« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009.03.31

ヒト工学

20090331_epsn6484_1s


それにしても最近の世を騒がす危機というものは
影響範囲が巨大なくせに分かりにくい気がする。
いや、単に近すぎて全体像が見えにくくなっているだけか。

標的が分かりやすかった時代は良かったなんて
羨ましがりたくなる誘惑もあるけれど、
それは、いささか間違っているのかもしれない。

たとえば昔の機械は構造が単純で分かりやすかったように思われるかもしれないが
その制御機構を具体的に調べてみると実は構造そのものに工夫を盛り込んだ
ようなものも少なくなかったりして、決して一筋縄では捉えられないと知れる。

ヒトが考えれば考えるほど、いろいろなモノゴトが付加されて
制御構造そのものの制御は容易になっていたりするけれど
根本から大きく変わるようなコトは、実はあまりない。

表面的には徐々に複雑化していくように見えるのがヒトの常らしいから、
世界が分かりにくくなったなら根幹を見極めるトコロから
手を着けてやればいいんじゃないかと思ったりした。

|

2009.03.30

護国なんかより豊穣?

20090330_epsn0891s


国(の経済/民の生活)を護るだって? よくいうよ。
ピラミッドの天辺の石が、動きたくないだけだろ?

短期的には人々も我慢せずに済むかもしれないが、
実は問題を将来に先送りして何を守るというのか。

そもそも、そんなモノを守って何になる。
国破れても山河あり五穀豊穣ならいいじゃないか。

とはいえ子孫に美田なんて残せそうにないけれど、それより
むしろ転んでも泣かないように育ってもらいたいよな。

もうすぐ墓場に消える連中にとっては気になるまいが
その下の世代は今の若者たちが成熟するのを見続ける。

目まぐるしく変化し続ける世界情勢の中でありながら
3四半世紀は生き続けるのだから、ヒトも大変だ。

……などと花見の席で酔ったら言い放ちそうなのに気付き、
余計に花見への期待感が高まるのであった。

今週は花冷え著しく満開まだ遠い。
来週こそは楽しみたいものだね。

|

2009.03.29

坂を下っていたら雲なんて見ていられないもんな

20090329_dscf1885_1s


「雑録 明治の情報通信 明治を支えた電信ネットワーク」(鎌田幸藏/近代文芸社)
「海の史劇」(吉村昭/新潮文庫)
「東郷平八郎伝 日本海海戦の勝者」(星亮一/光人社NF文庫)
「戦艦ポチョムキンの反乱」(リチャード・ハフ、由良君美訳/講談社学術文庫)

最近読んだ本、の中の一部を並べてみた。
日本海海戦と周辺事象、というトコロ。

一世紀ちょっと前の日本というのは、その四半世紀
ほど前の時代と比べれば大きく違っていたものだし、
逆に四半世紀後の時代と見比べても、やはり
ずいぶん違った雰囲気があったように感じられる。

考えてみれば、四半世紀も経ってしまえば
社会の中心となるヒトが一世代違うワケで。

「維新の元勲たち」の下、最前線で戦ったような人たちが
明治時代後半には政治や軍事、産業の中枢で活躍しており、
そのときに最前線だった若者たちが昭和初期あたりになると
ちょうどピラミッドの頂点に立ったりしていたものといえる。

こうした関係は昔からずっと続いていたものであろうが、
情報量の多い近現代の中で探ると、ことさら明確に分かる。

さらに後の世代でもまた同様の関係が続いているではないか。
大戦中に死を免れた若者たちが死に物狂いでに働いた次には、
物質的に恵まれた世代が世を謳歌するようになり、そして
精神的に恵まれなかった世代が次に擡頭してきたりする。

人間万事塞翁が馬とはヒト個体に限ったコトではなくて、
ヒト集団にも同様に適用できるような気がしてならぬ。

あるいは喩えるならば大気中に生じた無数の氷粒や水滴の如く
億ものヒト個体の多くが大同小異の経緯を辿りつつ
同じような糾える縄の如き禍福を経験して、
これが雲のように世相を形成するのか。

