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2008年12月

2008/12/31

自称逸般塵の不通の日記(51) もうひとつねるとおしょうがつ

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年越しで持ち越しの懸案事項が
今年もまたいくつもあった

どうせ毎年いくつもあるので
一つひとつ気にしてはいるが
ソレを気に病んでも致し方なし

来年もまた何ぞ持ち越すだろうし
死ぬまで解決せぬ物事もあろう

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2008/12/30

来る年の計

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実は大学の恩師から、高校教員にと誘われている。
そのコト自体は、非常に嬉しく思っている。

でも、注目を集めず脚光を浴びず密かに役立つのが
好きだという、あまりにも偏屈な性質だもんだから。

それゆえに、表に立つような職種というのは、
あんまり相応しいものではないのかなとも思う。

しかし、あんまり長く悩んでいても致し方ない。
いいかげん、そろそろ考えを固めないと、な。

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2008/12/29

自称逸般塵の不通の日記(50) 自由困難者たち

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丼飯屋で、通路を挟んだ向かいのテーブルに座った2人の若い男。
彼らの会話が否応なしに耳に入ったので、食いながら聞くことにした。
不慣れな丁寧語や、ポットの茶の注ぎ合いなどに見受けられる、微妙な距離感。

イベントか何かで知り合ったばかりなのかもしれない。
それぞれの仕事のコトを語っており、一方の男は自由業だとか。
もう一方より少しだけ年輩かとは思うけど、どっちにしろ若い。

車の部品屋か何かに勤めつつ、たまに「便利屋」をやっているという。
「それで食えるなんて、スゲーですよ」と持ち上げる相手の男。
他人に拠らず仕事を得られるというだけで称賛に値するのだろう。

そんなに驚嘆されるものだとは、思っていなかったので吃驚した。
思えば、もう何年もの間、企業や団体に所属せず暮らしているのである。
周囲にも自営業は少なくないから、すっかり普通だと思いこんでいた。

こういった存在が、未だ社会においては特異なものであるとの認識を新たにした。
また、そんな特異な存在でいられる素質というのは、ひょっとしたら希少なのではないか。
それゆえに、このような生活を、もっと続けてみたいものだと思ったりしている昨今である。

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2008/12/28

理系用語で読み解く社会(36) 地盤沈下は不均等になりがちな件

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年の瀬も押し迫ってきた。
郵便局では年賀状の仕分けや配送に大量のアルバイトを雇う時期だ。
ひょとしたら今年は、かなりの応募者がいたのではないだろうか。

この年末年始、派遣切りなどで職を失った人たちのためにと、
職を提供しようとする企業や団体も少なくないと聞く。
地方自治体をはじめ、居酒屋チェーンや学習塾などが目に付いた。

一方で自動車業界や電子業界などは人を置いておくのも無理であるらしい。
それだけ効率が重視される商売になっているコトを示しているのだろう。
しかも輸出依存だから諸外国の不況や円高で大きな損失を被っている。

でもそれだけではないんじゃないだろうかね。
むしろ会社に残る人間たちの給料を維持するために、
雇いきれなくなった人々を切り捨てているのではないか。

かつては労使交渉の中で全体の給与水準が決まっていた。
右肩上がり経済の中では、それで上昇の度合いを決め、
成功を数多くの社員が全員で分け合っていられた。

けど今は逆に縮小傾向にあるものだから、難しい。
業績悪化を全員で分け合って減額するような交渉など、
労働者側の心理としても、容易には受け入れられない。

だから労使交渉も、せいぜい増額なしという妥結になる。
でも景気悪化は確実なものであり、多くの企業では
業績も落ちると見込まれるから、どこか削らねばならん。

そのため口減らしが必要となり、人員削減が行われる。
最近は「正規」「非正規」の区分で労働者が分断されて、
その切れ目が、蜥蜴の尻尾として使われている構図だ。

景気悪化と軌を一にして物価下落が生じるのならば、
もしかしたら「減額」妥結もあり得るのかもしれないが、
景気後退局面に格差が増大する傾向は普遍な気がした。

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2008/12/27

たまには時事ネタ(38) 卵も鶏も同時に変われ。あと鶏舎もな。

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内定キャンセルが相次ぐ今年度。
救済策として「留年として扱い、学費減額」という措置を執る大学もあるという。
はて、大学てのは、何だったか。

いや、むしろ問題は大企業にある。
新卒しか採用したがらないものだから、こんな事態を招いているのではないかと。
その背景を、少し考えてみた。

おそらくは大卒の成績優秀者を
選抜して社内のエリートコースに乗せ、研修や実際の勤務を通じて幹部候補を
育て上げるのが目的と思われる。

終身雇用と右肩上がりの経済、
そして大学生が持つ勤労意欲の高さを前提とすれば、高い忠誠心の社員を育成
するのに効果的だったであろう。

大卒が高卒や中卒より勤労意欲が高い頃にはエリート育成に役立ったのも当然。
右肩上がり経済の中で自社も成長するはずとして解雇は考慮されていないだろう。
終身雇用が前提だから中途採用はあくまでも補助的な扱いとならざるを得なかった。

