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2009.03.01

科学系ヨタ話(10) 片利共生なら許してやる、か?

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ある情報セキュリティ系セミナーのパネルディスカッションで、
「ノーガード戦法でもいいんじゃないか」という先鋭的な意見があった。

実は、パネルディスカッションに先立つ各人の講演を聞きつつ、
ほとんど同じようなコトを考えていたトコロだった。

考えてみれば、そうしたときのコストパフォーマンスは、
相当に高いかもしれないのだ。ていうかコストは不要だが。

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こういう分野は、対策をするなら関係者全員が対策して
いないと効果が薄れるものだが、実際そうなるコトは期待薄。

となれば現実的なトコロで考えると、対策した方が損を
するとさえ言えてしまう。いささか極論かもしれないが。

しかも最近は多くのマルウェアがステルス化しつつあり、
エンドユーザーが気付かぬくらいの活動しか行わなかったりする。

ヒトに対する病原性微生物なども徐々に弱毒化していく傾向に
あるというが、マルウェアもまた弱毒化しているのであるならば、

一切のマルウェアの活動を許さないような環境であれば致し方ないが、
そうでなければ「共存」という選択肢も考えられるのではないか。

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そも何から何までコントロールできると思うコトが間違いだろう。
(そんなコトを考えるなんて、ヒトのくせになまいきだ!)

議会だって党派の席の数だけで勝負してないで、
たまには議員の自由な判断に任せてみればいいじゃないか。

党の中枢が党議党略にばかり固執して党員たちを縛るから、
だからみんな粛々と萎縮していってしまうのではないか。

個人の行動を規定する宗教という仕掛けを、
近代化を進める中で捨ててきた現代日本人。

それでも近年までは地域や家などの縛りが
あったけれども今はそれさえも希薄になり。

だから組織は命令によって縛るのだといえばそれまでだが、
縛るコトによって余計に、他の規範を疎んじる結果となる。

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余談ではあるが、都市とインターネットというのは
少し似ているのかもしれないと思った。

都市の空気は人を自由にするが都市は人口の墓場。
あるいは大規模組織に集まるヒトというのも同根か。

便利で生活しやすそうなトコロにヒトは集まるものだ。
そして作られた集団の論理に殺されていくものである。

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