それにしても、これから後に続く世代は果たしてどのように
なっていくのか、興味津々、期待半分不安半分というトコロ。

|

2009.03.28

いろいろと対話したいわ

20090328_20090322250s


有識者が必ずしも経験者とは限らない。
ましてや今の現場で苦境に立っている人物でありながら、
かつ有識者として名声を得ているワケでは、たいていない。

世の中にある問題点を上手く抽出して、
それを整理したカタチで対策を練って実行するというのは、
いつの時代であろうと困難なものである。

一方、近年の世の中ってのは、
社会の中でヒトの間の結びつきが疎結合になってきていて、
深い悩みなどが語られる機会も減ったように思う。

なにしろヒトの悩みというものは、
聞き出してくれる相手がいなければ容易には出てこない。
だから全体の中で語られる分の比率は低下する。

というコトは、これからもっともっと
世の中の問題点が見出しにくくなる可能性が高く、
世直しも難しくなる一方というトコロなのか。

|

2009.03.27

信じられぬ者は救われぬ

20090327_20080219488s


そういえば神の宮というのは作り替えられるが、
神そのものはずっと変わらず生き続ける。
官僚組織も何度となく手を加えられてきたが、
社会の構造として官僚の存在は続いている。

カミサマってのは、ヒトのココロのヨリドコロなワケだから、
ずっと長いコト生きていてくれた方がアリガタイのだろうけど、
ヒト集団である組織体は、そうとも限らないんじゃないか。
永続する前提で存在しているコトが弊害をもたらしてはいないか。

設立当初の目的を果たしたら組織ごと使い捨てにする
くらいの思い切ったトコロまで含めて考えつつ、
環境の変化に応じて柔軟に再編をしていくような変革を、
たまには行ってみるような世の中にしたら、いいんじゃないか。

ああしかし、勝手に「組織と運命を共にする」
なんて思い込んでいるような輩が、ときたま
いたりするのが世の中ってもんだからして、
ちょっと大変なコトになってしまうかもしれない。

特に、今のような世の中から移行したような場合の
過渡期には、そういうトラブルが噴出するコトだろう。
そういう問題点を必要悪だとして切り捨てられるほどには
楽観視できないような想像図でもあるし、なあ。

|

2009.03.26

問う名声

20090326_dscf0482_1s


ガラスは壊れやすいし、樹脂は劣化しやすい。
透明かつ強固で永続的な素材は、なかなかない。
そもそも汚れが付着しやすい環境ならば
すぐに窓の向こうも見えなくなってしまうワケで。

あるいは恰好をつければ見通しは悪くなり
向こうの様子を考えるには想像力が必要となるが
むしろあえてそういうトコロを残しておいて、
見えるモノが全てだと信じてしまう危険を減らすか。

いやしかし、ヒトってのは多くの場合
思考ルートの短縮・定着を図るイキモノだから、
これまた将来のリスクを減らすコトにはなるまい。
もっと違った考え方を取り入れた方が良さそうだ。

それこそ把握できるリスクの数量を減らすというより
広い範囲のリスク把握を迅速かつ的確に行って
その回避や低減に必要な行動力を、将来の
ヒトビトが持つように仕向けるのが上策ではないか。