しかし、今の時代にそれが相応しい方法だとは、到底思えない。
終身雇用など崩壊したも同然、経済は右肩下がりになっており、
しかも「全入」大学生に勤労意欲など期待できる時代でもない。

まず経済界の連中がアタマを切り替えて人材活用を考え直し、
それに呼応して大学の側も学生の社会教育をしっかり考慮し、
さらに加えて無職無業への補償制度も充実してもらわないと。

てなワケで、お得意の「産学官連携」の出番ですよ、と。

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2008/12/26

どっちが良いというワケでもなく

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猜疑心だとか不信感だとか、
そんなモノでココロを囚われてしまうのは、非常に口惜しい。
それがもとで駄目になってしまった人間関係なら、もう飽きるほど見てきた。
だからせめて信じるコトにするよ。

もちろん逆に、楽観にのみ基づく過信は慢心に繋がり、
これもまた大きな問題を招く危険があるコトも知っている。
安定しているように見える状態のときに危険の芽が育つ。
だから危険の兆候は見逃さぬよう、警戒心は僅かに残しつつ、だ。

なかなか両立というかバランスを取るのは難しい。
でも、野生状態とは異質の危険が数多く潜む人間社会の中で
互いに信じつつ生活していくためには、そうでもせねばなるまい。
だから、せめて努力と工夫を絶やさずにいたい。

案外、両極端でもいいんじゃないかな。
バランスが取れていれば。
そしてそのうちに中間的なポジションも
ひょっとしたら可能になるだろうから。

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2008/12/25

不信感からくる孤立

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目の前の相手を負かそうとするばかりの人たち
命令や指導ばかりしたがる人たち

こんな人たちが最近増えているような
気がしてならない

かれらが相手の意思を尊重していないことは
その言動が明確に示している

でも交渉のテーブルにいる相手だけでなく
その周囲には多くの観客がいる

なんでみんな一人で勝負したがるのかな
他人を信用してないからかな

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2008/12/24

自称逸般塵の不通の日記(49) 期待はアテにせず

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臆病者であるコトは、恥じるべきではない。
リスクを常に忘れないのが取り柄なのだから。

ある日のこと、地下鉄に乗っていたら、
次の駅を案内する自動音声が、一駅違っていた。
続いて車掌の声がスピーカーから響く。
「車内アナウンス装置が故障」という。
おそらく一時的にロケーションを見失ったのだろう、
ドア上のLED表示も自動音声アナウンスと同じく
1駅手前の情報を出していた。

これで車掌の作業負荷が高まって、
安全監視が疎かになったりしたらどうするんだろ。
……とか、余計な心配をしていたものの、
2~3駅ほど進むうちには直っていたので、
まあひとまず安堵した。

人災ってのは非常に厄介なもんだ。
いろいろな意味で避けるコトが非常に困難なので、
むしろ回避できないものとして対処するのが望ましい。

ただし、期待しないってのは信頼していないってのと
ほぼ同義なので、そこは注意しておかんとね。

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2008/12/23

自称逸般塵の不通の日記(48) 江戸っ子は「ひ」と「ち」の区別がつきにくい?

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先日、“大人の修学旅行”に、行ってきた。
散歩好きの友人が企画したイベントだ。
主に写真担当として参加した。

友人曰く「強行軍」だけに、相当な距離を歩いた。
機材もずしりと重たく、足腰に気をつけつつ歩く。
どうにか、関節を痛めたり筋肉痛になったりせず済んだ。

東京の歴史は、徳川入府以来の400年あまりが中心だ。
近現代の明治大正昭和を通じて日本の政治経済中枢として
あり続け、また、いろいろな事件の現場でもあった。

埼玉に生まれ育って東京に暮らしていると、
実際に歴史を目の当たりにする機会は、やはり少ない。
改めて、東京は広くて奥深いものだと思う。

しかしそれにしても、思った以上に火災の多いこと。
立ち寄った寺院などの建造物には、「失火で失われた」
過去があるものも多い。これは修学旅行の隠れテーマ(?)

