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2008/12/08

科学系ヨタ話(9) 喉元過ぎれば熱さを忘れるけど災害は忘れた頃にやってくる

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災害社会工学が専門の、ある教授の講演で、こんな内容のハナシがあった。
「提供される情報が高度化するにつれ、受け手は情報依存を強めてしまう」
受け手の主体的姿勢が失われ、情報は受け手が何もしなくても自動的に
『貰えるもの』と認識されるようになってしまうのだ、と。

ある水害被災者は、教授のヒアリングに対し、こう語ったそうだ。
『堤防が決壊して自宅まで水が来ていたけど、市が避難勧告を出さなかった
もんだから逃げられなかった。勧告を出さなかった市の責任は重大だ』
教授は「このコメントに引っかかりを感じた人は、まだ正常です」と言う。

何故このような傾向が生じるのか、という考察は長くなるので省くが、
いずれにせよ、ヒトの自己家畜化現象の一例といって間違いないだろう。
対策として教授は、「内発的自助意識」を促すことが望ましいとしている。
『自分の命は自分で守りたい、だから情報が必要だ』といったような意識が。

しかし、当事者意識を高め維持するのは容易なコトじゃないような気がするよ。
なにせ災害に直面する頻度というのはヒトの人生を見渡せば非常に低いもので、
次の機会は、貴重な経験が風化しきって忘れ去られてから、という可能性も
実際には非常に多いんじゃないか。そんな気がしてならない。

このことは、広域に及ぶ自然災害に限ったハナシではないだろう。
たとえば交通事故であったり、詐欺などの犯罪被害だったり、それから
金融危機のような経済問題などにしても、たいていヒトは他山の石を拾わず
対岸の火事を見物し、同じ轍を踏んだ挙句に、後悔先に立たずとなる。

歴史は繰り返すなんてのも、実に名言だ。

こんな、ヒト全体が持つ構造的欠陥を、どうフォローしていけば良いものか、
まだまだあれこれと考え巡らせていかねばならぬようである。

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