|

2009.03.25

空元気に花を咲かせましょうか

20090325_dscf3013_1s


播種には適した環境というのがあるワケで、
土地の状況や時期に応じて考慮した方が良い。

乾いて締まった地面では主旨を撒いても上辺だけ。
風に飛ばされるか取りに食われてしまいがち。

しかし適度に湿った地面を耕してあれば、
地表深く入り込んで定着も期待しやすい。

といったハナシは2000年ほども前に誰かが
語っていた喩話のパロディではあるんだが、

あらかじめ耕してくれる人が一緒にいれば
効率良く種を蒔けるのだと先日気付いた。

|

2009.03.24

理系用語で読み解く社会(42) それは些細な差でも大きな運動

20090324_20090203204ts


軸が支えられていない回転体には歳差運動が生じて、
その軸を回すようにして少しずつ動かしていったりする。

地軸がブレれば天の星々さえも違って見える。
Polarisも北極を指さなくなってしまう。

指針を失った人々は自らの位置を見失う。
道に迷ったり踏み外してしまうコトもあるだろう。

だから地軸の先に新たな北極星を見出そうとする。
そして新たな指針に従い道を探していく。

|

2009.03.23

2つめの塔

20090323_dscf2677_1s


世の中というのは基本的に不可逆なものだから
失ったモノは元に戻らない
新しく作り直すなら別だが

だから生物が退化して失った機能などは復活せず
再び必要になった場合には
新たに別の形でそれを補う

ヒトの変化もまた同様のトコロがあって
崩壊した神話は取り戻せず
新たに積み上げるしかない

ただし個人個人のコトに関しては一部例外もあり
たとえば失われた笑顔など
取り戻せないワケじゃない

|

2009.03.22

出張旅行記(24) 車内務戦乱

20090322_dscf2972_1s


出張と私的な訪問とを合わせ3泊4日。
今回は車内無線LANサービス開始後、
初めてそれを試す機会となった。
要するに仕事に追われていたのである。

東京-新大阪間を移動する間、
一度も途切れるコトのない通信環境。
便利といえば便利だけれども、
旅情は遠ざかっていくばかりに思える。

こんなサービスがなければ
仕事にも制約があったものを。

とはいえ今回は自業自得。
移動中の時間を使ってまで仕事せねば
ならぬくらいに遅れていたのだ。
利便性が向上しても、ヒトは足りぬ。

|

2009.03.21

足腰も使いよう?

20090321_dscf1883_1s


歩く動作というのは練習によって大きく変わるものだ。
たとえば歩くときの姿勢だとか足の運びだとか、
あるいは体捌き、といった要素を身体が覚えてくれる。

もともと背が低くて足が短いのを補うように
重心を下げて大股で歩くように心掛けていたのが、
今では「足腰に乗る」というくらいに、しばしば感じる。

この乗り物、案外、乗り心地が良い。
段差などがあっても柔軟に追随してくれるし、
上下動も小さいし、加減速や方向転換の応答も良い。

その上で多少の負荷にも耐えるし、
速度も、まあ、悪くない。……足の長さの割には。
定格出力の範囲内なら数時間の連続運転にも耐える。

しかも、どこにでも持ち込むコトができるし、
それなりに便利だし、動力源も調達が容易だ。
しかし何よりも、使っていて楽しいというのが一番かな。

|

2009.03.20

前転進

20090320_epsn6333_1sqs


ヒトは歩くとき、微妙に倒れつつ足を前に出し
身体を支え持ち上げて、前へ進むとも見える。

立ったままで居れば、そんな動きは必要ない。
ただ前へ進もうとするために、倒れかかるのか。

考えてみれば達磨なんぞも七転び八起きだが、
ころころと転がっていけば進めるともいえる。

そうそう、滑っていたって進めるんだよな。
位置エネルギーが低い方向に限られはするが。

だからどうしたと言われりゃそれまでだけれど、
進行方向を見極めているなら前向きでいられよう。

|

2009.03.19

たまには時事ネタ(41) そろそろ春を桜花する時期

20090319_epsn5713s


このところ急に暖かくなったせいか、
花芽は日に日に大きく成長してきている。

この分だと月末までには満開を迎えるだろうから、
そのあたりを狙って花見の予定も考えておこう。

個人的にソメイヨシノより山桜の方が好きなんだが、
こんな年には散り際の美しさも楽しむ気になる。

そういえば開花が早い年は好転するというような
経済ジンクスがあったっけ。

そして開花から散るまでが長い年は、
やはり良い傾向にあるのだと聞いた。

日本人の桜好きは際立っているのか、その開花動向に
気分どころか経済活動まで左右されてしまうようだ。

けど、そいう刹那的な感覚も、
そんなに嫌いじゃない。

早く咲き乱れて、かつ人々の目を長く楽しませてから、
潔く散ってくれるのを楽しみにしているよ。

そして来年も再来年も、何年後でも、
何度でも咲いては散る繰り返しを。

|

2009.03.18

自称逸般塵の不通の日記(74) 春の嵐の遑の夢の中

20090318_20090106106s


春先の暖かく晴れた日の昼下がりの住宅街の細い路地の
若者らしき2人が座るともなく横たわるとなく
ブロック塀に身体を預けて力の抜けた状態で、いた。

まさか行き倒れじゃないだろうなと思ったものの
傍らには自転車がスタンドを立てて停めてあるので
2人が自転車(ただし1台)で移動中そこに座ったのだろう。

たしかに近付いてみれば幽かな寝息が聞こえる。
通りすがりにも顔は見えなかったが寝息は男女のもののようで、
どこか幸せそうな様子が窺われた。

2~3分も自転車で走れば寝心地の良い公園もあるのだけれど、
この街で新生活を始めたばかりの2人には知る由もなくて結局
暖かい陽射しの中で睡魔に負けてしまった、てなトコロだろうか。