まあしかし、江戸~東京てのは多くの人々が暮らす場
でもあったのだから、火の気も少なくなかったワケだ。
江戸っ子だと、血の気も多かったようだけれども。

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2008/12/22

自称逸般塵の不通の日記(47) 師走のある日。戦力の逐次投入は戦略的に不利であるコトを改めて実感

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午前中の仕事を終えて昼寝をしていたらu君から電話。
「打ち合わせの帰りに仕事の相談をしたい」
駅前のファストフード店で食事がてら喋っていた。

夕方、店の窓から見える駅では、ずいぶん長い時間、
電車が止まっているのに気付く。運行情報のサイトを
みてみれば、人身事故があって遅れているとのこと。

と、Bからメールが。「ひま?」
帰宅途中の駅で、停車したままの列車内にいる模様。
ただ待つより、いったん降りて食事したいのだろう。

駅に出て合流し、3人で夕食。その後は軽く飲む。
慌ただしい時期ではあるが、ゆったりとした時間だ。
しかし、さらにそこにメールが。

u君の彼女が仕事帰りで、「はらへった」というのだ。
やはり同様に、遅延して混雑している列車で疲れた模様。
またもや駅で合流して4人になった。

遠くまで帰宅せねばならぬBは、ここで脱落。
そして残る3人は、またも駅前で軽食を取る。
さすがに最後はソフトドリンクしか入らなかったぞ。

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2008/12/21

売買が成立した時点で同罪なのです

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喧嘩が嫌いなら、売らないのは当然、
買うのもなしだろうと。
それじゃ嫌なコトをする相手の、
真似をしてるだけだよ。

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2008/12/20

弱り目に祟り目の贔屓目な流し目で涼しめに諦めずに企め

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考え続けて煮詰まったときは
散歩するなど気晴らしをして
新しい気持ちで取り組むといい

先刻までの袋小路にいたのとは
違う視点に立てるようになって
思わぬ抜け道が見えたりする

そういう手間暇は惜しまぬがいい
高い壁に囲まれて狭い視野のまま
幕切れになってしまうよりは

何らかの外的要因を期待したり
あるいは終わるコトを待ったり
解決を諦めたりするよりは

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2008/12/19

「いただきます」「ごちそうさま」の倫理

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食事の前後の挨拶の言葉の意味を、ふと思う。

日本においては神様に感謝するというよりむしろ、
目の前の食事に至るまでに関わった人たちの手間暇
すなわち「馳走する」行為に対するものであったり、
生命を食事として提供してくれた存在すなわち
目の前の食物となった動植物に対して直接、
感謝するものだと、いうような認識がある。

目の前のモノへの感謝てのは、とても即物的な
印象を持たれるかもしれないが、これはこれで
それなりの意義があるのではないだろうか。
たとえば「食うか食われるか」というのでなく、
「食わせるか食わせてもらうか」といった意識を
持つ可能性だってあるのではないかと思う。

一方、「見えざる手」を通じたカミサマの思慮
への感謝では、目の前の食物など自動的に出てくる
モノと思われる可能性も、ないワケじゃない。
食うだけの人間が、家畜に感謝するだろうか。
家畜というのはヒトに食われて当然の存在だと、
そう思っているのではないかと、穿って思う。

彼らの視線の、その延長線上で、捕鯨などを
考えれば、まあ確かに搾取的な行為となろう。
それは近世近代の彼らの歴史が示す通りだ。
どっちが善か悪かと決めつけたいワケではない。
ただ、根本的な違いを認識する努力を怠って
くだらない争いをするのは、いただけない。

お互い、溝を埋めるために「馳走」しなよ、と。

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2008/12/18

茶色の大瓶

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とはいえ、銘柄限定だが瓶ビールも好きだ。
(特にラガー系なら生と瓶との差が少ないし)
なにせ瓶でしか飲めない銘柄もあるので。

この銘柄は、扱っている店も多くない。
居酒屋で瓶ビールを注文したとき、
赤い星が出てくると妙に嬉しくなる。

これも、肴によるが、何杯でも飲める。
缶入りで販売されたコトもあるというが、
瓶詰めの味わいが期待できぬから興味はない。

しかし逆に、銀色ラベルのが出てくると
たいてい次には別の酒を注文してしまう。
一杯目ならともかく、連続で飲むと飽きる。

あの銀色のヤツは、日本人の味覚に合わせて
あっさりさっぱりすっきり喉越し重視の、
いうなれば淡味辛口に作られているらしい。

このコンセプトに照らしてみると、おそらく
味わいなどむしろ邪魔な存在となるのだろう。
味が薄いから、たいていの料理にも合う道理。

そりゃあ「水」が合わぬ料理などなかろうよ。
占いなどで使われる「フリーサイズ効果」
などにも似た、ようなイメージを受ける。

でもね、味わいのある酒ってのは、料理の
味わいとの相乗効果で、もっと旨くなるのよ。
その相性を上手に合わせて飲み食いすれば、ね。

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2008/12/17

自称逸般塵の不通の日記(46) 食わず嫌いでは旨くない

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「生ビールはギネスだけだというと、
敬遠されるお客さんが多いんですよ。
『黒ビールは苦いからなあ』って……」

