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2009/02/03

自称逸般塵の不通の日記(55) あんときの時代は良かった

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先日、出入りしている事務所で場所を借りてミニノートで作業していたとき、
通りすがりに「S社のPは買わないのか」と話し掛けられたが、
「まず間違いなく買わないでしょうね」と即答したのだった。

仕様をみれば、半年前に購入して使っている今のヤツよりも、
あらゆる面で大幅に上回るのは間違いないんだけれども、
でも、なんだか食指が動かないのである。欲しいとさえ思えない。

まず一つの理由は、スペックを追求するのに飽きてしまったコト。
最近では非力な端末でも非力なりに使えるサービスが増えたし、
それを使う手や頭脳も、また非力さに慣れてきていたりする。

そしてもう一つ、「ファッショナブル」だか「スタイリッシュ」だか、
要するにオサレな感じが、どうしても気に入らないという理由。
草臥れて薄汚れた中年男には、どうにも似つかわしくない姿でね。

機器の扱いも、それほど丁寧ではない。たまに手入れくらい、
するけれど、仕事で使っていれば、ときに不注意で傷つけたりする。
そうなれば、あのツヤツヤな塗装が、醜く剥がれていくだろう。

そんなのではなく、もっと地味で、長期間酷使して傷だらけになっても
むしろ似合うようなのがいい。ただし、いかにも頑丈そうな印象を前面に
出したデザインなんぞは「バンパーカバー」的な嫌味を感じて好かぬが。

最近の電子機器や家電は、どうも上っ面だけ繕ったように思えてならぬ。
たとえば無塗装の樹脂だった時代のノートPCや、同時代のカメラなどが、
今も懐かしく思えて手放せないのは、もしかしたら刷り込みだろうか。

あるいは、妙に洒落たモノを敬遠する性格ってだけなのかもしれんが。

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