だとしたら新しいご近所さんだな。この街へ、ようこそ。
そのうちまた、散歩でもしているときにでも、どこかで会おう。
といっても、こちらもせいぜい10年くらいの新参者だがね。

|

2009.03.17

自称逸般塵の不通の日記(73) 暗闇あれ

20090317_dscf2933_1s


いつものように深夜に風呂を浴びていたら
例によって白熱灯が長く滅灯した。

気付けば浴槽の縁に外から光が差している。
満月に近い月の光が窓から入り込んでいたのだ。

「たまには気楽に月でも眺めるといい」
とでも言いたかったのか。

|

2009.03.16

理系用語で読み解く社会(41) 疑念トロピー増大の法則

20090316_epsn6510_1s


最近、ある仮説を立てた。
疑惑とか疑念とか不安といったものは
時間の経過につれて増えこそすれ
減じるコトはないのではないか、と。

たとえば一人で考え込んでしまった状態。
疑いだしたらキリがなく、疑えば疑うほどに
何も信じられなくなっていって、
ついには自分自身さえ疑ってかかるようになる。

もしかしたら社会が100人程度の規模であれば、
その疑念とか疑惑とか不安といったものを
対話を重ねるなどして解消していける
可能性も少なからずあるだろうけれど、

今の社会は関係するヒトの数が多すぎて、
それが皆して勝手に言い放つものだから、
解消するどころか混乱を増すばかりであり、
疑念とか疑惑とか不安といったものも増える道理。

そうするとヒト社会というのは、あらゆるヒトビトの
疑念や疑惑や不安に満ちた状態となって、
遂には誰一人としてそれを解消できぬまま
熱的死を迎えるのであろうか。

|

2009.03.15

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(20) 思えば遠くで、すったりもんだり

20090315_dscf1673_1s


それでも科学のスケールは、どんどん巨大になったり
あるいは逆にどんどん微細になったりしていってしまい、
出発点であったヒトの身の丈からは離れていくばかり。

やはり、たまにでもヒトの寸法を思い返して、
そこを起点に考え直して、方向の修正を
してやらにゃいかんのじゃないかと思う。

最近のヒト社会の中の経済だとか政治だとかも、同様。
ヒト社会の実寸から大きく乖離した金融経済だとか、
逆に政局一辺倒としか思えない国会の中の人たちとか。

前者は既に縮小し、むしろ萎縮しすぎて問題なワケだが、
後者は未だに、というか余計に、重箱の隅を面取りしたり
角を矯めて蝸牛を殺してばかりいるように思える。

ヒト集団の規模が大きくなり、その集団の中の体制が
効率化を重視するあまりに硬直化してしまったりして、
結果としてヒトとは桁違いに肥大した存在ができてしまうのか。

|

2009.03.14

ヒト、仰天

20090314_20081030698tts


科学者や哲学者といった人たちは、
いろいろな分野に手を広げつつも、しばしば
ヒトのトコロに戻ってきたりするものらしい。
そうかもしれん。ヒト思う故にヒト在り。

ヒト以外のモノゴトを研究対象にしていても、結局のトコロ、
認識するはヒトにありってワケで、ヒトそのものを知らねば
ハナシにならない部分が残ってしまうのではないか、と思う。
(「星の数を数え尽くして君に夢中」なんて歌もあったな)

ではヒトを知ってどうするか。
その先は、また人それぞれであろう。

人によっては、ヒトであるがゆえの
リスクを徹底的に排除しようと努める
何故なら、ヒトはそうしてこそヒトの
限界を超えられるものと考えているから。

またある人は、ヒトであるがゆえの
揺らぎを楽しみ尽くそうと待ち受ける。
何故なら、ヒトは楽しんでこそモノゴトを
詳しく知り得ると知っているから。

|

2009.03.13

関係性重視の考え方

20090313_20071021318s


最近、「関係は作るものである」と、
どこかのビジネス系のサイトに書いてあったのを見た。
曰く、他の業界の出来事も自社の業務に関連付けて考えろと。

まあそうだろう。
たしかに見付けるのが望ましいものと思う。
いやむしろ「関係がある」と思って掛かるのが良いんじゃないか。

複数の事象の関係性というものは、
ないと思って見ていれば気付かないが、
あると思って探せば見つかって当然。

なにせ同じ時空間の中にあって
同じ地球上の出来事であり、
同じくヒトがヒト社会の中で行っているコトなので。

だから「ないはずがない」というくらいに思っている。
相互の関係性で覚えていく記憶スタイルなのは、そのせいか。
結晶が成長していくかのように、記憶の中の世界が広がる。