駒場東大前駅近くの小さな立ち飲みバー。
マスターのS氏が、残念そうに言う。
S氏が注いでくれるギネスは、しかし旨い。

苦みどころか甘みを感じるほど円やかな味。
ここのギネスなら何パイントでも飲めるぞと、
仲間内で寄ればギネスばかり注文している。

生ビールは注ぎ方が味わいを大きく変える。
上手の手にかかれば、瓶や缶のビールとは
全く異質な飲み物になってしまうものだ。

しかもその格差は、ラガー系では小さいが、
ギネスなどの黒ビールでは非常に大きい。
中身が濃いものだから、そうなるのだろう。

缶入りの黒ビールを飲んで、苦い、不味い
と感じてしまった人たちは不幸なのである。
というコトで、我々はS氏に提案をした。

「もし文句を言うなら、まず味わってから。
小さなグラスで安く出して試してもらおう。
飲まず嫌いは、彼らにもギネスにも勿体ない」

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2008/12/16

たまには時事ネタ(37) 爾後国民生活を対手とせず?

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ところで、先の金曜夕方に行われた会見については、
オンライン番組表を見ていて存在を知っていた。
忙しかったしウザそうなので生放送では見なかったが。

後でニュースを見てみれば、やれやれだ。
ずいぶんと大風呂敷を広げたもんだなあ。
でもその目玉だという減税は誰に向けたものか。

景気浮揚が目的だから当然といえば当然だが、
持ち家どころかマイカーにも手が届かぬ層には
ほとんどメリットがないあたりが、まあアレだ。

革新貴族ってコトバを思い出してしまったよ。

そりゃ確かに、政治家ってのは大局を見て
それなりの時間軸を意識した上で政策を立て
実行するのが仕事だろうけどもさ。

でもね、そういうトコロで景気が良くなった
としてもだよ、住宅だのやクルマだのは夢物語という
程度の生活水準の人には、その景気も届かない。

21世紀の日本は、そういう構造になってるから。
既に直近の「いざなぎ越え」とやらで実感して
いるから、ほぼ間違いないと思うんだな。

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2008/12/15

今の日本は企業社会主義国家か、と思ってみたり

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むしろ底辺の生存が危ぶまれる層を中心として恒久的な
セーフティネットの充実を図ってやるべきではないか。

そも皆が苦労する時代になると、良心的な社会であれば
たいていは社会保障の強化が進むものであって、得てして
これまで楽をしてきた層が相対的に強く不満を抱く構図。

それは既得権を奪われたという思いからくる逆恨みでしか
ないのだけれどもそれはとても根強く残るものであって。

だとすれば企業が金を出し合って、その必要とする労働力プールを
安定した状態に保つための仕組みを作るのが望ましいのでは?

低コストで手軽に使い捨てられる労働力があるおかげで
企業は成長してきたのだから、それを保護してしかるべき。

ローリターンな仕事をする人たちにはローリスクで
生られるように計らう一方、ハイリスクな仕事の人たちには
ハイリターンを与える、それでいいんじゃないか。

長期的にみても、決して悪くないハナシだと思う。
そのための具体的な仕組みを考えてみたいものだ。

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2008/12/14

たまには時事ネタ(36) あとは流すだけ、では済まされない

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物体が限界に達して破断に至る前には、たいてい、その予兆が出ているものである。

最近になって、派遣切りや新卒内定キャンセルなどがニュースを賑わしているが、
「解雇されるかも」と自暴自棄になった男が半年前にいたのは覚えているはず。

それはあたかも、破壊寸前のコンクリート塊がひび割れて飛び散った破片のような。

この破片ならぬ派遣社員は、激しく弾け飛んで、周囲をひどく傷つけたのだった。
社会の圧力が弱い部分に集中し、彼を異常なまでに加速したというコトなのだろう。

犯罪は許されぬものだが、それとは別に、背景の分析と再発防止策も欠かせない。

構造的に弱い部分を作っておいて、それをフューズにするのは、機械を設計する
上では間違いではないけれど、社会を設計する上では、大きな間違いであろう。

切れていいor切られていい、などという扱いは、人を扱うに適当ではないのだから。

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2008/12/13

半生紀(21) コントロールされた失敗についての考察

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幼い頃の記憶で、たぶん小学校低学年だったはずだが、
「失敗」は「しゅっぱい」と読むものだと思い込んでおり、
しばらく後になってから、それは違うぞと指摘されたコトがある。
たぶん、指摘してくれたのは兄だったと思う。

そんなふうに、間違いを指摘される経験は、
幸いにして小さい頃には多かったようだ。
三人兄弟の末っ子だったせいもあり、特に幼少時は、
両親だけでなく兄たちからも、かなり教えられた。

