものをも
破壊しかねないような深刻な失敗をしでかすまでは、
きっと容易に止まるモノではないのだろう、組織てのは。

一般的に災害てのは規模が大きいものほど頻度が低い。
こういう巨大な人的災害の頻度は、やはりヒト個体の
寿命に比して長いから、教訓も亡霊化しいてたりする。

ここで、既に死んだ教訓を再生させてやりたい。どうするのか。

一つの案としては、人材のスペクトルを広くするコト。
もちろん、波長が揃わないので業務効率は低下するが、
特定波長で見落としてしまう異物も検出しやすくなる。

それには、組織内の「当たり前」に疑問符をつけるコトが
できるような人材、たとえば他の職業で多年の経験を持ち、
かつ所属してきた組織の中で発言力のあった人物がいい。

要するに幅広い年齢層で中途採用してみろというワケ。
もちろん、そういうのを主流にしろというのではないが、
ある程度の比率で加えて、混和させる必要があるだろう。

あるいはマネジメントなどの実力者を招いてくるのでもいいだろう。

また、人材の流動性を期するなら、できればヒトを
外に出すような方向でも考えてほしいトコロである。
もはや民間企業では終身雇用も崩れているのだから。

それから、小さな失敗を経験して成功に結びつける
ことのできる場も、内部に設けておいてほしい。
これもまた、より大きな失敗を避けるための施策。

しかし、より良い方向を目指すのであれば、社会全体が
未成年のうちから小さい失敗を積み重ねていくような
仕掛けを用意しておければ、それに越したコトはない。

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