各事象にはラジカルな手がそのまま残っていて、
いずれ何かに繋がるのを待っていて、
そして繋がりができれば強固に結合する、そんな具合。

もっとも、うっかりすると知識が浅く広くなりすぎてしまい、
専門分野といえるものを失ってしまうので、
あまりお勧めできない考え方ではあるのだけれども。

|

2009.03.12

試小説(4) 叢生記

20090312_dscf2217_1sqs


始めに夜があった
夜は星とともにあった

星は「光あれ」と唱え
夜の中に光が灯った

そして光を得た星々は
夜をさまざまに彩った

だが大きな光が一つ
他の星の光を圧倒する

その大きな光は
光らぬ小さな星々を従えて

光らぬ星の上に
生命を作り出した

光らぬ星の上の生命は
強い光の中に育ち

そして夜の中の星々に
畏怖の念を抱くに至る

大きな一つの光から
離れれば生存も覚束ないが

未だ知らぬ星々の世界に
憧れを抱きつつ

|

2009.03.11

思い浮かべて沈まぬように

20090311_dscf1916_1ts


空想というか妄想というか、
どっちかというと文系的と思われる、
自由奔放な想像力。

経験と勘に裏付けられた、
理系というか工学系なイメージのある、
質実剛健な想像力。

一言で想像力といっても、
大きく2種類に分けられるんじゃないか。
最近そう思っている。

前者は成功の原動力であるが、
後者は失敗しないために不可欠である。
要するに両方とも必要だと。

|

2009.03.10

宇宙を飛ぶための日本的な方法論

20090310_dscf1986_1s


ISSに滞在した日本人宇宙飛行士が、
その各モジュールや宇宙機について
米国製は「航空機」的で露国製は「潜水艦」的、
というイメージを抱いたと語っていた。

その上で日本が有人宇宙機を作るなら、
「航空技術では米国ほどの蓄積はないが、
高度な船舶技術も有しているのだから、
両方を活かすのが良いのでは」と言う。

そういえば自動車とかカメラとか家電製品とか、
あるいはロボットとか、日本には他にも
得意分野がいろいろとあるワケで、
そういうのも有人宇宙活動では役立つはず。

とはいえ、そういったものを組み合わせて
新しい考え方をカタチにするためには、
インテグレーション能力というか
グランドデザインが必要だけれども。

でも、宇宙機という分かりやすい目標があり、
それに向かってとりまとめるだけなら、
そんなに難しいコトじゃないと思うんだな。
完全に新しい分野を作るワケではないのだし。

|

2009.03.09

自称逸般塵の不通の日記(72) デブリッド車の怪

20090309_dscf2018_1s


日曜日、住宅街の入り組んだ細い一方通行の路地を歩いていたら、
大きな真っ黒いSUVが、向こうからやってきた。

車高が高いわりに安定性も高そうな(CCV的な意味でも)ファッティなボディで、
名前とは裏腹に「Sports」とは縁遠そうな、むしろ威圧的存在感ばかり目立つアレだ。