そして、注意深く思慮深く、かつ忍耐強くあった方が
どちらかというと心理的損害を小さくできるものだと
体験的に学んできたので、できるだけそうしている。
もちろん能力的に及ばぬ部分は少なくないのだけれども。

そりゃあ、生きていく上で心労は常につきまとうもんさ。
だけんど、「誰をも恨まずに済むような論理の道筋」とか
「苦労や心痛を少しでも良い方向に転ずるコトができたときの嬉しさ」
なんかを知ってしまうと、もっともっとそれに長じたくなるってもんだ。

ああ、それで「若い頃の苦労は買ってでも」となるのか。

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2008/12/12

自称逸般塵の不通の日記(45) 未来官僚形

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ある日、部屋を片付ける上手な方法について、
整理整頓を得意とする友達にアドバイスしてもらおう
かなと思ったとき、ふと気付いた点がある。

当たり前のように成功しちゃってる人に聞くよりは
失敗しつつも考えに考えて成功させたような人の方が、
むしろ参考になるハナシが聞けるかもしれんな、と。

実際、ある事象が自然であることを説明するには、
それが不自然であることを示そうとする場合よりも、
より多くの言葉を費やさねばならなかったりする。

基礎的な単語を詳しく解説するつもりになれば、分かるはず。

だけれど、何の気なしに成功してしまった人であれば、
自然であるコトを説明するに足るだけの情報を
実は持ち合わせていなかったりするのである。

だから成功体験だけでモノゴトを語ったり、
あるいはこんなふうに開き直ってみたりする。
「当たり前のことを、アタリ前田と言って何が悪い」

一方、成功してない人では、その道筋も示せない。
だから失敗と成功の両方を体験した人にこそ、
ハナシは聞く価値があるというワケである。

このことは、非常に広い範囲に応用できるんじゃないかと思う。

たとえば、ある組織を作る場合、最初のうちは
試行錯誤しつつルールを決めて体制を整えていくので、
そこに関わった人たちの多くは全員が語れるだろう。

しかし組織が安定期に入ってくれば、後から人が
入ってくるから、すでに成功してる状態しか知らない
ような連中の比率が多くなっていく。

その彼らは、環境の変化や新しい挑戦などに際して、
「当たり前」を説明できぬまま取り組まねばならず、
ときに大きな失敗に突き当たってしまう危険がある。

それこそ、「とても考えられないような初歩的なミス」とかね。

どうにも、そこには近年の社会の動向なども、
影を落としているように思えてならない。
核家族化や少子化、地域社会の希薄化などなど。

「当たり前」を説明するだけの経験が得られないまま
組織に入らねばならないのだから、むしろ彼らは
社会の被害者だったりするのかもしれないが。

エリート集団の脆弱性というのも、根は同じだ。
旧軍の中枢なども、エリート中のエリートであって
ほとんど成功しか知らぬまま成人したのではないか。

おそらく官僚などというのは、古今東西そんなもんなんじゃないか。

何故か企業とは違って学業成績の優秀さを求められ、
試験の成績ばかりが評価されるもんだから、常に
成功を続けてきた希有な連中しか、そこに入れない。

小さな失敗を体験する機会が他の人より少なく育ち、
しかし組織に入ってしまえば大きな権限を与えられ、
あとは、組織内の当たり前を当たり前に実行するのみ。

その中でちょっとした失敗をしたとしたって、
組織そのものは非常に巨大だから気にも留められず、
結局そこでも小さな失敗体験を積むコトができない。

これは、まさに最後に巨大な失敗をしでかすための構造的欠陥。

だが大失敗があっても、組織的に隠蔽を試みたり、
あるいは個人の責任とて即座に懲戒してしまう。
組織の責任としては、やはり不問のままになる。

もっと巨大な、それこそ組織どころか国家そのものをも
破壊しかねないような深刻な失敗をしでかすまでは、
きっと容易に止まるモノではないのだろう、組織てのは。

一般的に災害てのは規模が大きいものほど頻度が低い。
こういう巨大な人的災害の頻度は、やはりヒト個体の
寿命に比して長いから、教訓も亡霊化しいてたりする。

ここで、既に死んだ教訓を再生させてやりたい。どうするのか。

一つの案としては、人材のスペクトルを広くするコト。
もちろん、波長が揃わないので業務効率は低下するが、
特定波長で見落としてしまう異物も検出しやすくなる。

それには、組織内の「当たり前」に疑問符をつけるコトが
できるような人材、たとえば他の職業で多年の経験を持ち、
かつ所属してきた組織の中で発言力のあった人物がいい。

