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2009/01/07

偽善を嫌うハナシ、その2だ

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例の「給付金」(とその周囲)について以前にも書いたが蒸し返す。
ていうか、1人あたりわずか1~2万円を配布するしないというだけで、
何日も議会を空転させている事実は、それこそ無駄というものだろう。

そういう無駄をしでかしている主要政党(勿論与野党双方)いずれも、
能力の不足が甚だしく目立つものではあるし、彼らが示す政策とやら
にも机上の空論めいたトコロが見受けられるのだが、それはさておき。

前回の主旨は、こんな感じだった。
「善い行為をしていると思うこと自体が偽善ではないか」
おおむね繰り返しになるとは思うが、改めて考えてみたい。

目の前の人が困っている様子なのでつい声をかけてしまったとか、
通りすがりの人がいきなり倒れたので思わず駆け寄って助け起こしたとか、
そういった、身体が先に動く類の行為は、きっと偽善じゃない。

それは救急隊員や救急センターの医師たちに似た行動であろう。
もちろん彼らは高度な教育や訓練を受けて現場の経験を積み、
その上で職業として携わっている点、大きく異なる。

だが彼らにしても、必ずしも「稼ぐため」ではなくて、
むしろ「自分ができることをしているだけ」といった、
淡々とした姿勢で仕事に臨んでいたりする者も少なくない。

居合わせた素人による救助行為などは、職業人によるもの
とは異なるけれど、「自分ができることをしているだけ」
という点においては類似している。

あくまでも、自らの体力や技量、知識や知恵を以てして、
直面する課題を乗り越えようとするのみ。自らの能力を用いる上に、
自らの身を危険にさらすからこそ、その行動は賞賛されるのだ。

しかるに2兆円バラマキ政策など、
他人の懐をもアテにした内容であり、
その次元とは明らかに異質である。

自らの身は危険にさらされないまま(台所か茶の間にてもあろう)、
自らの持てるモノもほとんど用いず、あまつさえ助けようとする
相手や、その課題そのものに対して、直に面するコトさえない。

とはいえ、善を為していると思わないくらい無心になれば、偽善に
ならぬ可能性が高いので、無心であれば良いとも言えそうではある。
でも、勘違いしちゃいけない。コトは、そう単純じゃないから。

貧困や格差というのは、あまりに背景が複雑なものだから、
無心にバラマキをしたって国庫の無駄遣いになりかねない。
同じ2兆円の予算でも、もっと効果が期待できそうな案はあるはず。

幸福になる理由は誰も大差ないが不幸になる原因は人それぞれ
だから個々の原因に立ち向かうような、きめ細かな対応が不可欠
だので、そのために必要な多くの人間の力に、注ぎ込む策もあろう。

さてもさても、さんざん問題点を指摘されているにも関わらず
一向に聞き入れないような独善は、もはや偽善ですら、なさそうだ。
おそらくそれは、単なる不善だと思うが如何。

本人に悪意がないコトは、宗教的には許されるかもしれないが、
社会にとってみれば何の課題解決にもつながらないのだから、
改めた方が良い。特に、政教分離を憲法で謳う日本に於いては。

まあこうして偽善の研究などしてるのも、
やはり相当な不善なるやもしれぬが、
「小人閑居して不善を為す」てなトコロ。

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