運転席には身なりの整った、違う意味でSportsとは縁遠そうな
初老の男が、左手にステアリング、右手にケータイを持って乗っている。

少し手前の路上ではケータイで道案内をしているらしい
若い男がいたので、それを頼りに入ってきたのだろう。

不慣れな道であるコトは間違いなさそうで、すれ違いざま歩行者が
迷惑そうな顔をして道の端に避けたのにも気付いた様子はない。

しかも、通り過ぎる車が鈍重そうなくせに妙に静かなので
振り向いてみればハイブリッド動力であるコトを示すエンブレム。

加えて後部側面には政府主導で大企業や自治体が数多く参加している、
緑の文字のエコ標語ステッカーまで、御丁寧にも貼ってある。

「え? ドコがエコ?」と、思わず声に出してしまった。
地球どころか人にも優しくなさそうな車に思えてならないのに。

唯一の救いと言えそうな点は、その車の中の男の体型が
肥大しきった車体とは違ってメタボでなさそうだったくらいか。

いずれかにせよ社会的地位の低からぬ者とは思われるのだが、
なんともミスマッチな感じがして、いささか気になった次第。

|

2009.03.08

極論的中庸論

20090308_20080630559s


調子が良くないときこそ
姿勢正しく生きるようにしたい。

調子が良いときにもまた
驕り高ぶるコトなく生きたい。

両方を考えたら結局のトコロ
良くも悪くもないときだけ
気が抜けるというコトに?

|

2009.03.07

自称逸般塵の不通の日記(71) ある夜の出来事

20090307_20080313511s


駅前で、久し振りにポケットティッシュを貰った。
以前は頻繁に配っていたのが、最近は不況のせいか
ちょっとばかり減っていたような気がしていたものだ。

ティッシュはラーメン屋のものだった。

このところ個人的にも厳しい状況が続いているけど
熱いラーメンでも食って元気を出して
歩いていこうかな。

|

2009.03.06

自称逸般塵の不通の日記(70) その灯が消えるまで

20090306_dscf0416_1s


浴室の電球が、いよいよ明滅の頻度を高めつつある。

滅灯して数秒間も黙り込むコトも少なからずあるし、
昨夜などはスイッチを入れてから1秒ほど間を置いて
おもむろにパッと点灯してみせたりもした。

以前は「蛍光灯に化けている」と書いたものだが、
むしろ「蛍光灯であると勘違いしている」という
トコロなのかもしれないな。

要するに自分が白熱電球であるコトを忘れていると。
それでも頑張って浴室を照らしてくれているのだから、
寿命が完全に尽きるまで使い続けていこうとは思う。

できれば本当に最後なのかどうか分かりやすいように、
パーッと明るく輝いて沈黙するような感じにしてほしい。
……って、それじゃ白熱電球に逆戻りか。

--
あるいはひょっとしたら明滅のパターンを通じて
何らかのメッセージを伝えようとしている可能性も
あるが、もしそうだとしても読み取れないのが残念。

|

2009.03.05

自称逸般塵の不通の日記(69) 西も東も南も北も

20090305_epsn5999_1s


ほぼ真南に向いている部屋で生活しているにも関わらず、
目の前の空を左から右へ横切る飛行機雲を見ながらそれが
西日本へ向かうものだというのをなかなか気付けない。
どちらかというとアレは西北西か北西へと、
向かっているように思ってしまうようである。

しかし実際には西日本は「かなり西」の方角であり、
特に山陰方面となれば東京との緯度差もほとんどない。
さらに調べてみると瀬戸内海方面などでも
山側ルートを通る航路を使うケースがあるというので、
ほぼ真西に向かう飛行機の数は少なくないのが分かる。

要するに西日本は「思っている以上に西の方角」
にあるものだというトコロになるのだろう。
そういえば北日本もまた同様に勘違いしていて、
実際より東であるように思い込んでいるようだ。
経度線に沿って眺めればやはり「ほぼ北」だのに。

どうしてこんな勘違いをしてしまいがちなのか。
全くの余談だが邪馬台国の場所を巡る考察の中で、
ヒトの多くが方位の狂いを持っていることを論拠として
魏志倭人伝の記述を修正して読んだ例があった。
もしかしたら同様の誤差がヒト全体にあるのかも。

--
もっと遠くの物体もまた微妙に方向が狂って見える。
実家に寄った或る夜のこと、ちょっと外に出て
ふと見上げてみたら上空の星が動いて見えた。
それは星ではなくて低軌道上の人工天体らしい。
日没直後だから軌道上には日射が当たるはず。

そんな時間にたまたま暗い夜空が背景となって
目立ったものであろう。一等星くらいだろうか、
肉眼で分かるほどの明るさと相当な速度。
数分もせぬ間に西から東へ移動していって中天を
過ぎた辺りで急激に明るさが失われて見失った。