要するに幅広い年齢層で中途採用してみろというワケ。
もちろん、そういうのを主流にしろというのではないが、
ある程度の比率で加えて、混和させる必要があるだろう。

あるいはマネジメントなどの実力者を招いてくるのでもいいだろう。

また、人材の流動性を期するなら、できればヒトを
外に出すような方向でも考えてほしいトコロである。
もはや民間企業では終身雇用も崩れているのだから。

それから、小さな失敗を経験して成功に結びつける
ことのできる場も、内部に設けておいてほしい。
これもまた、より大きな失敗を避けるための施策。

しかし、より良い方向を目指すのであれば、社会全体が
未成年のうちから小さい失敗を積み重ねていくような
仕掛けを用意しておければ、それに越したコトはない。

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2008/12/11

失敗するはヒトにあり

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過去の教訓といえば、かつて大日本帝国が米国に戦争を仕掛けてしまった背景と、
その戦争に敗れた背景には、共通するものがあるんじゃないかという気がする。
(ていうか「勝てない戦いを挑んだ」という単一の事象でもあるのだが)

実のトコロ、ソレを表面的に分析するのは難しいコトではない。
すでに多くの人が考察をしているから、そういうのを組み合わせればいい。
たとえば軍の運用スタイルだとか、国力や産業構造だといった考察は多いよな。

あるいは国民の精神性などに踏み込んだハナシとしても、それなりに
考察が為されているので、それらを応用して論理を組み立てるコトはできる。
でも、そういうトコロを掘り下げるのでも、ない。

ていうか、そもそも日本人に限ったコトでないような気もするのだ。
つまりヒトそのものの性質に起因して、しばしば生じうるケースの
目立つ例として、「勝てぬ戦に突き進んだ」事象に着目しただけだので。

といっても、「ヒトのするコトなど完全じゃないのだから
いつかどこかで必ず失敗するものだ」、なんて言いたいのでもない。
だってそれじゃあまるで思慮が足りないみたいじゃないか。

ヒトのどこがどう「完全でない」から、あんな失敗をしてしまうのか、
その理屈を、それなりに筋道立てて、考えていきたいと考えている。
できることなら、他の失敗例にも共通するような、普遍性のある理屈で。

しかしそう考えてる本人もまたヒトだもんだから、ヒトが持つ限定合理性の
限界に引っかかって、なかなかどうして抜け出すのは難しいのだった。
これはつまり、分かっちゃいるけど何とやら、てなトコロかね。

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2008/12/10

理系用語で読み解く社会(35) 個体学習は社会学習を繰り返せるか

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別の切り口でみてみよう。

ヒトは不完全ではあるが、しかし社会を通じて情報を伝える仕組みを作ったからこそ、
情報を個体の寿命を越えて伝え、なんとか未曾有の危機も乗り越えてきたのではないか。
そうやって、随分と長い歴史を紡いできた。少なくとも個体寿命と比べれば、ずっと長い。

「個体発生は系統発生を繰り返す」なんてコトバがある。
このコトバは、もともと生物学的な用語であったが、その解釈のみならず、
社会学的にも当てはまるのではないかという意見も散見される。

これは、詳しくないがミームだとか、そいう考え方にも近いのではないかな。
とはいえ環境が変われば、過去の環境において有用だった教訓が
しばしば役に立たなくなり、ただせいぜい言い伝えが残るのみ。

そして環境の変化は、近年では非常に早い。
そういう社会を、過去のヒトビトが作り上げてしまったせいもあって。
だから、このところ教訓は簡単に死んで亡霊に成り下がりやすい気がする。

教訓というのも、ひょっとしたら体験or体得した個体の寿命によって、
同じく寿命を迎えてしまうケースも少なくないのではないか。
環境変化が緩やかな時代であっても、そいう傾向はあったと思う。

まあともかく、そういうものだとなれば、その「繰り返される個体発生」の
道筋を上手に導くのが、重要なポイントになりそうだ。
単純なハナシだ。死んでしまうのなら、再生させればいいというだけのコト。

世に出る前は生物学的な「発生」を繰り返すのだから、
世に出てからは人文学的な意味の「学習」を、
同じように繰り返せるようにしていけばばいい。

ていうか、そういう努力をし続けないと、
いつまで経っても変わりゃしないんじゃないかね。
社会の変化に比べれば、ヒトという生物の変化は遅いのだから。

たしかに大変なコトではあろう。歴史が積み重なるにつれて
受け継ぐべきモノゴトが増えて理解が困難になるし、
次代へと伝えねばならぬモノゴトも増える一方だ。

けど、諦めたらそこで終わってしまうだろう。
せいぜい、足場を踏み外さぬように、気をつけつつ。
情報を扱う上でのメタ情報も含めて、上手に扱わねばならない。

余談だが、特に年少者の教育において、
昔話なんぞが教訓として大いに役立つのだぞと、
最近になって(急に?)聞かれるようになってきた。

そのような文脈を見てみると、しばしば「戦後の日本では途絶えた」
「良き伝統を復活させるべし」といった考え方が目につく。
訓話は神話に多いので、皇室崇拝を避ける意図で排除されたのだとも。

まあそうかもしれないね。
であれば日本に限らず広く古今東西から教訓的な小話を集めてくればいいんじゃない?
そうすれば大戦の教訓もメタ情報として活かせるんじゃないかと思うよ。

どうせ無思想の日本なのだからして。

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2008/12/09

理系用語で読み解く社会(34) 触れんとすればゾクゾクする

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件の教授は、こうも語っている。
「日本の治水事業は非常に優れており、100年に一度という規模の水害に備えているが、
この治水事業が小さな水害をなくし、皮肉にも内発的自助意識を弱めることになった」

100年に一度ていうのは、当然ながら「未だ曾て有らず」ではないのである。
さすがに個体としては経験する機会もなかっただろうけれども、
現代に通じる社会において過去の歴史で経験済みであるはずなのだ。

あるいはもしかしたら「ミゾユウ」だか「ミゾウユウ」だか
という読み方になると、“個体として未経験”などという意味に
変わってくるのかもしれないが、その読み方には詳しくないので端折る。

結局、ヒトの脳味噌の構造からすると、その個体寿命に近い規模の時間、
あるいは個体寿命を大きく超えるような時間軸での認識をするコトは、
非常に困難なものであるのだろうと、考えざるを得ない。

いやむしろ、ソコにミゾがなかったコトなど未だ曾て有らぬのではないか。

しょせん、せいぜい100年程度の耐用年数しか持たないのがヒトの肉体。
それ相応のハードウェアと、ソフトウェアで構成されているのである。
100年に一度の低頻度リスク想定など、設計限界を超えた行為なのかもしれぬ。

何かの境界に近いトコロでは、しばしば性質や状態の大きな変化を伴う。
境界部分には若干の幅を持って、両者の入り混じる領域もできたりするが、
その上下みれば、まったく別世界に属している、というのが自然の世界。

となれば、ヒトの基本設計で想定していないような、
新たな時間軸の認識手法を見出さねばならんのだな。
遷音速域や超音速域で飛ぶためには。

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2008/12/08

科学系ヨタ話(9) 喉元過ぎれば熱さを忘れるけど災害は忘れた頃にやってくる

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災害社会工学が専門の、ある教授の講演で、こんな内容のハナシがあった。
「提供される情報が高度化するにつれ、受け手は情報依存を強めてしまう」
受け手の主体的姿勢が失われ、情報は受け手が何もしなくても自動的に
『貰えるもの』と認識されるようになってしまうのだ、と。

ある水害被災者は、教授のヒアリングに対し、こう語ったそうだ。
『堤防が決壊して自宅まで水が来ていたけど、市が避難勧告を出さなかった
もんだから逃げられなかった。勧告を出さなかった市の責任は重大だ』
教授は「このコメントに引っかかりを感じた人は、まだ正常です」と言う。

何故このような傾向が生じるのか、という考察は長くなるので省くが、
いずれにせよ、ヒトの自己家畜化現象の一例といって間違いないだろう。
対策として教授は、「内発的自助意識」を促すことが望ましいとしている。
『自分の命は自分で守りたい、だから情報が必要だ』といったような意識が。

しかし、当事者意識を高め維持するのは容易なコトじゃないような気がするよ。
なにせ災害に直面する頻度というのはヒトの人生を見渡せば非常に低いもので、
次の機会は、貴重な経験が風化しきって忘れ去られてから、という可能性も
実際には非常に多いんじゃないか。そんな気がしてならない。

このことは、広域に及ぶ自然災害に限ったハナシではないだろう。
たとえば交通事故であったり、詐欺などの犯罪被害だったり、それから
金融危機のような経済問題などにしても、たいていヒトは他山の石を拾わず
対岸の火事を見物し、同じ轍を踏んだ挙句に、後悔先に立たずとなる。

歴史は繰り返すなんてのも、実に名言だ。

こんな、ヒト全体が持つ構造的欠陥を、どうフォローしていけば良いものか、
まだまだあれこれと考え巡らせていかねばならぬようである。

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2008/12/07

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(9) 明日、はわわガミガミ(ワケわからん)

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とはいえ分からないモノをワカラナイと諦めては努力放棄。
ここしばらく、こう言う機会が多い「諦めたら負けが確定。
勝てる見込みが低かろうと確定するまでは努力を続けよう」
そりゃもちろん努力するにしても限界はあるのだけれども。

一時的な人気取りに過ぎない給付金バラ撒きに固執して
手間暇かけてまで所得制限だの何だのとやるんじゃなくて、
同じ予算と時間を費やすのなら後に役立つようなトコロに
もっとアタマを使って活用してやってくれないかと思う。

とにかく現状をきっちり把握して、改めるべきポイントを
明確に定めて、そのための仕掛けを作って試す。そして
やって駄目なら、とにかく改良する。最初から理想を実現
できるなんてコトはヒトにできるもんじゃないんだから。

いやそもそも、何処まで行っても完璧なんて実現しないさ。

もちろん動いたって上手くゆかない可能性もあるだろうし、
下手すれば結果として弊害が生じる危険性もあるだろう。
でも、やらずにいれば悪い方向へ転がる可能性が高いのに、
動かずにいては間違いを拡大してしまうのではないだろか。

だから、より良い方向を探しつつ、とにかく考え巡らして、
できるだけ失敗を避けるように、動いていった方が、まだ
マシなんじゃないか。そのためには、当然のことながら、
常に考え続けつつ動くという多大な努力、忍耐が必要だ。

真っ当な社会を求めるのならば、まずその中の人からして
真っ当な社会人であり続けようとする意識は、欠かせまい。
でなけりゃ何をするにも受動的になりかねず上手くゆかぬ。
その「意識」てのは、要するに当事者意識というヤツだな。

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2008/12/06

たまには時事ネタ(35) ねこにこばんばらまき

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ちょい前のネタだが、もしかして例の与党2兆円バラマキ政策を支持する連中は、
「私たちのおかげで生活に困っている人たちにも政府の支援が
得られるようになった」とか、思っていたりするのか。

1人1~2万円×1回などという金額で、生活苦の人がどれだけ生きられるのかね。
日本の衣食住コストを考えれば、どれだけ切り詰めても2週かそこらではないか?
ていうか、そもそも住む場所を失った人には、このハシタ金さえ届けられまい。

こういうのを「焼け石に水」というのである。
そして、それを善意から歓迎するのは短絡に過ぎる。
某u君の口癖じゃないが「馬鹿は嫌いだ」と言いたくもなる。

「右が施しをしていることを左に知らせるなかれ」と忠告しておく。
“○○してあげる”という意図が、おそらく最も迷惑なものなのだ。
そういう偽善は、自らの知性の欠如を喧伝するだけだから、やめとけ。

まあしかし、その短絡に乗ってしまった与党陣営も、また短慮に過ぎるよな。
(もし彼らが実効性を期していたのであれば大きな混乱もなく結論が出たはず)
どれだけ乗らざるを得ない事情があったとしても、である。

もちろん、だからといって野党の連中が短慮でないなんて、
そんなコトは全く言い切れないのが心苦しいトコロなのだけれども。
衆愚の一人として飲み込まれようとする現代日本人として、如何にせむ。

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2008/12/05

自称逸般塵の不通の日記(44) 犬を抱いている人が多いとかそんな話題

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ある日、実家に寄ったとき、夕食後にTVニュースを見ていたら、
凶悪犯罪の現場の周囲の住民(多くは主婦らしい)が顔から下だけ写されて「怖いわぁ」とか言っている。
何人もの住民が判で捺したように恐怖感を口にする様子を見ながら、母はポツリと呟いた。
「最近、こういう場面で犬を抱いてる人が増えたように思うんだけど、何故なんだろう?」

言われてみれば、そんな気がする。しかも、決まって小型の室内犬。
「核家族化や少子化で家の中が寂しいから?」
「庭がなくて大型犬を飼えないから?」
「いやむしろ、今の時代なら戸建てを自慢したいから?」
「いろいろ金かけて飾りたてた犬を自慢したいから?」
云々。

しかしどれも微妙に外れた回答のような気がしてならない。
長毛種犬の毛が喉の奥に入り込んでしまったかのような、
妙にひっかかった感覚のまま帰宅して、うがいをしてから、ようやく気づいた。
愛玩犬は、生きたヌイグルミのつもりなんじゃなかろか、と。
イソジン希釈駅を洗面台に吐き捨てた瞬間、喉のつかえがとれた気がした。
そして、独り言を言いつつ妙に納得していたのである。
「つまり、昔の娘さんが、中身変わらず年齢を重ねたってワケか」

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2008/12/03

我、在るが儘に生きるしかできなくて。

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ハナシは聞くけど言うコトは聞かない。
むしろ言いっぱなし。要するに偏屈者。

これは、自己顕示欲というよりむしろ、
自己主張というだけのような機がする。

しかも大した中身があるワケでもなく。
まあそれはそれで気にしないでおこう。

役に立たないどころか厄介者だろうと、
大事にしてくれる人も少しくらいいる。

全部じゃなくていい。ほんの一握りで。
ヒトの脳味噌が把握できる範囲だけで。

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