おそらくISSだろうと見当をつけて調べてみれば、
やはり時間帯や位置的にみて間違いなさそうだった。
とはいえコレもまた関東南部からみて「ちょい北」
程度に思えたのだが、地図上にプロットされた軌道は
東北地方上空を通過していたりするのであった。

--
せいぜい成層圏の航空機と低軌道の人工天体を
同じ感覚で扱っていては誤解に陥る危険も多いが、
ともあれ上空を見上げたときの方位感覚というのは
あんまりアテにならぬものというのは分かった。
そもそもヒトの目が対応できる距離でないのだから当然か。

ひょっとしたら地球の丸みに沿って
いわゆる大圏コースというヤツを応用して
考えてみればいいのかもしれないとは思う。
けれども大して面白い考えも出てこないので
またしばらくすると忘れて、新しく気付くのである。

こんな感じの誤差はきっと他にも少なからずあるはずだ。
機械でさえ誤差があるのだからヒトなんて不正確なもの。
誤差をなくそうとしたって完全には消せるはずもなく、
むしろそれより誤差があるという前提で常に考え行動する
ようにした方がずっとマシなのではないかと思うのだ。

|

2009.03.04

試小説(3) zoo zoo train

20090304_epsn6940_1ts


先日、撮影データを納品した帰りの電車内のことだった。
すでに遅めの時間で、車内は通勤帰りの乗客で混雑しており、
席に座ることはできず吊革に掴まっていた。

隣の吊革には疲れ切ってワイシャツもヨレヨレの若い男がぶら下がり、
風邪でもひいているのか、しきりに咳をしている。
この声が、まるで犬が吠えているみたいに聞こえる。

少し離れた席では、したたかに酔っているらしき赤ら顔の50絡みの男が
しきりに欠伸をする。この種の連中は何故か欠伸に声が混じるんだが、
これまた、犬が、望郷の念に駆られて遠吠えているかのような感じだ。

と思えば別のトコロでは、ケータイを熱心に弄っていた若い女が嚔をした。
おや、ここにいるのは犬だけじゃないらしい。
もっと小型の食肉類、狐か猫かというくらいの印象だ。

そういえば、目の前で座っているメタボ中年男の鼾は、
どこか偶蹄類の息吹にも似ていなくもない。
しかも、ときたまむにゃむにゃと反芻していたりもする。

そして少し離れたトコロで喋り続けているアラフォー女3人組の笑い声は、
やはり人間っぽくなく聞こえて、まるで鸚鵡か鸚哥か九官鳥か。
こりゃぁどうやら、動物ばかりの列車に紛れ込んだようだぞ。

それじゃあ、すぐ隣の吊革にぶら下がって安物の白いヘッドホンから
シャカシャカと音漏れさせつつ首を上下に降り続けてるやせぎすの男は、
さしずめガラガラヘビというトコロだろうな。

いずれにせよ、こんな身近に動物がたくさんいるというのは、
あまりない機会であるには違いあるまい。
というワケで、カメラのシャッター音に似せて歯をせせる音を立ててみた。

|

2009.03.03

科学系ヨタ話(11) アーキア人?

20090303_epsn6029_1sqs


その前に聴いてきた海洋研の年次報告会の中では、
海底下の地殻内微生物において、これまで考えられていた
より多くのアーキアが存在するらしいという発表があった。

(アーキアに対しては「古細菌」との訳語もあるが、
むしろ個別に進化を続けてきたものだという説が
近年では主流らしく「古」の字は似合わぬようだ)

この地殻内アーキアは培養が非常に困難なので
掘削して得られたサンプルコアの中にどれだけ
含まれているのか、定量的な分析が難しかった。

そもそも生育条件が極限環境だからか、あるいは
アーキア特有なのか、増殖が非常に遅いものであり、
培養できたとしてもヒトに分かる速度ではないという。

そこでDNAに特異的に反応する蛍光色素を使ったり、
アーキアの細胞膜に特有の脂肪酸を分析してみたりと、
工夫して調べたところ、冒頭のような結果となった。

さらにサンプルから微量のDNAを抽出・増幅して
既知の生物と比較する系統樹解析を行ったところ、
未知の枝に属する種が数多く発見されたという。

海底下地殻内の探索は、ようやくこれから進もうと
している段階だから、今後より多くのサンプルを
得られるようになれば多様な知見が得られよう。

--
地殻内生物圏は地上の生物圏とは大きく異なり
主に地質学的に得られる化学エネルギーに頼る。
それは地上の光ほどには潤沢に得られるワケじゃない。

だからどうしても代謝は低速にならざるを得ない。
そして環境のゆえか、アーキアには細胞膜が
堅固な構造となっているものが多いという。

あるいは彼らは、他の生物よりも長い時間軸を持っている
というコトになるのだろう。それは生物の古い姿を保って
いるものか、それとも地質学的スケールに適応した結果か。

--
地殻内の環境は地上と比較すれば厳しいといえるが、
しかしその環境は、長期間に渡って変化が少ない。
むしろ地表より安定したものとも言えよう。

もし気候が激変したりして地表の生命の多くが失われても、
きっと地殻内微生物は、ほとんどそのまま生き残るだろう。
なにしろキロメートル単位の深さにまで存在しているのだ。

そして繁栄を謳歌ていた生命が絶えた後の地表において、
地殻内の極限環境に耐え抜いたアーキアの末裔が、
ひょっとしたら進出して繁栄の時代を迎えるやもしれん。

|

2009.03.02

アップアップで、えーと

20090302_20090204205ts


ていうかWebが勝手に「2.0」を名乗るようになっていたり、
サーバが気づけば「雲」になったり、IDが勝手に「Open」に
なっていたりするのは、ユーザーにとって拒否できない範囲だけに、
むしろマルウェアなんかより、嫌な感じだったりするんだが。

某G社なんかも、気付けば風景や既存の本などまでアーカイブして
検索対象にしていたりして、やはりユーザーや関係者が置き去りに
なっているような印象を受けてしまうのは、古い人間だからか。
要するにサービスを売りつける側の論理で進んでいないかと思うのだ。

利便っても、Gがいうのと多くの古い日本人が思うのは、
たぶん大きく違うトコロもあって、そこが問題なのあろう。
それぞれの限定合理性の限定の度合いが違うのかもしれないし、
あるいはその限定範囲があまり重ならないのかもしれない。

|

2009.03.01

科学系ヨタ話(10) 片利共生なら許してやる、か?

20090301_dscf0387s


ある情報セキュリティ系セミナーのパネルディスカッションで、
「ノーガード戦法でもいいんじゃないか」という先鋭的な意見があった。

実は、パネルディスカッションに先立つ各人の講演を聞きつつ、
ほとんど同じようなコトを考えていたトコロだった。

考えてみれば、そうしたときのコストパフォーマンスは、
相当に高いかもしれないのだ。ていうかコストは不要だが。

--
こういう分野は、対策をするなら関係者全員が対策して
いないと効果が薄れるものだが、実際そうなるコトは期待薄。

となれば現実的なトコロで考えると、対策した方が損を
するとさえ言えてしまう。いささか極論かもしれないが。

しかも最近は多くのマルウェアがステルス化しつつあり、
エンドユーザーが気付かぬくらいの活動しか行わなかったりする。

ヒトに対する病原性微生物なども徐々に弱毒化していく傾向に
あるというが、マルウェアもまた弱毒化しているのであるならば、

一切のマルウェアの活動を許さないような環境であれば致し方ないが、
そうでなければ「共存」という選択肢も考えられるのではないか。

--
そも何から何までコントロールできると思うコトが間違いだろう。
(そんなコトを考えるなんて、ヒトのくせになまいきだ!)

議会だって党派の席の数だけで勝負してないで、
たまには議員の自由な判断に任せてみればいいじゃないか。

党の中枢が党議党略にばかり固執して党員たちを縛るから、
だからみんな粛々と萎縮していってしまうのではないか。

個人の行動を規定する宗教という仕掛けを、
近代化を進める中で捨ててきた現代日本人。

それでも近年までは地域や家などの縛りが
あったけれども今はそれさえも希薄になり。

だから組織は命令によって縛るのだといえばそれまでだが、
縛るコトによって余計に、他の規範を疎んじる結果となる。

--
余談ではあるが、都市とインターネットというのは
少し似ているのかもしれないと思った。

都市の空気は人を自由にするが都市は人口の墓場。
あるいは大規模組織に集まるヒトというのも同根か。

便利で生活しやすそうなトコロにヒトは集まるものだ。
そして作られた集団の論理に殺されていくものである。

|

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »